〈倫理の教本〉考えるあなたのための倫理入門 (メアリー ウォーノック・元ケンブリッジ大学教授 元英国貴族院議員 )を読んでの文 2
※倫理(道徳哲学)(人の、 世の中の合理的 善い方向性)の代表的教本、考えるあなたの為の倫理入門 を読んで、私が感じたことを、書いていきたいと思います。
③(権利)
△今日では、倫理(善・悪)よりも 権利の方が、人々に自信を持って使われていると。
※(私見で、一般人はそれほど深く考えて 道徳とか権利という言葉を使っているわけではない。自分の感情論の味つけ程度の 人多い)
※ 私見で権利は 、個人対個人、個人対集団、集団対集団 で対立しますので、いろんな哲学者達の言われる通り、理性を持って倫理的にルール・法律づくりがいると思われます。(当然ですが)
でないと、こじつけ ・嘘つき ・詐欺ばかりの でたらめな 野蛮人の世界になってしまいます。
※ この書には、人格と権利のこと、所有の概念のこと についても、有意義なことが書かれています。
△ジェレミー ベンサム(功利主義者)等は、法律がある場合のみに権利があるという立場 (法実証主義)とのこと。
△過去の哲学者らは(ウォーノック氏も)、法律よりも道徳的ものが優先の考えからで、次の様なことを主張されています。
・法律が批判される場合は、現存している道徳からと、権利から道徳は出てこないと。(読んで、全くその通りと思います)
・権利は法律からではなく、個人の必要からと、個人の必要は生活できるか どうかに関わると、人の生活できるかどうかは 道徳的判断であると。
・前記のこと 道徳的ものが優先されることで、法実証主義(法治国家)は、明らかに反していることになる。
そこで 考えられたのが、法に犯すことのできない 人権(自然権・基本的人権)という考えをいれて、問題(矛盾)を解決したと。
(素晴らしい 人類の知恵だと思います)
△法律に、人権という考えが ないと、ナチスドイツのような(ホロコースト)虐殺を止めることできないと、正当な批判もできないと。
法は法だからと、 なると。
△ウォーノック氏、道徳の価値を権利の観点で見てはならないと。
(その通りだと思います。権利だけなら、金があれば 何をしてもいい、法に触れなければ 何をしてもいい、生産性のない者は 全く何の資格もない に、繋がってしまいます)
△ウォーノック氏、平等の観念こそ正義の基礎であると。
※ 私見では、これは民主主義の理念と同じです。そして 自分の基本的人権を主張するなら、他人の基本的人権も 尊重しないといけない(黄金律)があります。 しかし残念なことに、拝金主義者や新興宗教・反社会組織の者達は、 こういうことが 一切 理解されていません。
浅い 教養や思考力しかないと いえます。(ウォーノック氏の言われる通り、 教育などが大事です)
△ウォーノック氏、自然法(普遍的法)は道徳から 導かれないといけないと。そして正義(不正の是正・抑止)は、実行されないと いけないと。
※ 私見では 正にその通りですし、そして、正義は綺麗事とか、生きていくのに役にたたない、などと言う者は、自己中心的人間・TV エンタメに頭を溶かされて 自分の頭で考えることができない人間・自分が痛い目に合わなければ 何も理解できない 野生動物的人間 の、どれかである可能性 が大と考えられます。
(人間らしさとは?と考えるとき、いかがなものかと、思ってしまいます)(想像力・共感力・教養の問題)
△ウォーノック氏、人権を守る意識が、人々の間で高まるのは、原理主義にある残酷さや、戦争の悲惨さが、人々に知れ渡ったときであると。
※ 私見では、真実を知る努力と、真実を伝えるメディアが 必要であると考えます。(認識する側と、させる側と)
△ウォーノック氏、未開なところ、野蛮なところでは、法実証主義的(罰をもうけて、人々に道徳を守らせる)ものが、必要であるといっています。
※ 私見で その通りですし 、また 野蛮な者・道徳心のない者は、自分が少しでも得をすることしか 考えていません。(心理的 経済的に)(口では否定しますが・嘘が平気、客観性なし、幼稚なことで自信持って偉そう な特徴あり)
※ あと 道徳心が余りないでは、民間企業も似たところがあります。(世間の目は気にしますが・もちろん 全てとは 言いません)
△子供に対する権利(ユニセフ)の条約、イギリス 批准したのが1991年と、日本が1994年と。
(個人的感想では、1970年代 80年代でない。悲しい限りです)
・子供の人権とかの 理想的ものは、欧米等の裕福な国の 理屈であると。
(つまり、経済的に裕福でない、国のことも考えろということです)
※(次へ)
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