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昭和ノスタルジー...       「消えた専門店」

 


 ご存じですか? 来年は昭和100年です。昭和生まれにとっては知りたくなかった事実です。昨夜何を食べたのか思い出せないのに、子どものころのことは鮮明に覚えています。そこで、令和・平成生まれはもちろん、昭和も末期の生まれなら知らない、消えてしまった昭和のお店をノスタルジックに妄想します。

味噌屋さん

 かつて、味噌は味噌屋さんで売っていました。文字にすると、いたって当たり前のことです。しかし、味噌だけで商売が成り立っていたということが、現在では信じがたい事実です。それほど家庭での和食比率が高かったということなのです。おそらく、ほとんどすべての家庭が毎日、最低一回は味噌汁を作っていたでしょう。逆に言えば、味噌専売店が消滅したのは、日本人が味噌汁を食べなくなった証です。

佐野みそ亀戸本店

 昔はどの町にも必ず味噌屋さんがあり、その店先には樽に山盛りになった味噌が置かれていました。上の写真の味噌は控えめの盛りですが、昔は一抱えもある大きな樽に、富士山のように盛ってありました。

 しかも、味噌はケースもないむき出しでしたから、今なら衛生面で問題があると言われるでしょう。

    お客さんは、たくさんある味噌の中からお目当ての味噌を見つけ、欲しい量を計ってもらいました。

卵屋さん
 最近でこそ卵は値上がりしていますが、昔は物価の優等生と言われるほど安価で安定していました。卵の価格上昇の主な原因は輸入飼料の価格上昇ですが、鶏を飼育する環境維持費も上昇しています。また、下の写真を見ると分かりますが、卵はパックに入っておらず、買う時に店員さんが新聞紙に包んでくれました。

吉祥寺平和通りにあった鶏卵店

 現在は出荷までに洗卵の工程がありますが、昔は産んだままの卵を洗わず、パックすることもなくバラで出荷していたので、今よりは出荷コストが安かったはずです。

 その代わり、卵屋さんでは一々卵を包装する手間がありました。バラバラの卵を10個も新聞紙で包むのは難しい作業ですが、熟練の店員さんはいとも簡単に包んでくれました。

 卵屋さんでは、包装前に大事な工程があります。一つひとつ、卵を白熱球にかざして透かして見なければなりません。卵の中でヒヨコになっていないか確認するのです。昭和40年ぐらいまでは有精卵が混ざっていたので、家で卵を割ったらヒヨコになりかけが出てきた! なんてことがたまにありました。

ヒヨコになりかけ

麺屋さん

 味噌屋さんよりも、商売が成り立っていたことが不思議なのが麺屋さんです。麺は毎日食べないだろうと思うのです。昔は何とも思いませんでしたが、今なら心配します。「麺だけで大丈夫ですか?」

大阪市旭区の今市商店街の多田製麺所

 上の写真は大阪で今も営業されている多田製麺所さんです。昔から、商店街にあった麺屋さんは、多田さんのように製麺所を店の奥や別の場所で営んでおられ、近所の食堂や中華屋さんに麺を配達し、お店で小売りもしていました。だから麺屋さんが成り立っていたのでした。

 お店では、「うどん3玉」と注文すると、菜箸をV字状に開いて、手際よく3玉つき刺して取り上げ、包んでくれました。

豆腐屋さん

 昔は、各町に豆腐屋さんがありました。お味噌汁の具は豆腐が定番でした。筆者の実家は隣が豆腐屋さんだったので、子どものころ、朝イチにボウルを持ってお豆腐を買いに行かされました。お店には必ず近所の爺ちゃんがいて、コップで豆乳を飲んでいました。

澤商店

 上の写真は大阪市淀川区の十三元今里商店街の澤商店です。今も国産大豆の手作り豆腐を作り続けておられます。豆腐はもちろんですが、新鮮なおからが買えるのはありがたいことです。 
 
 豆腐の製造・販売店は昭和35年の51,596店をピークに減り続け、平成25年には 8,017店まで減少しています。都道府県別に見ると東京都の687店が最多で、山梨県の62店が最少(いずれも平成26年度)です。

