諦めることを教える大人にはなりたくない
この世にいろんな機会は数あれど、今の世の中で学習性無力感だけは学ぶ機会が山ほどあるな、と思っています。(皮肉です)
やってもやっても、報われないことがほとんど。
もちろん良いことじゃない。
そして私が育ってきた昭和~平成前半にかけてより、今の方が『努力は報われる』って言いづらくないですか?
日本社会がもはや成長フェーズでないから、致し方ない側面はあれど。
昔も今も、個人的には《努力より方向性の方が大事》だと思っているのですが、一方で子ども時代には努力すると良いことがある→だからもうちょっとがんばる→しんどいことも出来ちゃったりする→もっと良い結果がでる(自分も周りもハッピー)というサイクルを身体ごと学ぶ体験が必要だと思っています。
そして、貧困の問題で大きいのは
努力して自己効力感を得る機会 <<< 無力感を感じる機会
だと思うのです。
体験格差とかいろいろ騒がれていますが、個人的には学習性無力感が強化される機会の多さの方が問題なんじゃないかと。
やってもどうせ無駄→一時的な回避行動を求める、そしてそれらを満たせるフリーコンテンツはスマホを使えばいくらでも手に入る。
今年の夏、フィリピンに行ったときにも思いましたが、現代ではどんなに貧乏でも(たとえ家がなくて、お墓に住んでいるフィリピンの人たちでさえ)スマホは持っているんです。YouTubeもTicTokもタダ。
本体の購入と通信料は必要だけれど。
そんな世の中で、そのままの自分で受け入れられ、さらに努力して良い成果を残したら褒められるってもしかしたらそれだけで特権なんじゃないかと思います。
この漫画を読んだことも影響しているかもしれない。
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私がもう一度雇われ仕事をしようかな、と思ったきっかけとなったのは、先方とのカジュアル面談でした。
どういう人たちと働くのか、仕事の内容が面白そうかどうかは当然私にとって重要なポイント。でも、実は心を動かされたのは、これからの未来を担う子供たちに夢を与えられる仕事を作る、そのために組織として直接国に働き掛けることができるという話だったりする。
実際のところ働きかけてこの国がすぐ変わるか?という夢がみられないくらいのリアリストではあります。
でも、何もしないで文句を言っている大人よりは、少しはましじゃないかと。
私自身は政治にも期待していないし、大して興味もない。
就職を考えるときは、身内に公務員が多いわりに公務員だけは絶対嫌だと思っていました。(ちなみに次の仕事は公務員ではありません)
ただ、子どもを産んだせいか、自分が歳をとったせいか、この社会に文句だけ言って何もしない大人の一人で居続けるのも嫌だな、とうっすらとどこかで思っていたんです。たぶん。
それにママとしても、妻としても、社会人の一人としてもちょっと残念なところが多い自分でも、多少は世の中に役立つ、少しましな人になりたいと思っています。(願望)
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と言いつつ、実際の契約書面を見ると民間の条件を知っている私にはうーん、と思ってしまうところばかりで、働き盛りの今この仕事を選んでいいのかという迷いもあります。
(民間出身枠のポジションなので、考慮されてはいると理解しています)
早期退職したときに、もうお金にとらわれるのは止めよう、自分にとって大切なものを見つめよう、と思いましたが、なんだかんだ言ってまだまだお金にとらわれているんだな、と。
はぁ・・・。
そんなときにたまたま目にしたこちらのnote↓
お金のブロックの話、とっても腹落ちしました。
いやー、この次元にはまだまだたどり着かない。
頭での理解と、自分事として腹落ちするのってまだまだ距離があるのだな、と痛感した出来事でした。
読んでくださってありがとうございます。
参考:
専門家による学習性無力感についての記事 ↓
momomiがセブ島(フィリピン)のスラム街を訪れてみて思ったこと ↓
仕事を再開することになった話 ↓