石原慎太郎著(2022)『自分の頭で考えよ』株式会社プレジデント社
生き様が言葉で現れている本
久しぶりに著者の『天才』という本を読んだので、ついでにもう一冊kindleで購入して読んでみた。実のところはタイトルに惹かれて購入した次第である。
現代において、良し悪しあれど信念をもって言動する人は政治家を含めても少なくなった気がするが、そういう中においてはきちんと物事を判断できた部類に入る人だと思う。その考え方というものが、本書の中にも散りばめられている。
また著者が病床にあって、三島由紀夫との書簡のやり取りのエピソードも知ることができ、著者が影響された人という意味で理解できる。そして戦後の教育の方針変換にともなう経験というものが彼の人生に色濃くその影を落としていることにも気づき十分に理解できる。
これらが政治家としての考え方に影響しているのかも知れず、政治というものは本質的には指導者ひとりがやるもので、ゆえに政治家というのは人のいうことは聞かないということを、危険な考えと思いながらも吐露している。この見解は、わたしの知るウェーバーの『職業としての政治』の考え方にある政治家像と似ていると感じた。
そしてまた田中角栄の金権政治の国家的危うさへの急先鋒だった著者が、それでも強い興味と魅力を田中角栄にみているという点も、彼の著書『天才』と同様に不思議な感覚を与えている。それは、西郷と大久保に関しても、大久保の方を評価する著者の考え方にも通じるところがある。国家としての目的と結果、その先を見通す目というものに著者は憧れを感じていたのかも知れない。ある意味織田信長のようなある種の異端者、異能者、いわばベンチャースピリットをもっている人物への憧れなのであろう。
わたしが共感するのは、人間の価値は発想力で決まるということ。「人の考えないことを考えつく発想力、人がやらないことをやってのける行動力、現在だけでなく、未来をも見越してビジョンを描ける能力、それが才能です。発想力のない人間は単なる凡人でしかありません」という言葉は、今の多くの社会人に当てはまる言葉だと思う。
また平和に関しては、所詮人間の理念としてのアンチテーゼの域を出ていないという見解。そして日本がこれからグローバル・ポリティカル・アイデア、つまり世界規模の政治理念を確立するために必要な技術的な投資に対して、アメリカはことごとく潰しにかかるという記述は、確かに現在においてもそのとおりであり、そこに安倍政権は挑んでいたが、岸田政権はアメリカに従順になりすぎてもはや潰されてしまった感がするのは、著者の見解が未だにそのまま通じている証でもあろう。
そして憲法や教育、環境問題などあらゆる課題で、最初に我々が他力本願の姿勢から脱する必要があると説いている。ODAのお金もばらまく割にはチェック機能が果たせていなかったり、課題が語られている他、日本のグローバルな貢献として公害防止技術の供与ということを真剣に考えられていたようである。
後半は老いにも触れており、「いかに死ぬかではなく、いかに生きるか」という点で、変化こそがこの世の姿と悟れば過去や今に拘らず未来への期待や自負が生まれると説いている。一度大病を患っているからこそ、生きている時間と残りの時間の活用に目が向いていたのだろう。
本書の最後に「私のことをいえば、どんなに気が滅入ったときでも、自ら死を選ぼうなどということをわずかでも考えたことはありません」という言葉が綴られている。この言葉は、三島由紀夫と著者との違いを端的に表した本書の最後を語るにふさわしい名言かも知れない。もしかしたら、その姿勢を示すことが三島由紀夫におくる最後の著者の言葉であり、また三島由紀夫をこえる著者の考えにほかならないからであろう。
最後にその真摯な男の生きざまというものを理解した。今の自分には、その生き様がよく分かる気がする。わたしも癌でそう長くは生きられないので…。