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サウジアラビアのお話

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#サウジアラビア

イスラム教って…

アラビアに住んでいたと言うと、まず最初に聞かれるのが
『アラビアに何年いたの?』

自分は一度目のカフジ駐在の折に生まれたので、0歳からイランイラク戦争が起こるまでの3年間をカフジで過ごしました。そして二度目の赴任で、小学2年生の終わりから湾岸戦争が起こるまでの3年間を再びカフジで過ごしています。なので合計6年間ほどかな?
流石に3歳までの記憶はありませんが、やはり強烈な思い出だったんでしょうね。

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カフジのお買物事情

当時のカフジには信号がありませんでした。
でもなくても困りません。大きな交差点は みんなロータリーになっている からです。
日本では滅多に見かけませんが、ロータリーというのは交差する道のど真ん中に島(円形の侵入不可区域)がある交差点のことです。当然車で真ん中を突っ切って進むことができませんから、いったん島の周りに沿って1/4~3/4周回ってから、自分の行きたい道に進むことになります(島の周りの道は

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海でただただ漂う日々

日本に戻ってきて以来数十年。『アラビアに行ったことあります』なんてレアな話は父の会社の人間以外ほぼ聞いたことありませんが、それでもたまにいらっしゃいます。友人にエジプト料理の店に連れていかれた時、隣の席に座ってたおじ様がそうでした。
でもね。
『俺もアラビア住んでたんだよ!』
と言われて親近感が湧いて、よくよく話を聞いてみるとドバイとかなんですわ。

もうね…。

誰がそんな今をときめく金持ち都市

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酒は命の水と言うけれど…

英語で"The"っていう単語がありますが、これはアラビア語だと"al"という言葉にあたります。
街名にもつくので、私の住んでいたカフジも正式名は"Al Khafji"。

これからわかるように『アル』から始まる言葉ってアラビア語が語源のものが多いんです。例えばアルカリとかアルケミ(錬金術)。大昔サウジアラビアは化学の発展していた土地だったので、化学用語はアラビア語を語源とするものが少なくないんです

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エジプト旅行記2

て、エジプト修学旅行の話の続きです。
いよいよ修学旅行当日になり、当時小学校3年生だった生徒3名・教師2名・看護婦1名でカフジを出ることになりました。
近所の空港まで車で3時間。そこから飛行機で4時間ほど乗るとエジプトに着きます。お手軽ですね。
日程は機内泊なしの2泊3日。
初日はカイロ博物館に行ってミイラの作り方を学び、その後はパピルスのお土産店に行ってパピルスの作り方やヒエログリフを学ぶ。翌日

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エジプト旅行記その1

小学校の修学旅行はエジプトでした。
これ、酒の席とかでうっかり話すと、大体3回くらい聞き返されます。
そりゃそうですよね。

「子供の頃の修学旅行、どこだった?」
「フツーに京都・奈良だった」
「うち沖縄」
「北海道行った」
「いいな~」
「うちはエジプト」
「えっ?」
「えっ?」
「だからエジpt…」
「え…えっ!?!?」

大体いつもこんな感じ。
私立だったの?と聞かれるのですが、たとえ私立だ

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夏と冬限定のアイツ

夏休みや冬休みになると、大体の家庭は国外へ旅行に出かけます。
カフジにいても砂漠しかありませんし、夏は3ヵ月。冬は2カ月も休暇があるので。

なので夏休み・冬休みの度によくヨーロッパへバカンスに行っていました。羨ましいと思う方もいるかもしれませんが、アラビアから日本って本当に遠いんですよね…。家族で帰るのも一苦労なので、大体は近場のヨーロッパあたりに遊びに行くのがカフジ民の常だったんです。

が!

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現地人のお金の使い道

元々アラビアは遊牧民中心の貧しい土地でした。
が、黒いダイヤと呼ばれる石油の発見により、アラビアは世界に名だたる一大成金国家に転じます。
サウジアラビアの正式名称はサウジアラビア王国。つまり王政です。今では珍しい絶対君主制ですから、石油の利益も王様1人で丸儲け。当時の王様はもう笑いが止まらなかったんじゃないでしょうか。
頭の中がフィーバーした王様が自分の顔を刻印した金時計を国民にバラまいたとかいう

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アラビアの食文化

私達が住んでいたカフジ。つまり会社の居住区には、現地のアラビア人も住んでいました。父が務めていたのは日本の会社でしたが、だからといって現地において日本人が偉かったというワケではありません。日本側はあくまでサウジアラビアで石油を採掘する権利を一時的に買っているにすぎなかったため、社内での階級がものすごく高い現地人もたくさんいました。父の上司もアラビア人でしたし。
彼等のような一部のお金持ちな現地人は

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現地人と魚の関係

ウジアラビアは観光ビザがないので、基本的に観光客がいません。
そして砂漠だらけなので人口も(ry
そのためか、海も砂浜もとても綺麗です。
毎日学校が終わると海へ泳ぎに行っていた私ですが、海でできるもう一つの娯楽が釣り。現地のルールで女性は船に乗ってはいけないため、沖釣りはできなかったのですがよく父と浜辺で釣りをしてました。
釣れる魚はアジ・サヨリ・キス・コチ。たま~にモンツキ、タイ、ベラなど。そも

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和食だからなんでもいいってわけじゃ

アラビアにいる時って何食べてたの?
とよく聞かれますが、毎日普通に白いご飯とみそ汁と漬物とか食べてました。米って言っても現地の米じゃなくて日本の米です(そもそも現地では米は作れないだろうけれど)。米や缶詰、乾物などの腐らないものは会社が手配してくれる船便で注文。魚はアラビア湾が目の前にあるので、自前で釣る。肉は生協で購入(豚肉は禁止されてるので主に牛か鶏)。
野菜も生協で買うのですが、国がお金持ち

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アラビアのお話

アラビアのお話

β版提出後で仕事があまりにヒマなので、ちょっと生まれた国の話でも。

私はサウジアラビアのカフジという場所で生まれました。
理由は父の仕事の関係です。

ただ、アラビアで生まれたといっても、うなるほど金を持ってる方々が集まるドバイとかああいうゴージャスな都市を思い浮かべてはいけません。
カフジは、いわば日本の会社が油田採掘のためだけに作った村。金網で囲まれた居住区にはキャンティーン(生協)や幼稚園

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