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卵焼きには薄口醤油?

 漢字って難しいですよね。同じ発音なのに意味が違ったり、その漢字そのものに意味があったりします。近頃では、外国人留学生からそんなことを質問されて、困ることも度々です。そこで今週は留学生に尋ねられた漢字のお話です。

和歌山県有田郡湯浅町・丸新本家

薄口醤油?

 このごろは、外国でも醤油が簡単に手に入るそうですが、日本に来た留学生は「こいくち」と「うすくち」、「たまり」の使い分けに悩むそうです。また、日本マニアの留学生からはなぜ「うすくち」は「淡口」という漢字なのかという質問をいただきました。

    筆者は筆者で不思議に思っていたのですが、近頃は「うすくち」と、商品のラベルにひらがなで表記されていることです。しかし、Noteも含んで、あらゆるSNSでは「薄口醤油」という漢字を使っています。

   これは留学生の言う通り、淡口うすくち醤油」が正解です。おそらく、誰かが変換間違いをして、それをコピペする人が多いために、データとして「薄口醤油」が蓄積され、検索や変換の上位に表示されるようになったと推測されます。しかし、根底にはこの誤変換を正しいと思ってしまう認識の誤りがあるのではないかと妄想しています。

香川県小豆郡小豆島町・ヤマヒサ

日本の醤油

 ご存じのように、醤油の発祥は中国です。といっても、元々は魚醤うおびしお肉醤ししびしおが主流で、後に草醤くさびしお穀醤こくびしおが登場します。

    現在、東南アジアでは魚醤が主流ですが、東アジアでは大豆の穀醤=醤油が主流です。

 日本での醤油の発祥地は紀州・湯浅で、次いで小豆島だと考えられています。現在の千葉県野田周辺には江戸時代に紀州から製法が伝えられました。

千葉県銚子市・ヤマサ醤油

たまり醤油・濃口醤油

 日本での元々の醤油はたまり醤油でした。濃くてトロミがあり、風味も強い醤油ですが、醸造期間が長いために製造量が限られていました。

 江戸時代初期に野田と銚子(どちらも現在の千葉県)で、醸造期間を短縮して製造できる安価な「地回り醤油」が開発されます。醸造期間を短縮した分、色も風味もたまり醤油よりは薄いのですが、うすくち醤油が誕生してからは濃口醤油と呼ばれるようになります。

徳島県鳴門市・福寿醤油

うすくち醤油

   濃口醤油に遅れること約20年、うすくち醤油が誕生します。濃口醤油に比べると格段に色が薄いのですが、塩分濃度はうすくち醤油の方が2%ほど高いので注意が必要です。

   うすくち醤油で思い出したのですが、40年ほど前、筆者の上司が食事の際に、あらゆる料理に淡口醤油をかけて食べていました。わざわざ淡口醤油のマイボトルを持参して。

    その上司は重度の高血圧の治療中だったので、  見かねて「淡口醤油の方が塩分が多いですよ」と言ってさしあげたのですが、「バカなことを言うな、薄口が塩辛いわけないじゃないか!」と叱られました。茨城県の方だったので、淡口醤油に馴染みがなかったのでしょう。後で聞いたのですが、淡口醤油について進言したのは筆者だけではなかったそうです。

 ちなみに、その上司は後年、在職中に心筋梗塞でお亡くなりになりました。職場のデスクの上には在りし日のお写真と淡口醤油が置かれていました。ブラックジョークだと思ったのは筆者だけだったのでしょうか。

 うすくち醤油が「薄口」ではなく「淡口」と表記されるのは、このような「味が薄い」という誤解を防ぐためだという説もありますが、筆者はそれだけではないと思います。

兵庫県たつの市・末廣醤油

淡口醤油

 淡口醤油は播州・龍野(現在の兵庫県たつの市)で誕生しました。龍野は元々伊丹に並ぶ酒造地でしたが、仕込みに使っていた揖保川の水が軟水で鉄分がとても少ないために、仕込み途中で酒が腐ってしまう事故が度々ありました。そこで、醤油と酒の蔵元「円尾屋」の円尾孫右衛門が、清酒になる前の甘酒を醤油のもろみに足したところ、風味のよい醤油ができたと伝えられています。

