2024年アニメ映画評42・「ゼーガペインSTA」
9月一発目は巨大ロボットアニメ映画で、「ガンダムSEED」同様、TVシリーズが終わってから随分経っての劇場公開。元は2006年に放映され、放送終了から10年後の2016年に「ゼーガペインADP」という前日譚が映画化された。本作はTVシリーズの後の時系列に当たる。ぶっちゃけ、2000円の特別料金に見合っていたかというと微妙。4点。にしても、大体10年刻みくらいで作品を出しているが、何かそうしなくちゃいけないルールでもあるんだろうか。ちなみに主演の浅沼晋太郎と花澤香菜は本作のTV版で実質的なメインキャラ・デビューである。TV版と比べると花澤の成長が著しい。
冬の舞浜で目覚めたキョウは、元いた仮想空間の舞浜には冬がなかったため驚愕する。その後、セレブラムのAI・ルーパに導かれ、敵勢力のオルタモーダと戦闘を行うと、ミサキを含めたかつての仲間も舞浜にやってくる。そこでキョウは、自分が嘗てのデータ欠損時に除去された、キョウのジャンク・データだと知る。オルタモーダとの戦闘は激しさを増し、彼らがガルズオルムによって滅ぼされた別宇宙の人類で、実は多重人格を別個体に切り分けた存在だと分かる。彼らは自らの生存圏を得ようと、舞浜乗っ取りを画策するが、その最中、ガルズオルム残党がやってくる。オリジナルのキョウと、冬の舞浜で目覚めたキョウはゼーガに乗ってそれを倒す。その後、オルタモーダは地球にあったセレブラムの母艦の一つを頂戴して宇宙に去る。
前半は過去作のMADで、後半から新規ストーリーなのだが、前半はともかく、後半はうーんという感じ。話の焦点はイェルで、TV版でキョウと添い遂げられなかった彼女を救うべく作られたのが本作。そのために、過去のキョウのジャンクデータを持ち出すのはいいアイディアだが、話が全然面白くない。理由は簡単で、不要な設定が多すぎて萎えるのだ。
そもそもオルタモーダって要るんだろうか? 元はパチンコで登場したらしいが、本作のこの人達はとにかく影が薄い。ずっと戦っているだけで、個別の性格が活写されることはなく、非常に物的。先にちょろっと触れたが、彼らはハルという主人格から分かれた存在で、そのせいかハルの考えは語られたが、それだけ。ツクルナなんて「ゆるゆり」のあかりみたいで哀れだ。
その上、結局ラスボスはガルズオルムで、それなら最初からハッキングをしてきたのもガルズオルムの残党ってことにすれば良かった。TV版ではほんの少ししか扱われなかった復元者とセレブラムの個人的ドラマとか、一枚岩ではないガルズオルムの状況とか、いくらでも使えるものはあったろう。
更にズッコケたのは、最初の方が変身しないヒーロー作品みたいだったことで、これは何のためにあるんですか? いや、答えは簡単でオルタモーダに個性を持たせるためなのだが、何だかねえって感じ。結局、オルタモーダは目立たなかったからね。しかも、最終的には巨大ロボに乗って状況を解決するのだから、ますます必要性が感じられない。何だか、「タカヤ」みたいなテコ入れの仕方だ。そりゃ、まあ奇抜ではあったけど。
個人的には、TVであったシンとリョーコの対話のような、復元者とセレブラムの交流を扱った話が観たかった。
それはともかく、ゼーガペインはTV版が結構、面白く、それで人気もあるから記念映画も作られたりする。斬新なポイントはパイロットが仮想空間で生活するデータ人間である点で、何だか「マトリックス」を彷彿とさせる。データ人間という設定は「仮面ライダーW」にも出てくる。2006年の時期を考えると、MMORPGも参考にしたのかもしれない。あるいはMixiか。当時はネット内でリアルに接点ない人同士が結婚までしたりして、仮想空間がオルタナティブなリアルであるかのような風潮が少しあった。