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久しぶりのタバコ。死の意識。うつ病。

久しぶりのnote投稿。


そして久しぶりのタバコ。


禁煙を決意して63日が経過してた。このままタバコやめれると思ってたけど、ここ最近の抑うつ症状がどうにも辛くて、近くのスーパーで買った。


なんだか生きてるのが申し訳なくて、働いてない自分が嫌気が差して、精神障害者手帳が3級になって。


精神保健福祉士と社会福祉士を取るために大学に行くために、借金までして資格取ったのに、結局うつ病になって、障害者になってしまって…


もう色んなことが嫌になった。でも、かろうじて今日まで生きていた。


ただただ息をしている毎日。愛する妻と幼い息子に本当に申し訳ない。生きてるのが申し訳ない。


なんで俺は生きてるのか?とにかく虚しい。自分の存在価値が曖昧になってて、もう何も考えたくなくて、ニコチンで頭を飛ばせるかもしれないという期待で吸ったハイライトメンソール。


久しぶりのタバコは正直美味しさを感じない。喉と胸に不快な感じがグッと来る。


でも、この不快感がちょっと心地よかった。不快感を感じているから、俺は確かにここで生きてるんだなって感じがして。


最近は1日中、意識を保ってるのが辛い。自分という意識があることが耐え難い。


自分にも稼ぐ道はないのかと思って始めたYou Tubeも少し辛くなってきた。


世の中やっぱり楽して稼ぐなんて幻想なんだな。


もう稼ぐことは意識しないで、とにかくゆっくり余生を過ごしたい。


そういえば、先日の精神科での診察では、医師から「危ないことはしないように」と言われた。


死にたい気持ちは確かにある。常に胸の奥底に希死念慮が燻っている。


明確な実行力のある希死念慮ではないけれど、いつそいつが俺に襲いかかるのかはわからない。


今まで希死念慮は見てみぬふりをしてきたから、医者から「死にたい気持ちはあるか?」と聞かれてもずっと誤魔化してきた。


でも、今夜はタバコを吸いながら、はっきり死を切望しているのを感じた。


死を望んではいるけれど、まだまだ実行に移すような雰囲気ではない。多分。


とりあえずタバコ吸ったら、落ち着いた。


これがニコチンの力か?


百害あって一利なしのタバコ。


でも、今夜のタバコは一利くらいはあると思う。


タールがどっしり胸に来て、確かな鼓動を感じた。


俺は生きてるのか、死んでるのか、死にたいのか?


もうよくわからない。


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