大阪府堺市・大醤

京都進出

    1746(延享3)年、円尾屋七代目孫右衛門を始め、何軒かの龍野の醤油蔵が京都進出を画策します。しかし、当時の京都は約150軒の醤油蔵がひしめく上に、備前醤油が他国醤油の市場を独占していたため、龍野醤油が入り込むのは容易ではありませんでした。

    事態が好転したのは 1851(嘉永4)年、当時の龍野藩主である脇坂安政が京都所司代に就任してからです。かねてより藩の特産物であるうすくち醤油の製造・販売を推奨していた脇坂は、京都での販路拡大に力を入れます。それが功を奏して、龍野のうすくち醤油は備前醤油を抜いて他国醤油のトップに躍り出ました。以後、うすくち醤油は京料理に無くてはならない醤油になりました 。

岡山県備前市・鷹取醤油

 関西は薄味

 江戸時代の書物に「上方・京料理は薄味である」という記述が登場します。それをもって現代でも「関西は薄味」などと言われますが、これは大きな間違いで、それには次のような歴史が関係しています。

新潟県阿賀野市・コトヨ醤油

 輸入砂糖

    日本に初めて砂糖を持ち込んだのは鑑真和尚です。754年、鑑真和尚は「風邪薬」として孝謙天皇に砂糖2kgを献上しました。その後、安土桃山時代に始まった南蛮交易で輸入した砂糖は年間6600tに上りました。外国商船はマカオで砂糖を仕入れ、仕入れ値の10倍~20倍で日本に売ったと記録にあります。その値段は砂糖一斤(600g)が米2斗(30kg)相当だったそうです。

 とても高価な輸入砂糖は主に芳露ぼうろ加須底羅かすてら金平糖こんぺいとうなどの南蛮菓子に使われ、江戸の人達のハートを鷲掴みにしました。

 研究者によっては、「輸入砂糖は高価すぎ、日本にはサトウキビが自生していないため、江戸時代の庶民は砂糖など食べることはできなかった」とする人もいますが、筆者はそうではないと思います。

青森県弘前市・加藤味噌醤油醸造元

国産砂糖

 八代将軍・徳川吉宗が砂糖の国内生産を奨励したことで、讃岐の和三盆など、国産砂糖は意外に早く登場します。しかし、市中に出回る程度に値段が落ち着いたのは江戸時代も後半になってからです。それでも、記録によると1斤(600g)が現代の8000円相当と、中々のお値段ですが、このころから江戸では料理に砂糖を多用するようになります。✳️玉子焼きが甘くなったのもこのころです。

札幌市東区・福山醸造

江戸の砂糖味

    江戸時代の食文化研究の定番である、江戸後期の風俗誌、守貞漫稿もりさだまんこうには、「近頃は菓子用ばかりではなく、ほとんどの食べ物に使用している。料理・蕎麦店・天ぷら用・蒲鉾にまで砂糖を使用していること甚だしい」という記述があり、江戸料理は「甘ければ美味しい」とされるようになった様子が分かります。これは初鰹好きと同じロジックで、とにかく高価な物を有難がる、見栄っ張りの江戸っ子気質でした。

滋賀県愛知郡愛荘町・丸中醤油

上方の薄口

 当時の江戸料理に比べると、京・大坂の料理はそれほど甘くありませんでした。元より、色が濃い・甘すぎる料理は下品と考える風土ですから。そんな京・大坂料理を江戸っ子は、見た目の色が薄いこともあって「薄味」だと言いましたが、それは「甘くない」と言う意味です。出汁の味も、醤油の味も適度に効いていました。

    上方・京料理と江戸料理の違いは、出汁巻きとケーキだと考えていただけば分かりやすいと思います。どちらも美味しいのですが、「美味しい」のベクトルがぜんぜん違います。

大分県日田市・原次郎左衛門

淡口うすくち

 一般的に「味が薄い」と言うとまずい・・・と言う意味に取られるので、「薄口である」という評判は京・大坂の料理人にとっては屈辱でした。明治になるまでは黙っていたのですが、首都が東京になってしまい、京都市民は色々とうっぷんが溜まっていたのでしょうか。「江戸・・の田舎者には分からんやろけども、都の料理は淡口うすくちやねん!」と反論しました。
 
