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かぎりなく0に近いなにかへ、そして、1になる

*2017年6月7日に書いた記事のリライトです。

獣肉処理場にひとり佇む。目の前には血抜きを終えた鹿が吊られている。
吐き気がする。冷や汗がにじみ出る。ナイフを持つ手が震えているのがわかる。……気がした。
山へ罠を仕掛けに行く。
「獣たち、どうか俺みたいな半端が掛けた罠を踏んでくれるなよ。もしそうなったら俺はお前らの生命を奪わにゃいかん」。くくり罠を地面に埋めながら、心からそう願っている自分にハッと気づいて、思わずその罠を放り投げた。
でも、もったいないからちゃんと拾って、罠はひとつも仕掛けずに家に帰った。…嘘だ。ひとつも仕掛けないって勇気もなくて、ひとつだけ、絶対に獣が踏むはずないって場所に仕掛けて帰った。

とにかく、やばかった。少なくてもぼくのなかでは、だいぶやばかった。

ーーー

虚像の1を塗りかさねて

口が上手いから人前でしゃべる仕事が向いているよと、ぼくはよく言われてきた。政治家向いてるんじゃないと言われたこともある。大学の時からビジネスコンテストなどの活動をしていたから、自分をよく見せるのはたしかに苦手ではない。
なまじ頭もあるから、もっともらしい理由を論理立てて、自分自身を納得させるのが上手だから気をつけろよ。とも先輩から言われていた。
欺こうという悪意のもとでしていたわけじゃなく。評価されるような、必要とされるような人間になりたいし、そうなれるようにと虚像の1を自分にどんどんと塗りかさねていたのだろうと思う。
ともかく、ぼくはそうやって塗りかさねてきた虚像の1の堆積に耐えられなくなった。現実の自分と、虚像の自分のギャップに苦しみ、手が止まり、足が止まり、頭が止まってしまった。
そして結果、今まで言ってきたたくさんの言葉を嘘にしてしまった。
本当に申し訳ありません。ぼくの言葉に期待してくださって、援助していただいた方々を裏切ってしまった。これは事実で、僕の責任で、恥ずべき、悔いるべきことです。

そうして、ぼくは西粟倉村を去った。

ただ、ひとつだけ。協力隊応募書類に書いていたことで、守れたかもしれないって言葉がある。ぼくがいつまで西粟倉にいるかわかりませんが、西粟倉をぼくの山の故郷として大好きな場所にしたいです。という言葉。
村を出るにあたりお世話になったたくさんの人に挨拶周りをした。その際に、多くの人からまたいつでも戻っておいで。いつ戻ってくるんや。と声をかけていただいた。最後に挨拶をした村長が去り際に言ってくださった「どうせ戻ってくるじゃろ」。の一言に、とても、とても救われた。

西粟倉村、大好きです。間違いなくぼくの故郷です。大切な人がたくさんいます。これからも懲りずに「ただいま」と顔を出しに行きますから。放蕩息子ではございますが、ぜひこれからも、どうぞよろしくお願いいたします。

虚像の1を塗りかさねるというテーマで、もうひとつ小話を。
好きなことを仕事にする。という言葉に惑わされている人が多い気がするので、ぼくなりの意見を書きたいと思う。
ある時こんなことを思った。好きなことを仕事にする。というのは、仕事人間をつくりだすための流行りの標語じゃないだろうか、と。
「仕事=働く」と捉えた上で、働くを因数分解してみると、こと、人、場所、時間などがあって。
好きなことで働く。好きな人と働く。好きな人のために働く。好きな場所で働く。好きな時間で働く。これって、自分自身が納得して働ける源泉になるなら、理由ってどれでもよくないか?好きなこと以外の、好きな時間や好きな場所のために働いてもなんの問題もないよなって。
しかもだ。当たり前の話だが、人生って働く以外にも大切なことってたくさんある。趣味だったり食事だったり睡眠だったり、子孫を残していくってのもそう。もしこれらが納得して働ける源泉の理由になるのならば、それで充分じゃないのだろうか。
それに、むしろぼくが最高にかっこいいなって思う大人は、家族や大切な人のためにって毎日働いている人だったりする。

ただ、ぼくは欲張りさんなので、好きなことで働いて、好きな人と働いて、好きな場所で働いて、好きな時間で働きたいと思っている。そんでもって、仕事以外の大切なこともぜんぶ大事にしたいなって思ってる。そして、これが若さなのかなって思ったりもしてる。

