名言で勝手にエッセイ 【8】
※2024年7月6日、改行等、少しだけ加除訂正してみました😅
本日の名言
今回は、発明王トーマス・エジソンに依拠してみました。
しかし、自分には
彼の天才観(99%の努力にラスト1%、
仕上げにインスピレーションが降ってくるんだ…)は眩しすぎます。
憧れるし参考にはしますが、
インスピレーションが降臨するほどの大研究はしていないので、
今回はパスしています。
むしろ、凡人としては、
発明王の逆境観を彼から学びたいと思います。
試訳
訳出にあたり考えたこと
exhausted には「疲れ果てた」という意味がありますが、
ヒトと違って抽象的可能性なるものは疲労を感じませんので、
意味合いとしては、
おそらくは可能性が摩耗したり空費された。
だから例えば、「時間の無駄」を wasting time とするような
徒労感のニュアンスで exhausted 、意訳して「命運尽きた」
とでもするのが良いのかもなと思ったのです。
が、命運ってひっくり返せば要は運命です。
そうなると、当たるも八卦当たらぬも八卦ってことになり、
なんだかすべて神頼みみたいになってくる。
でも、冒頭に触れたような、
エジソン本人の「天賦の才」に関する見識では、
まず前提として、
努力を99%しとかないと、
神は仕上げの発見や直観を降ろしてくれないわけですよね?
僕らのはどうか不明ですが、少なくとも西洋の神は。
そういう人が可能性について名言を遺しているのだから、
「努力でほとんどのことは何とかなる」
という経験主義や実証主義的なニュアンスで訳すべきだと思うのです。
だとすると、この逆境の名言は結局、
「possibleなことをいくつお前は積み重ねたんだ?」
という人為の確認、自問自答の裏返しになってくるのかなと。
天命の反対。運命の反対。
なので命運という運の巡りの話でもない。
それで、受動でなく、能動的に見えるように、
可能性を(あたかも手札みたいに?)使い果たした、
というふうに訳してみました。
これなら、使い果たす動詞への主語としての対応関係は、
話者が相応しく、神頼みではないよなと(最後の1%を除いて)。
類例
上記のような観点で眺めると
実は、天才について語っていないにもかかわらず、エジソンと同じことを指差していたのではないか、という言葉
そういうもの👇が日本にもいくつかあります。
人事を尽くして天命を待つ
為せば成る、為さねば成らぬ何事も
諦めたら、そこで試合終了だよ(安西先生…)
締めくくりにもう一度
▷共同マガジンの紹介
ご縁があって、下記3つの共同マガジンに参加させていただいています。
様々な作風の方々が、思い思いに、多彩に投稿されています。
よろしければ、ご覧になってみて下さい。
▷まとめマガジンあります
他のエッセイも読んでいただけたら、嬉しいです。
よろしくお願いいたします。