やはりおもしろいのだ
そのむかし、テレビ番組のコーナーで《食わず嫌い王決定戦》というものがあった。
有名人同士が、好物としてえらんだ数品の料理を交互に食べすすめ、その中から、相手が本当は苦手な料理や食材を当てる、という心理戦。
当てられた方は「参りました」と宣言してゲームセットとなる。
自分がやるならなにを選ぶか、という妄想を、一度はしたことがあるのではないだろうか。
いま思いついたのは、焼き鳥、チキン南蛮、だし巻き卵、納豆。
ラインナップの時点で「参りました」である。
きっと関西人の祖母からの隔世遺伝だ。
食べ物に限らず、《体験》にも食わず嫌いがあると思う。
体験版の食わず嫌い王選手権があるなら、わたしは次の4つを選ぶ。
演劇、ミュージカル、音楽ライブ、お笑いライブ。
これなら当てられないかもしれない。
正解(食わず嫌い)は、ミュージカルだ。
理由は、情緒がどうかしている、から。
今までの流れをなきものにする、突然の歌唱と舞い。
ふつうに喋れば伝わるところを、なぜにわかに歌い出すのか。他のひとが歌っているところに被せてきがちで、副音声みたいなときがあるし。
実際、ミュージカルを模したコントをよく見かける。
コントのネタにされるということは、やはり「いきなり歌い、そして踊り出す」のは現象としておもしろいのだ。
だが、わたしが惹かれてやまない江口のりこさんがミュージカル初挑戦と聞いたら、話は別だ。
『夜の女たち』は、戦後間もない大阪・釜ヶ崎を舞台に、生活苦から夜の闇に堕ちた女性たちが必死で生き抜く姿を描いた物語。1948年公開の映画が原作である。
シリアスなテーマにミュージカルをあてがう、という手法にも興味をそそられた。
これは、食わず嫌いからの卒業チャンス。
行儀よくまじめに観られるだろうか。
いちかばちか、劇場へ参った。
2時間40分後、劇場で参った。
ミュージカルへの屈折した感情が、180度とはいかないまでも、90度くらいはかわった。
歌が流れをなきものにするとは、たいそう失礼なことを申し上げた。
節がつき始めた時点で「きたきた…」と思ったものの、そこまで唐突感や違和感はなかった。
大阪の話ゆえ、登場人物のほとんどは大阪弁。言葉自体にもともとリズムや抑揚があるからか、歌へのつながりはシームレス。
ミュージカル初挑戦の役者さんが多いこともあり、歌唱に関しては、良くも悪くもミュージカル俳優特有の朗々としたそれではなかったのも要因かもしれない。
案外スッと受け入れられた。
なにより、歌があると、意外にもストーリーが頭に入りやすい。
脳内に大音量で直に語りかけられているような。
演劇はよく観に行くが、ときにそれは言いまわしが難解だったり、話の展開が複雑だったりで、集中しすぎて脳がカリカリにキャラメリゼされるような感覚に襲われることがある。
ミュージカルは、歌や踊りのトーンで、その場面が楽しいのかシリアスなのか雰囲気ですぐにわかる。
セリフが歌詞になっているので、言いまわしも簡潔。同じフレーズを何回もくりかえすから、説明的なセリフでもスムーズに頭に入った。
主人公が夫の死を知らされるシーンでは、夫の名「おおわだけんさくさ~ん」が切ないメロディで連呼された。
一生分の「おおわだけんさくさ~ん」を聞いたため、リフレインが止まらない。
このパートを歌う江口さんなんて、公演を通じて人生十周分くらい「おおわだけんさくさ~ん」を呼んでいるだろう。
ちなみに江口さんの歌唱は、高音がまっすぐに透き通っていてとてもきれいだ。普段のここちよいアンニュイな声とはまた違う。
たとえるなら、天使の梯子(薄明光線)のような。
そのわかりやすさは、美術作品につけられたキャプションに似ていた。
日本語、あるいは漢字の説明よりも、英語の説明の方がわかりやすいことがある。
という文字面よりも
のほうがシンプルで「ああ、富士山の絵ね」と理解しやすい。
別の表現を通すことで、より伝わりやすくなることを体感した。
情緒がどうかしているのではなく、情緒が(強めに)うったえかけてくるのだ。もとい、緩急がついている、というべきか。
この作品自体も、重く沈みがちなテーマにミュージカルを合わせることで、戦後の困難な状況下で強く生き抜く姿や感情、心のさけびが、より強調されてストレートに伝わってくるように感じた。
ただ、江口さんがふたりの妹たちと手を取り合い、3人で輪になってクルクル回るところは、ザ・ミュージカルな感じがして、だいぶおもしろかった。
「ウフフッ…アハハッ…」という声が脳内で勝手に付け足し再生されてしまい、笑いをこらえた。もしそのまま回転が速くなったら、これはもはやコントだな、と妄想が広がってしまった。
だからまだ、わたしがミュージカルへ抱く屈折した感情も、回転は90度でとまっている。機会があれば、また足を運びたい。
江口さんは、上記インタビューの中でこう語っている。
やはりおもしろいのだ。
あらためて、江口さんの魅力にすっかり参ってしまった。