秋を始めよラフランス
秋が来たと、目には全然見えないが、虫の声には驚かされた。
玄関の天井にサッと見えた黒い影に、顔が楳図かずお氏のマンガのように凍り付く。
ほどなくして、リッ、リッ、と小さく涼やかな声が聞こえはじめた。
なんだ流しのコオロギか、と思い見逃した。
だからかどうか知らないが、その日の夜、
「あのとき見逃していただいたコオロギです!あなたのためにうたいます!きいてください!」
と言わんばかりに、大音量で鳴き始めた。
寝室のエアコンの上あたりで。
また顔が楳図かずお化する。その響き、もはやライブハウス。
きみは、音漏れくらいが風流なのだ。野外ステージに飛び出したまえ。
聞こえてくる音は秋めいてきたし、店頭のケースの中も、なかば強制的に秋色に変わりつつある。
ビーカーに描かれたダンディおじさんよりも、プリンの天面から飛び出したヘタに目を奪われる、マーロウの期間限定ラフランスのプリン。
ラフランスのプリン、という名前に何の異論もないくらい、プリンにラフランスをそのまま沈めて閉じ込めたような見た目。
ほのかに、平野レミさんの衝撃的なレシピ感がある。
素材の良さを活かすというか、素材の姿を、そのままにする感。
数年前から、この豪快なプリンが店頭に並んでいるのは心得ていた。
みずみずしくシャリシャリの和梨もいいのだが、香り高く濃厚な甘みの洋梨は、気温が下がりはじめると恋しくなる味。
でも、ひとつ1,000円、そして内容量200ml超という大ボリュームに恐れおののいて、なかなか手が伸びなかった。
しかし、今年は夏の終わりが見えない。
暑すぎた夏が終わらない。
冷やし中華も終われない。
小さい秋も見つからない。
そのうち冬がはじまるよ。
体内時計は秋を欲しているので、味覚だけでも秋をはじめるのだ。
季節物は縁起物。
ところどころ焼き色のついたまんまるの天面は、中秋の名月を彷彿とさせる。
そして、もはやラフランスのプリンコーティングの様相を呈している。
ラフランスを、かき氷のように削りながら食べるのだろうか。
ちょこんと飛び出したヘタを持ち上げたら、ラフランス本体が、おおきなカブのようにズボッと飛び出したり…?
おそるおそる引き上げてみる。
ヘタだけとれた。
山形県産のラフランスのコンポートは、ぜいたくにまるまる1個つかわれているものの、食べやすいようにカットして入れてあるとのこと。
ありがたい。
見た目のラフランス感を強調するため、ヘタの部分だけ残して飛び出すように仕立てているのだそうだ。
スプーンを差し込むと、さっそくゴロゴロのラフランスが飛び乗ってきた。
スプーンが隠れてしまうほど、大きくカットされたラフランスと、それにじゃれついてくるカスタードプリン生地。
すくってもすくっても、ラフランス。すきまをぬうように、カスタードプリン。
あきらかに、プリンよりラフランスの方が多い。ほとんどラフランス、およそラフランス。
コンポートなのでねっとり感こそないものの、ラフランスのみずみずしくも濃厚な甘みを、なめらかな甘さのカスタードプリンが包み込む。
底に入っているカラメルがしっかりほろ苦いので、途中で味変も可能。一気に大人の味になり、秋も深まる。
シンプルなカスタードプリンだと、200ml超はけっこうお腹に来るのだが、このプリンは食べ応えがありつつも、まるごと1個余裕だった。
ところで、英語のpear-shapedには、「洋ナシ型の」というそのままの意味のほかに、音声が「朗々とした」「豊かな」という意味もあるという。
本当に使われているのかどうかは知らないが。
寝室で朗々と鳴いていたコオロギは、家の中で場所を点々としたあと、いつの間にか声が聞こえなくなった。
野外ステージに飛び出してくれただろうか。
凱旋コンサートは遠慮したい。
マーロウのインスタを見ていたら、ラフランスのプリンよりも、もっと素材そのままの平野レミさん的メニューが流れてきた。
葉山マリーナ店限定の秋メニュー、丸ごとラフランスといちじくのクリームソーダ。
おそらくこれ、ソーダを自分でつぎ足して飲むのだろう。
暑すぎて終われない夏に飛びこんだ、秋色がまぶしい。