第二十三話 鎮守の森
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ガソリンスタンドで給油を済ませ、代わり映えのしない景色の国道を、ノンストップで走った。湾岸戦争で一時跳ね上がったガソリン価格は、その後ずっと下がり続け、今やリッター八十円台だ。ガソリン代を割り勘にすれば、遠出も負担にならない。
ああだこうだと話し合ったにもかかわらず、具体的な行き先は決まらなかった。国道を一時間も走れば、ちらほらと観光名所が出て来るのだが、生まれも育ちも常世野市の岡崎や小林にとっては、どこも行ったことがある所ばかりで、新鮮味がなかったのだ。誰かがある場所の名を挙げれば、別の誰かがそれにケチをつけるといったことが延々繰り返され、いっそのこと知らない道を行ってみたらどうだ、と言ったマサカズの意見が通る形になった。
郊外に出ると大抵どこでも同じだが、このあたりも栄えているのは、国道沿いのごく薄っぺらい範囲だけ。大型店やチェーン店の裏手には、田んぼや畑しかない。適当な交差点で名も知れぬ農道に折れると、ものの一分もしないうちに、視界を遮るものは何もなくなった。
窓の外は、見渡す限りの田園風景。ミルクを一滴垂らしたようなぼんやりした景色に、都会を走っていたときよりも濃密な春を感じる。このあたりは早場米を生産しているらしく、まだ四月だというのに、ほとんどの田んぼに水が入っている。空と雲とを丸ごと呑み込んだ巨大な水鏡は、この時期ならではの風物詩だろう。
エンジン音に驚いたシラサギが、田んぼから飛び立つ。
満々と茶色い水を湛えた水路には、乗っ込み鮒がたくさん溜まっていそうな気配。
奥田民生の 「イージューライダー」 を地で行くような景色に、うっかり時間を忘れてしまいそうになる。
代掻きしているトラクターの背後に横たわる、色づき始めたばかりの山並み。山々はまだ一色に染まらず、うぐいす色、黄緑、青味の強い黄緑、黄味の強い黄緑、常緑樹の深緑など、多様な緑が入り乱れて賑々しい。紅葉の秋を 「錦秋」 と言うが、この時期の山を一語で言い表すとしたら、やっぱり 「山笑う」 となるだろうか。
山の麓に点在する民家の中には、気の早い鯉のぼりを上げているところもある。昨日ほど風がない今日は、青空の遊泳も休み休み。五色の吹き流しとたくさんの鯉のぼりが、時折絡まり合いながら舞い上がろうとするものの、瓦屋根に届かないうちにしなだれてしまう。黒、赤、青、緑、オレンジ……揃って泳いだら、きっと壮観だろう。
「ちょっと」
キラッと矢車の上の球が光を放ったとき、助手席で岡崎の声がした。フロントガラスに目をやると、反対側の道端に、ごちゃごちゃと幟や看板が固まっている一角がある。「大売出し」「たばこ」「宅急便」「塩」「米」……。
「ちょっと」 の意味は明らかだ。岡崎は長時間煙草が吸えないと落ち着かなくなる。出発早々、小林が車内禁煙を宣言――ケチくせえ、と岡崎になじられていたが――してしまったため、もう我慢の限界なのだ。小林もその点はよくわかっていて、素直にウインカーを出して、店の向かいの空き地に車を停めた。
エンジンが切れ、ドアを開ける。轍が白く固まった地面に降り立つと、青草や泥水の匂いを含んだ風が頬をくすぐった。眠気を誘うようなカエルの声に、マサカズが背伸びしながら、のどかだなあ、と言った。日中鳴いているのは主にトノサマガエル――と子供の頃から呼び習わしているが、関東地方の 「トノサマガエル」 は俗称で、実際に生息しているのは、トウキョウダルマガエルという似て非なるカエルなのだと、昔、理科の授業で聞いたことがある。
「おっ、あんな所にベンチがあるぞ」
道路に面した所に、葉桜が寄り添うバスの待合小屋が立っている。朽ちかけたトタンの小屋の裏には、菜の花の群落が小さくまとまり、ほんのり輝く花群の中に、細板を並べた薄緑色のベンチが埋もれているのが見える。さっそく岡崎が駆け寄っていく。
「ラッキー、吸い殻入れもある」
ベンチの下に、業務用缶詰の空き缶でも見つけたのだろう。バス利用者以外にも、人が集まりそうな場所だ。ふらっと立ち寄るドライバーやライダーのために、地元の人が休憩所を設けたのかもしれない。
「よっしゃ、ここで一服しよう」
一目散に店に向かった岡崎のあとを追って、真一たちも道路を渡る。
