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2024年アニメ映画評29・「ルックバック」

 「チェンソーマン」で有名な藤本タツキの短編漫画を原作としたアニメ映画。監督の押山春高は作画や脚本にも参加しており、宮崎駿みたいなやり方の人だなあ、と思った。スコアは7点か8点。絵はかなりいいのだが、話がそんなに。たが、漫画の時は、そうですか、と大して感銘を受けなかったが、アニメにすると割とグッときた。
 主人公の藤野は小学生時代に漫画を描いて周りから褒められていたが、自分よりも絵が上手い京本の作品を見て筆を折る。しかし、卒業式の日に京本からファンだと言われたことで、一緒に漫画を描くことなる。そのまま共同制作を続け、高校時代に何本もの短編漫画を商業誌へ載せるが、卒業時に藤野は漫画家へ、京本は美大へ進む。人気作家として多忙になった藤野は京本が通り魔に殺されたニュースを知って地元に戻り、葬式の後、京本の家で彼女を漫画の道に誘ったことを後悔する。しかし、京本の部屋に自身の漫画が何冊もあるのを知り、漫画家を続ける決心をする。
 絵はかなり凝っていて、色々な絵柄が組み合わされていたり、あえて線を乱した動きを残していたりと、種々工夫されている。あと、単純に絵が上手く、全体にクオリティの高い作品。かなり原作の雰囲気が残っている。
 話は三幕構成で、第一幕では、挫折と挑戦を繰返しながら漫画家を目指すことに決める小学生時代が描かれる。京本の絵を見て挫折する場面は正直謎で、漫画が上手いことと絵が上手いことは本質的に別のものだと思うけど、何故に藤野はショックを受けたのか。京本の書いた四コマ漫画は一般的な意味での漫画ではなく、風景画の寄せ集めである。あれを漫画とみなせるのは、前衛漫画を見慣れている人か、「AKIRA」を読んだ人くらいだろう。まあ、藤野が重きを置いていたのは漫画のセンスではなく、作画力ということか。となると、いつから漫画、つまりは話と演出に関心が向いたのか謎だ。
 二幕目は、小学校卒業から高校卒業までのアマチュア漫画家時代で、ここら辺はかなり「バクマン」的。書いてる漫画はホラー風味のものばかりではあるが……。京本と藤野のすれ違いが描かれ、漫画に興味を持つ藤野と、画力に注力する京本が最終的に道を異にする。藤野は漫画のために京本を外の世界へ連れ出したのに、それが逆に彼女を美大に進ませることとなったのは中々皮肉である。 
 三幕目は漫画家デビューした藤野の話だが、大半は京本が死ななかった世界線を描くパラレルワールドである。この着想はかなり「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」に似ており、まあ、これから取ったんだろう。話の流れ的に、過去をやり直すというよりはマルチバースと言った方が近く、作品内でメインの視点人物となる藤野はパラレルワールドについて知る事はないが、その世界から来た漫画によって、京本の部屋へ導かれる。
 話のテーマは漫画を描く理由探しで、それを60分弱やっている。最初は見栄のために描いていたのが、いつしか友情のためと変化していき、ラストで亡き友のために描き続けると決断するのが感動を誘う。ただ、ここら辺は全て藤野サイドの考えであり、最後の最後まで京本が漫画についてどう思っていたのかはよく分からない。美大を行く決意をしたのは背景美術の本を見たことであり、あれはアニメ関係の資料ではないか? となると、美大卒業後に藤野と漫画を描く気だったのかは厳密に言うと不明瞭である。
 後、現実は変えられないけど、変えた気になって現実を生きられるというフィクションの機能も扱っている。ただ、先も述べた通り、藤野はパラレルワールドを認識していないので、これは観客目線ではそう受け取れるというだけで、観客にとってのフィクションの効能が表出していると取るべきか。フィクションの主たる機能は訓話や慰めで、これらは古典時代から綿々と続くあり方である。本作はそういった有様を作中で直截に描いたのであり、フィクションが人を慰めるという機能性を抽出して観客だけに示している点はメタ的と言える。


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