かぎりなく0に近いなにかへ

西粟倉を出るにあたって、僕は自分をかぎりなく0に近い状態へすることにした。いままで積み重ねてきたものに耐えきれなくなったのならば、一度ぜんぶ蹴飛ばしてしまって、まっさらにしてみようと思ったからだ。
ここで書いている0の状態というのは、数値としてなにもない0の状態、という意味と、形体として芯のない空洞の状態。という2つの意味を持っている。
世間の常識として、強大な1を持つ人間になるべきだ、芯のある強固な人間になるべきだ、と、誰しもが無意識にそう思い込んでしまいがちだ。だからこそ、逆振りしてみようと思った。ぼく、天邪鬼ですから。

でも、ただの天邪鬼でやるのではなくて、ちゃんと、0の状態に価値があるとは感じていた。なぜなら強大な1という存在は、それが強大であればあるほど、その周りには影ができてしまう。勝者がいれば敗者がいる。ならば強大な1にはなれずとも、悲しみに暮れている人にそっとコーヒーを差し出して、何も言わずに隣に座ることのできる人間になりたいと、そうぼくは考えていたから。

他にも良いことがある。自分を芯のない空洞の状態にすることで、それまで出会うことのできなかった他人の時間(人生)に触れることができるようになった。
例えば休日が一日あったとして、芯をもった人はきっとその一日を、自分の考える最も有効な時間にしようと”管理”するだろう。でもそれだと、自分の”管理”の範疇を超えた出会いは起きない。
対して、空洞の状態の人はその一日を”手放す=他人に委ねる”ことができる。そうするとなにが起きるか。だいたいの場合、一日を委ねた他人はこちらの判断基準では、まずありえない選択をしでかしてくれる。時間の使い方、行く場所、会う人、ほぼすべてにおいて。自分とは全く違う選択をして、自分の知らない世界をみせてくれる。
これ、最初はすごいストレスだけれども、ハマるとめっちゃ面白い。委ねる他人との相性とかいろいろと要因はあるが、パチッとハマると半端なく面白く、自分では想像しえない出会いや発見を提供してくれる。しかも万が一ハマらなくても、それらは自分の”管理”の範疇を超えたところからの刺激だから、それをしっかり咀嚼できる人であれば、必ず何らかの新しい気づきを得る事ができるはずだ。

とまぁ、こういう理屈を並べ立てて自分を納得させて、とくかくぼくは自分をかぎりなく0に近い空洞の状態へすることにした。

たとえすべてがなくなってしまっても、そこには一つかみの砂金が残っている

自分をかぎりなく0に近い状態に近づけるんだ。とは言っても、今までの自分を切り捨てるのはすごく怖いことで。そんなときに背中を押してくれた言葉がある。
太宰治の「正義と微笑」という小説の一節、教壇を去る教師が教え子たちに伝えた言葉だ。大学生時代、一番お世話になっていたゼミの教授が卒業式に送ってくれた言葉でもある。
少し長くなるが、がぜひ全文読んでいただきたいので抜粋させていただく。

ある英語の時間に、先生は、リア王の章を静かに訳し終えて、それから、だし抜けに言い出した。がらりと語調も変っていた。噛かんで吐き出すような語調とは、あんなのを言うのだろうか。とに角、ぶっきら棒な口調だった。それも、急に、なんの予告もなしに言い出したのだから僕たちは、どきんとした。
「もう、これでおわかれなんだ。はかないものさ。実際、教師と生徒の仲なんて、いい加減なものだ。教師が退職してしまえば、それっきり他人になるんだ。君達が悪いんじゃない、教師が悪いんだ。じっせえ、教師なんて馬鹿野郎ばっかりさ。男だか女だか、わからねえ野郎ばっかりだ。こんな事を君たちに向って言っちゃ悪いけど、俺おれはもう、我慢が出来なくなったんだ。教員室の空気が、さ。無学だ! エゴだ。生徒を愛していないんだ。俺は、もう、二年間も教員室で頑張がんばって来たんだ。もういけねえ。クビになる前に、俺のほうから、よした。きょう、この時間だけで、おしまいなんだ。もう君たちとは逢あえねえかも知れないけど、お互いに、これから、うんと勉強しよう。勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記あんきしている事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! これだけだ、俺の言いたいのは。君たちとは、もうこの教室で一緒に勉強は出来ないね。けれども、君たちの名前は一生わすれないで覚えているぞ。君たちも、たまには俺の事を思い出してくれよ。あっけないお別れだけど、男と男だ。あっさり行こう。最後に、君たちの御健康を祈ります。」すこし青い顔をして、ちっとも笑わず、先生のほうから僕たちにお辞儀をした。
 ー太宰治著; 正義と微笑