店舗と一体になった民家の敷地では、芝桜が花盛りだ。竹垣の袂の短い土手を、ピンクや白の絨毯が覆い、鮮やかな色彩に目の奥が痛くなる。昨日、強い南風が吹いたせいで、今日もこの時期としては暖かい。小林とマサカズは、アイスクリームのショーケースを覗いている。真一はアイスを食べたいとまでは思わなかったので、並んだ自販機の一つで、冷たいお茶を買った。
空き地に戻って菜の花の花群へ行くと、岡崎が大股開きでベンチに座っていた。ベンチの背もたれには、謎めいた乳酸菌飲料のホーロー看板が取り付けられ、斜線を強調したロゴ文字が時代を感じさせる。
岡崎は、真一が来たことに気づかず、ジッポーで一心不乱に煙草に火をつけようとしていた。オイル切れか、何度ホイールを弾いても炎が立ち昇らない。石が擦れる音と一緒に、虚しく火花が飛び散るだけ。よじれた煙草を噛み締める必死の形相に、真一は、銭形警部に追われる次元大介の顔を思い浮かべてしまった。
「そうせっつくなって」
目の前に百円ライターの火を差し出してやると、やっと顔を上げて照れくさそうに火をもらい受けた。所々錆が覗くホーロー看板に背を預け、半開きの口からエクトプラズムみたいな煙を吐き出す。顔つきが、みるみる穏やかになっていく。風船がしぼむように、全身からも力が抜けていく。岡崎は二十五歳になったら煙草をやめると公言しているが、かくもうまそうに紫煙をくゆらす男が、そう簡単に禁煙に成功するとは思えない。
「やるよ」
あっという間に忘我の境地に達した友人の胸ポケットに、百円ライターを突っ込む。それから、ペットボトルのキャップをひねった。岡崎に座る場所を空けてもらいたかったが、幸せそうに煙草を吸っている姿を見ると、おいそれと声をかけるのは憚られた。
冷茶を一口飲んで、バスの待合小屋に寄り添う桜を見上げる。桜の木は、花を散らし切ったわけでも、葉っぱを十分に茂らせているわけでもない。若葉とえんじ色の桜蕊が半分ずつ。ほかには、申し訳程度に残った花びら。花見ができるのでも、緑陰を作るのでもなく……この時期の桜は、どっちつかずの状態だ。
その様に、何となく落ち着かなさを感じて振り返ったら、空き地の片隅に白い標柱を見つけた。行ってみる。
青々としたスギナ群落の真ん中に立っていた標柱は、松尾芭蕉の句碑のありかを示していた。表面の白いペンキがだいぶ剥がれ落ちていたものの、ひび割れた黒い文字は、何とか読み取ることができた。
標柱の袂から、空き地裏の田んぼに向かって、未舗装の道がまっすぐ伸びている。轍を除いた青草の中に、これでもかと言わんばかりに咲いたタンポポ。卵黄のように濃い黄色が、深まった春を否応なく感じさせる。
空き地と田んぼは、掘割によって区切られているが、道の下に土管が埋まっているらしく、橋は架かっていない。道の突き当たりに、小さく石の鳥居が見える。背後の樹叢は鎮守の森。水を張った田んぼに浮かぶ島のようだ。句碑もここにあるらしいが、鳥居の下に赤いコーンが置かれている。
何か作業が行われているらしい。あきらめて引き返そうとしたら、掘割沿いの道に置かれたU字ブロックが目に留まった。U字ブロックは底を返され、人が座るのにちょうどいい高さ。田んぼと鎮守の森が、いい塩梅で視界に収まりそうな位置でもある。
「あそこでいいか……」
牛乳メーカーのベンチは三人掛けだった。小林とマサカズが戻ってきたら、一人あぶれてしまう。ならば、眺めの良い場所で一服するのも悪くない。
陽射しに温められたU字ブロックに腰を下ろし、ペットボトルのキャップを外す。去年から出回り始めた500ミリのペットボトルは、水筒と同じ感覚で持ち運びができて便利だ。真一も重宝している。口をつけると、目の前で、萌黄色の液体がとくんと波打った。喉を滑り落ちる冷たさが、野山を吹き染める早緑の風のように心地いい。起きてから一滴の水も飲んでいなかったことに、今更ながら気づいた。
風に合わせて、カエルの声が近づいたり遠のいたりしている。ビーン、と断続的にさえずりを聞かせているのはカワラヒラ。遠くでカケスも激しく鳴き立てている。田植え前の田んぼに目をやれば、底の泥を透かす水面を流れる白い綿雲……。
のどかな風景――。
本来なら、身も心もこの景色に、どっぷり浸っているはずだった。
だが、実際には、そうなっていない。
心に引っかかっているものがある。
車の中で思い出して以来、ずっと頭の中を占めていた。行き先を決める話し合いにも、途中からどこか上の空になっていた。
90年代といえば、この曲
定番中の定番ですね
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