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地球1周分の距離と大切なひとへ 【連載】「彼女の軌跡は私たちのアート」第2回

たとえば向こう岸にとてつもなく欲しいものがあって、それはたとえば夢、それは例えば好きなひと、それはたとえば自分自身の納得とか、
それでもって、

(中略)

目の前には大きな川があって、向こう岸はいま、あたしが渡ることを拒絶しているとして。でも、あたしは、いちど好きになったものや、強くそうだと感じた直感を曲げることができない。

(中略)

だったらさ、
そのときにさ、
向こう岸が西だとして、どうして東に向かって思い切り走る覚悟を持てないんだろうって思うんだ。東に向かって思い切り走る、それは諦めることじゃないんだよ、
地球を一周するってことなんだ。
それだけの覚悟と勇気を持って、
向かわないとだめだと思うんだ。
もしほんとうにそれを愛しているのなら。
ほんとうに寄り添う覚悟があるのなら。
中途半端に、川の流れが休まることを期待したり、
舟が通らないかなあ、なんて思ってはだめなんだよ。
仮に東に向かったとして、
向こう岸が遠のいていくことで、
失くしてしまうかもなんておびえて歩みをゆるめていては、地球を一周なんてできない。
ふりもきもせず、胸に灯をともして、裸足で走って、
後ろからそれを抱きしめてやるくらいの器量でのぞまないと、きっとダメなんだ。

ほんとうにそう思う。
そういうことを考えたとき、
あたしはとても中途半端だ。
つまりは愛に対して中途半端だ。

(中略)

覚悟や勇気を持って裸足になれる強さをもてるかな。
そしたら大きく深呼吸して、
東に向かって走ろう。
360度走って、
それの背中が見えるまで、
ふりむかない。


中島桃果子によるブログ『モカティーナの「愛とあたしの中の綻びよ、永遠に』より「Strength」(2010年9月)


このnoteを初めて半年経ったようです、
はじめましての方もそうではない方も(おひさしぶりです、お元気にされてましたか?)、こんにちは。

最初の詩は私の大好きな作家の中島桃果子さんによるもの。
この詩は初めて読んだときから私の胸に刺さって、7年以上経った今もずっと忘れられない詩なんです。
このnoteを始めることになったときから、この詩をいつか紹介しようと思っていた。
最近ずっと考えていた、大切なひとたちについて。

15のとき、桃果子さんに出会った(『魔女と金魚』という本で)
今22になって、あのときと何が一番違うって、周りの人たちがどれだけ私を気にかけてくれているかということだと最近思う
そして今の一番の課題は、私がどれだけそのことに気づけてさらにその人たちがそう思ってくれている気持ちを守れるかだと思う

今までは守るものがなにもなかった
から、何が傷ついても構わないっていう生き方をしてきた
でも、今私が傷ついたそれと一緒に傷つく人が周りにいて思うのは、
ああこの人たちの気持ちを守りたい、裏切りたくないっていうこと


今まで生きてきていま私は一番あたたかい環境にいる。


好きなものを好きだと言えるnoteという場所があって。
明るく振る舞うことが楽しいバイトの職場にいられて。
尊敬できる人と学びたいことが学べる大学にいて。
毎日何気ないことを話してかけてくれる人たちがいて。
これ以上の幸せはきっとないよ。

私にはなかった。
こんな幸せは。


私はもしかしたら、東向きに思いっきり走った先にいるのかな?


15のころも、16も17も18も、22になるまでずっと
あんた道はぐねぐねしてたかもしれないけど方向間違ってなかったよ
何も知らないまま、よく頑張ったよね


今日はすべての人に感謝の気持ちを込めてこの記事を書いています。


なすべきことをなすようにしているだけだった、ただ一心に。
からだと心のおもむくままに。

16. 「終わりから始まる歌とほんとうのキスを」229ページ~230ページ


中島桃果子『魔女と金魚』(自分にとってこの本がどれだけ特別か書いている記事があります)の一節です。
私はこの文章を読んで、生きることを諦めないでいられました。
まだもう少し私の信じているものを信じようと思えました。
それを言葉にするのはまだ難しいけれど。

ただいえるのは、ひととそのほかのすべてとこころがかんぜんにつながるしゅんかんだということです。

それは私にとって、凍った道を友達と歩きながら背中から思いっきりすべって頭打ちそうになって(リュック背負っててそれがクッションになった)危なかったわたしを、不憫に思いながら周りにいた4人全員の友達が私に向かって手を差し伸べてくれた光景だし(私に手が4本あったなら)

それは1年ぶりに行った教室で見た、ずっと別室登校をしてた私のいる部屋に5分でも時間あったら毎回駆けつけてくれてた(でも一緒に来てた母と喧嘩してるのが外まで聞こえてたら中に入らないやさしさもあった)先生と終業式のある日、朝の会で先生が教室に入ってきたときふっと先生がこっちをみて、いつも空席の私の席を最初に確認する癖に私が気づいた瞬間、その人の表情で私が教室にいる風景をどれだけ見たいと思ってくれてたかすべてがわかったあのとき

あたしが生きている間に経験できたすべての奇跡たち


もうなんか、
もっとそれをみたいなんて思わない

ほんとうにほんとうにありがとうとしか思わない


でもだからこそ、
この私の気持ちやあの詩が存在していることを、
あらためて伝えたかったんです

壁が目の前にあったら、でもその壁を越えられないなら、
でもそれを諦めきれないなら、
わたしたち、東向きに走ることだってきっとできるよ

私はずっと信じてる。



――――――

中島桃果子による詩の「ふりもきもせず」について

私、最初「『振り向きもせず』の誤字かな?」って思ったんです。
だけど、ふりもきもせずふりもきもせず・・・
って考えていて、気になって著者の桃果子さんに確認したところ、

「ふりもきもせず」って
なにかただごとじゃない感じがするから、ふりも、きもせず。
振りも着もせず。あるいは飲まず食わずみたいな感じ、

と教えてくれて、
ああなるほど、「ふりもきもせず」は「なりふり構わず」かもしれないし「やきもきふりとばして」かもしれないし・・・
とかってなんか「ふりもきもせず」ってすんごいいろいろ考えさせられる余白あってめっちゃいいじゃん!ってことに気づかされました、なので原文ママです。

byミキ

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