どうです。やばくないですか。
ぼくはこの言葉は生命の生死における救いにもなるぞと思っていて。いや、それ以上に、人類という種がいつか滅ぶとしても、この言葉は救いだと思っている。
だって、スゴくないですか?物質として測ることのできるモノ、認識できるモノがたとえ消失したとしても、そこには一つかみの砂金が残っている。そしてそれこそが貴いものなんだ。と、そう彼は言っている。
砂金を一つかみしても砂金は指の間からこぼれてしまうから、太宰治はきっと砂金を物質として捉えているわけじゃないはずだ。だから一つかみの砂金ってのは物質ではなく、きっと、象徴としての輝き、なんだ。
たとえすべての認識できるモノがなくなってしまったとしても、そこにはきっと、一つかみの砂金が残っている。
たとえぼくがいなくなってしまったとしても、そこにはきっと、ぼくがいたという輝きが残っているはずなんだ。
もし、この言葉を、彼の言葉を、信じることができるならば。

…すこし熱くなってしまった。まぁそんなこんなで太宰治の言葉に救いを求めながら、ぼくは前に進むことにした。

削っていくなかで出会える本当の1

西粟倉を出ることが決まって、くされ縁の友人に会いにいったときのこと。
例えすべてがなくなってしまったとしても、そこには一つかみの砂金が残っているはずだから。だから0の状態になって、空洞の状態で全ての流れを受け入れて生きていくんだ、この思想をもって世界を旅するんだとぼくは友人に息巻いていた。

そしてそんなときに、友人はこう一言、ぼくに聞いた。
「じゃあお前は人を殺せと言われればそれを受け入れるのか?自分が死ぬとき、それを受け入れられるのか?」
「…いやだ」。
即答だった。そして同時に気づいた。あぁ、これが本当の1なのかもしれない、と。
すべてを受け入れると言いながらも、いざ死ぬとなったら醜く生にしがみついてもがく。そのときにはじめて”生きたい”という自分の本当の1に気付けるんじゃないだろうか、と。
ついつい、自分という1を作り上げる手法として、ぼくたちは足し算を想像しがちだ。しかし、もしかすると、その手法には引き算も必要なのかもしれない。足していくばかりではなく、それをあえて削っていくなかでこそ、本当の1と出会える瞬間が訪れるのではないだろうか?

あくまで、ひとつの仮説だ。だから、これからこの仮説を検証して生きてるみようと思っている。

そして、1になる

と、いうことで。この仮説をたずさえて世界中を旅するぞ!と、とりあえず沖縄の離島で海の仕事することにした。
そして、結果、2ヶ月で仕事を辞めた。
職場や人間がひどすぎて、時間がもったいないから辞めると告げ、有無を言わさずに辞めた。
もうね。全然、自分を0に近づけられてなかった。というか、辞めるときに上司に直で言われた。お前はもっと0の状態になってくるべきだったな。プライドの高さが目に見えてわかる。と。
そう、つまり、大失敗。笑った。

いままでぼくが過ごしてきた日々は、思っていた以上に色濃くぼくに染み付いていたらしく、全然、削り取れんかった。やっぱり海より山が好きだったみたいだし、料理が好きみたいだし、ナイフ使ってると楽しいみたいだし、誰とでも一緒に働けるってわけではないみたいだし。どうせ自分の人生≒時間を使うのならば大切な人のそばにいたいと心から思えたし。

でも気付けてよかった。この気づきは、いままでの自分の虚像の1を削り取ろうとしたからこそ、出会うことのできた気づきなのだから。
こいつらは、どうやら虚像の1ではなくて、本当の1なのかもしれない。だからぼくはそれに素直に従って、福岡に戻って山で料理の仕事をすることにした。

これからぼくが勤務するのは、ハムやソーセージなどの食肉加工品の製造をしながらスペイン料理を提供している、イビサというレストラン。僕は食肉加工品の製造とレストランスタッフを担いながら、山の恵みを皿にのせて提供するまでの、商品開発や新店舗の立ち上げなどにも関わっていく。
勤務地は福岡県うきは市の山奥、山に囲まれ清流の流れているとても素敵な場所だ。山も豊かでイノシシも生息しており、九州なのでクマもいない。

これから幼少期から興味を持ち続けてきた飲食の世界についに足を踏み入れることになる。自分で決断して一度は去った山に、たった2ヶ月ばかりで戻ることになった。
ここから、ここからまた始めよう。
虚像の1を塗りかさねることなく、日々自然に囲まれて、生きる力を積み重ねていこう。