 「あわい」とは、西陣織や日本画のグラデーションを含む色のにじみを情緒的に表す言葉で、これを料理に当てはめた「淡口うすくち」は画期的な表現でした。

    これが筆者が妄想する「淡口醤油」命名秘話です。この話を留学生に教えたところ、もう一度食文化の視点で日本史を勉強し直すと言うのです。そんなことをされたら筆者のボロがでるからやめてくれと言っておきました。

沖縄県那覇市・ 玉那覇味噌醤油

味噌の「噌」

 味噌の「噌」という漢字は味噌のために考案された漢字で、味噌以外に使われていないそうです。これは留学生に教えてもらいました。日本人でも知らないことをよくご存じです。続いて「ところで、なぜ「噌」を味噌のために作ったのですか? 噌とはどんな意味ですか?」という質問もいただきました。あちゃー、また難しいことを…

東京都練馬区・糀屋三郎右衛門

かまびすしい

 味噌ではなく「噌」という一文字では「かまびすしい」と読みます。「かまびすしい」とは騒がしいという意味です。では味噌の何が騒がしかったのか? ということです。

 専門家の皆さんはどう考えているのか、検索してみると、「噌」は「口+曾」に分解され、「曾」は蒸し器から蒸気が発散されている状態を指します。「言葉が積み重なる」ということから「やかましい」「騒がしい」という意味にも繋がっているようです。とか、

 「味をにぎやかにする」からとか、『中国最古の王朝である殷の宰相・伊尹はまた天下の料理人であることが知られていて、キッチンで料理をしながら国づくりの議論をしているなんともにぎやかな景色が見えてくるようです』なんてことがヒットします。しかしどれも無理が有る上にピンときません。

愛知県岡崎市・まるや八丁味噌

もろみの発酵

 味噌だけではなく、醤油や清酒もふくめて製造工程でもろみを発酵させる工程があります。巨大な樽の中で発酵させるのですが、薄暗くて静かな蔵の中に発酵音が絶えず聞こえてきます。

 蔵の中には巨大な樽がたくさんあります。周囲が静まりかえる深夜には、さぞや賑やかだったでしょう。これが「かまびすしい」、つまり「噌」であり、かまびすしいからこそ出来上がる味が「味噌」なのだと筆者は思います。

 留学生は味噌蔵に見学に行くと言っていました。

卵? 玉子?

 明確な決まりごとではないのですが、日本では概ね「卵」と「玉子」を使い分けています。これがまた留学生を悩ませているようです。

     生物学的な意味で使う場合は「卵」です。例えば、「蛙の卵が孵化する」です。

    料理で使うのは主に鶏卵です。鶏卵は鶏の「卵」ですね。これを加熱調理した場合は「玉子」になります。ですから「玉子焼き」です。この説明を聞いて、目玉焼きを「目玉子焼き」と間違って覚えた留学生もいました。
筆「目玉焼きの玉は、玉子の玉じゃなくて、目玉の玉なんだよー」
留「???」

    尚、卵かけご飯は生卵なので「卵かけご飯」です。ただし、ゆで卵は加熱調理していますが「卵」です。これは見た目が生卵と変わらないためだと思われます。

医者の卵?

   悩ましいのは医者の「たまご」です。「医者の卵」ではSFですね。「医者の玉子」になると何となく美味しそう(?)になるから不思議です。ならば「たまご」か「タマゴ」ですが、この場合のたまごは実物のたまごではないので、「医者のたまご」よりも「医者のタマゴ」の方が何となくピンときます。

ちなみに、NHKでは漢字表記は全て「卵」なので、「卵焼き」だそうです。

   このような「卵」と「玉子」の話を留学生にしたところ、「たまご」と「タマゴ」の使い分けが分からないと言うのです。そんなことに決まりはないので、「それは直感です」と答えると変な顔をされました。

    勝手にご飯映画祭③は、樹木希林さん最後の主演映画「あん」を妄想します。
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