2024アニメ映画評3・「ペルリンプスと秘密の森」
出町座で観たブラジルのアニメーション映画で、1月最後の作品。まあ、7点か、8点くらいか。アニメーションだけなら、かなりレベルが高いのだが、筋が少しなあ、という感じ。
絵本のようなやや奥行きに乏しい平面的なイラストと、パステルカラーによる柔らかな色彩表現が特徴で、抽象的な色の奔流のようなシーンや森のファンタスティックな描写は、ポップでありつつ、美的感覚に訴えかける。
作品の大筋は、太陽の国と月の国のスパイが、魔法の森を荒らす巨人を倒すため、ペルリンプスなる謎の存在を追い求めるというもの。ジャンルとしてはファンタジーにあたるが、冒頭の時点で二人のスパイにかなり違和感があり、それが物語の進行と共に増していくので、描写が幻影であることは割合すぐに気がつく。
ただ、それでも物語のラストは割と衝撃的で、まあ、太陽の国のスパイ・クラエの方はそうなんだろうなあ、軍人の子供なんだろうなあ、と予想がつくが、月の国のスパイ・ブルーノが白人に差別される難民であることはラストまでとんと分からなかった。
ラストのパンチでストーリーがマシに感じられているところがあって、冒険の道中はかなり眠気がヤバかった。最初の方の、仲違いしながらも段々と仲良くなっていくところはよかったが。というか、脚本がさほど面白くなかったのか、あんまり筋を覚えていない。
子供の間なら色んなことを気にせず一緒にいられるが、大人になるにつれしがらみが増え、対等には付き合えなくなるという魯迅「故郷」のような物語。ただ、魯迅に存在するのが地主と農民という身分差なのに対し、本作にあるのは、難民と先進国の国民というより大きな枠組みの中で差別・対立。実際、ラストでクラエが車に乗って鉄網で隔離された難民キャンプを見るシーンは「故郷」以上の哀愁があったが、主人公二人が子供であるため、当人達にはあまり強く意識されていないようだ。子供という設定によって人間同士が本来的に対等であると示されるが、それは幼少期の幻影にすぎない。クラエとブルーノが夢の中に遊んでいるのは幼き日の夢的面を強調するためなのかもしれない。
オチはクラエが、友のために先進国を内から変えていくことを予感させるが、それを「潜入に成功した」という遊びの延長の台詞で表現することには微妙さもある。これは、クラエとブルーノの絆を象徴している言葉と取れる一方、先進国と難民の格差を目の当たりにしたことも、それに対して何かをしようと思うことも、結局は遊びの延長線でしかないと読めるのだ。後者の線で解釈する場合、先進国の傲慢さ、具体的には就活のため海外ボランティアへ行くような浅ましさを皮肉っていることになろう。