只、管のように、只管(ひたすら)に

かぎりなく0に近づけた空洞の状態にする。と、いう話をいろんな方々と共有していくなかで”管”という言葉を教えてもらった。4年ぶりにお会いした位牌作家さんやとても素敵な女性起業家さん、大切な友人たち。そして動的均衡という書籍に。
人間は表皮に凹凸のある口から肛門までの一本の管である。肉体はすべて、管を通って摂取した物質から構成されており、その組織は常に流動的で、それ自体は3ヶ月もあればまったく新しい細胞に生まれ変わっている。そう本には書かれている。
肉体がそうであるならば、その生き方もそうであるべきなのではと感じている。只、管のように、只管(ひたすら)に。流れてくるものを受け入れ、よどみなく流していく。その流れ自体が新しいぼくになり、それを死ぬまで続けていく。いままでの自分に固執することなく手放し、新しい自分へ日々生まれ変わりながら生きていく。そんな生き方もありなんじゃないだろうか。
この仮説もまた、これからの人生で試してみようと思っている。

プロ意識=誰でもできるを、どこまでやる?

ぼくは、いままで好きで料理をしていたとはいえ、仕事としての料理はまったくの素人。まさに0。
西粟倉での自分の仕事ぶりを省みたり、あぁこの人は本当にすごい人だという方々にお会いさせていただくなかで、仕事に対する心構えをひとつ、見つけることができたと思っている。
それは、仕事をモチベーションに頼ってやるのはまったくの愚策で、仕事をするうえで大切なことはプロ意識だということ。モチベーションは仕事に関係なく日常生活で大きく左右される。また、一時的にモチベーションを上げられたとしても、それはいつか必ず下がるもので、教育し統一することはできない。対して、プロ意識は絶対に担保しなければならない、という義務のようなもので、教育し統一することができる。だから、目の前の仕事に対してどれだけのプロ意識を持つか、それが良い仕事をしていくためには重要なのではないだろうか。

そしてもうひとつだけ。仕事をスマートにこなすことや効率的にすることは、手を抜くことやサボることと表裏一体だと気づいた。西粟倉での日々をいま思い返してみると、もっとできたことがあったよね。といくつも思い浮かんできて、あぁぼくは手を抜いていたんだな。と反省せざるをえない。
仕事にはじめから、自分らしさや個性を求めようなんてのは、ちゃんちゃらおかしくて。必殺技みたいな独自性や差別化や参入障壁なんか、すぐに生まれることなんて、まずありえない。
信頼をあつめる素晴らしい仕事をされる方々は、誰にでもできるあたりまえのことを、極めて高い水準で常にやり遂げ続けている人たちだ。
多くの人がまぁこれくらいでいいかと思考を止め惰性に身をまかせるところを、ここまででいいのか?と、彼らは思考を止めずに手を動かし続けている。

MOROHAというぼくの大好きなポエトリラッパーの上京タワーという曲の中に、「誰でもできるを誰よりやる」という歌詞がある。
これこそが、誰よりも高い場所へ登っていく人たちの行動指針なんだと、改めて感じている。朝早く起きる、道具の手入れをする、段取りを怠らない、不測の事態に備える、挨拶をする、メモをする、健康的な食事をとる、実行し反省し改善する。
誰でもできるような当たり前のことをどこまでやるのか。それが、ぼくのこれからの課題。
ここらでもう充分かな?と手を止めようとした時には、「おい俺、お前は誰でもできるをどこまでやるんだ?」と、自分自身を叱咤しながら、ひとつづつ進んでいきたい。

さぁ、明日からまた山での日々が始まる。
もう夜も更けてきた。引越しのための少ない荷物もまとめてある。そろそろ、明日に備えて眠ることにしよう。

今まで、自分をつくりあげるために積み上げてきた1。
それがもし虚像のものであれば、それは逆に自分を苦しめるものになってしまうかもしれない。
今まで積み上げてきたもの、足し算に執着してすがるのではなく、思い切って手放してみる、引き算をしてみる。
本当に大切な1ならば、それは決してあなたのもとを離れることはない。きっと。
自分を手放して削っていくなかで、本当の1として、より強烈にふたたび出会うことになるはずだ。だから安心して。
それに、もし仮にすべてがなくなったとしても、そこには一つかみの砂金が残っているのだから。必ず。そう信じれば、そこに砂金はきっとある。

だから、それでもなおと、前に進んでいこう。只管に。

i hope our life is worth living.

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Keiji Matsubara "Restaurant Izanami Tokyo" Chef
またひとつさきへ

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