 日持ちせず、配送が難しい豆腐は町の製造販売店に向いている食品でした。しかし、技術が進歩し、輸入大豆を使うことで価格が安くなり、スーパーなどの大規模店でも扱えるようになりました。そうなると小さな個人商店では太刀打ちできず、消えていくのは当然の流れでした。

    澤商店さんのように、現在も町で営業しておられる小売店は、様々な工夫をこらし、ご近所の皆さんに愛されて日本の食文化を護っておられます。見かけたら、迷わずおいしいお豆腐をお買い求め下さい。

乾物屋さん

 

吉祥寺の土屋商店

 鰹節、煮干し、昆布、干し椎茸、干ぴょうなど乾物を専門に売っていたのが乾物店です。昔は、各家庭で昆布や鰹節、煮干しで出汁をとり、お味噌汁を作ったものですが、パックや粉末、液体の出汁が豊富に販売されるようになり、わざわざ乾物で出汁をひく家庭はめっきり少なくなりました。

昔は量り売りでした。

 それはそれで便利なのですが、出汁は和食のベースなので、出汁が同じなら出来上がりも同じような味になります。悪く言えばどこの家庭でもよく似た味になっているはずです。

 昔は出汁に使う昆布も、各家庭で産地のこだわりがあったり、料理によって鰹節、鯖節、鯵節などを使い分けていたので、各家庭ごとに「おふくろの味」があったのです。おふくろの味が各家庭で違うのは、当たり前のことなのですが…。

岡山市の光吉商店さん

川魚屋さん

 魚屋さんもめっきり少なくなったのですが、それに輪をかけて減ったのが川魚屋さんです。

 川魚屋さんの主力商品は鰻の蒲焼です。生の鰻は売っていません。例外なくお店で蒲焼にして売っていました。その他には鮎の塩焼き、しじみ、鯉の甘露煮などを扱っていました。海水魚を扱う鮮魚店と違うのは、商品のほとんどが焼いたり、煮たりの調理をしてあることです。お店によっては鯨を売っていたり、シジミ意外にアサリ、ハマグリ等貝類を幅広く扱っていたりと、海産物にまで手を延ばした独自の特徴がありました。筆者は子どもの頃、近所の市場を通り抜ける時に川魚屋さんから漂う鰻の蒲焼の匂いが大好きでした。

人と人が売り買いする

 一時期は全滅するのではないかと思われた専門店ですが、今は復活しつつあります。と言うのも
、スーパーマーケットは便利で安いのですが、人と人の繋がりがほとんどありません。社会が機械化し、無人化すればするほど、人と人が話をして商品を売り買いすることに魅力を感じる人が増えてきました。結局、人は人と繋がらなければ生きていけないと再確認したようです。

 現在、専門店(個人商店)が一番多い都道府県はどこだと思いますか? 分かりますよね … そうです。東京です。人口が多いので個人商店が生き残りやすいのです。じゃあ都道府県別人口が第二位の神奈川県も個人商店が多いのかというと、そんなことありません。専門店(個人商店)数の第二位は大阪で、神奈川はベスト5にも入っていません。

買い物に欠かせない…

 専門店での買い物に欠かせなかったのが「買い物カゴ」です。


 昭和30年代は、このカゴがない家庭はなかったはずです。商店では品物を新聞紙で包み、それをこのカゴに入れて持ち帰るのです。SDGSですよね。時代が一周回ったのでしょうか。

官製ブラックジョーク

 最後に、昭和という時代を象徴する宣伝広告をひとつご紹介します。

 昭和32(1957)年発表の専売公社(現・日本たばこ)の広告です。タバコは懐かしの「いこい」で、おじさんは個人商店のご主人と思われます。八百屋さんといった感じですね。耳にはさんだタバコがいい味を出しています。

 日本専売公社はいわゆる三公社のひとつで、社員はもちろん公務員でした。三公社五現業が何なのかは、今の若い人達は知りもしないでしょうが、「今日も元気だ たばこがうまい!」は官製ブラックジョークの名作として語り継がれています。

大阪人は見た!          学校では教えない京都の黒歴史。

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