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2024年アニメ映画評26・「ユニコーン・ウォーズ」

 スペインのアニメーション監督、アルベルト・バスケスの新作映画。以前に「サイコノータス」という作品を上映していたが、京都ではやってなかったのか、観ていない。かなり面白く、8点はあるが、なんかずっとキモグロいので出来の良し悪し以前に人をかなり選ぶ。よう分からんことが延々と起きてから一気呵成に話が終わる。
 テディベアと魔法の森に住むユニコーンの間には代々戦いが絶えない。主人公のテディベア・アスリンは双子の兄・ゴルディと共に、新兵訓練所で辛い特訓の日々を送っていた。ある時、森から戻らない部隊を捜すため、アスリンら新兵部隊は捜索に駆り出される。毒キノコを食べたり、ユニコーンに襲われたりしたためアスリンら兄弟以外は全滅。ユニコーンとの戦闘で重傷を負い、顔に消えない傷がついたアスリンは何とか基地に戻る。彼は仮面をつけて兵の指揮を執る内カリスマとなり、自らの地位を維持するため戦争を長引かせてきた上層部を虐殺し、基地を乗っ取る。一方、兄のゴルディは森で出会ったユニコーンと仲良くなり、彼らの心根の優しさを知る。基地を掌握したアスリンは全軍を率いて最終決戦に赴き、ユニコーン達もそれに応戦。森は火の海となる……。
 カートゥーンアニメ調の絵柄で、かなり可愛らしいが、それと対比的に内臓も血液も一切デフォルメがなく、普通にグロい。ホラーみたいな盛ってる感じもなく、妙にリアルなのが生々しく、観ていると少し頭痛がしてくる。奇抜な配色のサイケデリックな表現もパンチがあり、動きもいい。
 本作ではユニコーンとテディベアが戦争しているが、「鏡の国のアリス」にもある通り、普通、ユニコーンと戦うのはライオンだろう。テディベアにしているのは、その愛らしさとグロのギャップを狙うためでもあるが、人工物であり、棍棒外交で知られるアメリカ帝国主義者、セオドア・ルーズヴェルトを想起させるからだろう。要は、侵略者・人類と自然を司る瑞獣を対比しているのだ。テディベアの祖先が森の奥で聖書らしきものを見つけて知恵を得る設定はテディベア=人間を印象づける。ただ、エデンの果実は蛇=ルシファーと結びつけられるものであるし、テディベアは狂暴な存在として描写されてもいるから、人というよりは悪魔の象徴かもしれない。   
 下敷きになっているのは多分『失楽園』で、そこから敷衍すると、テディベア=悪魔、ユニコーン=天使と取れ、先の考えが補強される。『失楽園』の悪魔達は天使との戦争に際して火器を使っており、テディベアが銃火器を使うのもそこに由来する可能性はある。
 物語のラストで、アソリン、ゴルディ、ユニコーンの三者が融合し、それが人間の起源となる。この結末は救いがあるような、ないような感じ。ゴルディがユニコーンに近い性質だから、悪1:善2というブレンドで、人には悪意よりも善意の方が多いという希望が描かれているのかも。
 この図式で行くと扱いが難しいのが猿だが、これは単に動物と取るべきなのかなあ。
 こうした聖書的な光と闇の戦争および人類誕生というモチーフの他、可愛さへの執着というテーマもある。主人公のアソリンは母親に愛されていなかったと感じており、その考えは離婚に際して、ゴルディが母に選ばれたことで強固になる。アソリンは自らが可愛くなかったがゆえに母に好かれなかったと思い込み、可愛さに異様な執着を抱く。テディベアの伝承では、ユニコーンの生血を飲むと不老不死になれ、アソリンがユニコーンを絶滅させようとしているのも永遠の可愛さを手に入れるためである。このような渇愛感情からアソリンは戦争へのめり込み、自らの過去を贖おうとしている。トラウマは人類滅亡のトリガーにもなりうるというところか。
 テディベアは全体に強烈な人種差別意識を持っており、有色人種を忌み嫌う近代の白人のようでもある。その例外はゴルディで、彼は敵であるはずのユニコーンの子供に同情し、面倒を見ている。彼には偏見がなく、純粋な善意で他者を救おうとしているので、テディベアの良心のように描かれている。が、その善意も、アソリンの生い立ちと対比するならば、親から真っ当に愛されたがためのものと言え、幼少期の経験が如何に後々まで糸を引くかを如実に描いたキャラと捉えられる。

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