映画『赤線地帯』(1956)売春防止法成立直前の吉原を舞台にした溝口健二監督の遺作
日曜の夕べは映画のご紹介、
と考えていたのに昨日は投稿できず、月曜になってしまいました。
荻昌弘さん、こんにちわ。唐崎夜雨です。
さて今日の映画は、
1956(昭和31)年の溝口健二監督作品『赤線地帯』です。
以前に投稿した市川崑監督『日本橋』、成瀬巳喜男監督『流れる』や川島雄三監督『洲崎パラダイス 赤信号』と同じ年の作品です。
『洲崎パラダイス 赤信号』は題材が似ているけれど、あちらは遊郭の中を描いてはいない。『赤線地帯』は遊郭の中のおんなを描いている。
そして、本作は溝口健二監督の遺作になります。
遺作と呼ばれる作品は、本人が最後の作品になると思って撮っておらず、あくまでも結果的に最後の映画になったということが多い。
『赤線地帯』も然り。
映画監督・溝口健二は、1956年8月24日に58歳で亡くなる。
『赤線地帯』撮影中からすでに体調を崩していたようで、それでも映画は3月に公開され、次回作『大阪物語』の準備に取りかかっていた中での入院。病名は白血病。
しかしながら、58歳は若い。
自分が老境に差し掛かってみると尚更そう思います。視力が落ちた、体力は落ちた、精力も落ちたと実感していても、死は意識していないもの。
脚本は成沢昌茂、原作は芝木好子。
芝木の原作は『洲崎の女』で、劇中の一篇として使用された。
本作は5人の娼婦の物語で、誰が主役というわけでもない。
溝口健二の描く女性は、男性や社会に翻弄され踏みにじられるタイプが多い。ここに描かれる売春婦もそうゆう女性たち。
とはいえ随所にコミカルな要素もあり、湿り気はうすい。勝手ながら、溝口健二が撮ったコメディだと思っている。内容が盛りだくさんのわりに、尺が1時間半くらいなので唐崎夜雨にはちょうどいい。
ちなみにですが、
「赤線」というのは公的に認められていた売春地域で、女性は店に属して働く。正しくは特殊飲食街(特飲街)と呼んだ。
「青線」というのもあるが、こっちは非合法な売春地域。
舞台は売春防止法が国会で審議されている頃の吉原。
冒頭に浅草が映る。おそらく松屋の屋上から撮影したもの。
そこには雷門も宝蔵門も五重塔もない、殺風景な浅草寺がみえる。
売春防止法は1956年の5月に成立、翌1957年4月施行。ただし罰則は一年の猶予があたえられ1958年4月から適用された。
映画の中ではまだ法案は成立していない。
でも娼婦たちは不透明な先行きに不安を抱えている。
娼婦を廃業して転職しなければならないとしても、当時の日本で女性がそこそこの収入を得られる職業はない。
当時の初任給は1万円前後らしい。映画の中で、もらえるのはせいぜいが5,000円で15,000円ももらえるところはない、と女が言っている。
この映画だけでは、当時の彼女たちの値段はわからない。
いずれにしても、5人の女たちはさまざまな理由から体を売っている。売春防止法の成立は彼女たちにとって死活問題。
ゆめこ(三益愛子)は夫と死別。田舎に預けてきた息子と暮らすことを夢見て働いている。
ハナエ(木暮実千代)は病気で働けない夫と乳飲み子を抱え、通いで働いている。こうゆう商売で、通いは珍しいのではと思う。
よりえ(町田博子)、彼女の過去はよくわからない。一緒になりたい男はいるようだ。
やすみ(若尾文子)は父親の疑獄事件から身を売り、金への執着は人一倍強い。お客を騙して金を巻き上げている。
ミッキー(京マチ子)は神戸の貿易商の娘で父親との確執から家を飛び出した。この中ではいわゆるアプレ(戦後の新しい感覚を持つ若者)。
そして、溝口健二監督は彼女たちを追い詰めていく。
そこは『西鶴一代女』や『近松物語』ほど執拗ではない。主役が5人いるし、尺の問題もある。じっくりねちっこく踏みにじってる暇がない。
ゆめこは愛しい息子の為に働いているのに、その息子から突き放される。息子は売春婦の母を受け入れない。
ハナエはいわば旦那の為に身を売ってるのに、その旦那は自ら首を吊ろうとする。
よりえは恋しい男と一緒になるため一度は赤線を抜け出すが、貧しい家の女房では使用人同然にコキ使われ、貧乏に耐えられず、また戻って来る。
やすみはアコギなやり口に逆上した男に襲われ、ミッキーは連れ戻しに来た道楽オヤジに、またまた失望する。
このうえ売春防止法が審議中とあって、吉原「夢の里」はてんやわんや。
溝口健二監督の作品と言えば、ワンシーンワンカットの長回し。
やすみが仲間から借金を返してもらうシーンは個人的にツボ。長回しのカメラのなかにいろいろな人物が出たり入ったりするから。
若尾文子と三益愛子が立っているところに京マチ子登場。
借金のカタに指輪をとられた京マチ子が退場。
ついで木暮実千代が登場しかけて三益愛子は退場。
木暮と若尾の話し中に奥から加東大介登場。木暮実千代は退場。
加東の登場で手前座敷から進藤英太郎と沢村貞子が顔を出す。
三人の会話を側で聴いてる若尾。店を出てゆく進藤と加東。
ひとり残る若尾文子。
こうして書き起こしてみると舞台演劇のようです。
細かいショットを積み重ねて映画的なリズムを活かすより、役者の芝居を見せる監督だと思う。
そして「夢の里」のセットが見事。うなぎの寝床みたいに奥行きがある。
カメラを店の奥から入口の方へ向ける。店先で客引き、中間で客と談笑、手前で密談なんていう芝居が一度にフレームにおさまる。
奥のほうで無名の役者さんが芝居をしているなら、ただの背景になってしまい、それほど目がいかない。
だが、小さく映る京マチ子が店先にいて、中間を若尾文子、奥から手前に木暮実千代が走ってきて、一番手前に三益愛子となると、注意が奥へ行ったり手前へ行ったりする。
遠近の奥行きがある映画は、奥行きのある人物表現に通じるかも、とふと思う。
撮影は宮川一夫。美術は水谷浩。音楽は黛敏郎。
店の女将さんに沢村貞子。浅草のハッキリした物言いの女将さんにおていちゃん(沢村)はぴったり。店の主人に進藤英太郎、店の婆さんに浦辺粂子、関西からの客に田中春男、女に騙される十朱久雄、ちょっとだけの登場の加東大介と脇の名前をみただけでも軽妙さがうかがえる。