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〈倫理の教本〉考えるあなたのための倫理入門(メアリー ウォーノック・道徳 教育哲学者)を読んで文 4

◎(本題)
⑤(自由・責任・決定論)

△利他心を否定する 意見で、人は皆一様に自分の満足(欲)のために 行動するがあると。
これは、倫理学の否定(敵)であると、ウォーノック氏。
※ 私見では 月並みですが 、人間の持つ理性を発揮して 、全体的見方と将来的見方をもって いくしか ないと思われます。(そのためには、正確な情報の普及がいりますが)

△メアリー ウォーノック氏も、信用の置けない者、他者に迷惑をかける者は、倫理的には排除すると 言っています。(そういう者を どう少なくしていくかも 問題です)

△この書中に、フロイトの説では、人が 何かをするとき、過去からの影響(経験・記憶・バイアスも)が動機となり、その行為におよぶと。
サルトルの説では、人は自由(選択)であると、人は過去をつくりあげ 自分は こういう人間であると 言い訳していると、そして人は自分の状況に対して責任があり、その状況下でも何かを なしえるものであると。

※ 私見では、フロイトとサルトルの言うことは、それなりに当たっていると 思われます。
その割合は 人それぞれですが。
例えば、強いトラウマ的出来事、大変 辛い目に会った場合は、その物事を嫌いになるのは 当然ですし、そして 様々なことが影響して、トラウマを克服する人もいます。(いろんな状況、遺伝、能力、偶然なこと 等で)
・ですから、無理に何か一つの主義・パターンにするは 無意味と思われます。なので、様々な法律、やり方、システムがある です。確かに 全体管理的ものは いりますが。・そして 自分で自分のやり方・目標 決めるは、もちろんあります。悩みもっても、後で後悔しようとも。・結局、知識と情報は大事です。

△ウォーノック氏は、決定論に異を唱えたいと。
その理由の 一つに、神経生物学の発達で、予見可能性は低くなったとのこと。
(人胚から分化のとき、ニューロン細胞が ランダムに動くがあると)
※しかし、良い遺伝子 受け継いだほうが、良い優れた者になる 確率高いは ある。そして、一卵性双生児でも 体験などの影響で、感性も思考も違う と書かれていますが、赤の他人から 比べたら似ている部分は かなりあると思われます。ですので、予見可能性の確率も高くなります。確率を無視するは、非現実的といえます。
(世の中は、確率の中にある。と言ってもいいくらいです。そして余談ですが、人が 善い方の確率高いを 求めるのは、当然といえます。それと いいものを求めると、差別するは 違う事柄であると、私は主張します)

※ しかし 本書である通り、遺伝のみで その者が 、公共心や寛大な心を持つことはない は、その通りと思います。
(オオカミに育てられた子は オオカミになるです・オオカミ少女の例)

△ウォーノック氏 談、善い人間性(道徳心・寛大な心)を持つには、教育の方が 見込みがあると。

※ 私見では、その通りと思います。あとは、21世紀の社会契約(ミノーシュ シャヒク著)でもあるように、貧しい家庭(経済的・心理的)への介入(情報提供・指導)が必要と思われます。
・それから 子供の成長で、平均してのもので、 氏半部 育ち半分は 当たっていると思われます。ですから いろいろとありますので、最初から完璧・うまくいくとかは、考えずに するべきです。(改善・修正・フィードバックです・何でも そうですが)
※(ちなみに、新興宗教の者は、極端なサイコパス的 遺伝子の 子供の例を持ち出して、都合のいい理屈を言っています。・人は元々持っているもので、全て決まるとか。・決めつけて、自分たちを正当化する、まる出しです)

△ウォーノック先生、自由には倫理がともなうと。
そして、全て(運命)決定論だと、倫理(道徳)には価値がなくなるだろうと。

※ その通りですし、倫理観・道徳心がない世の中などは、考えられません。
現代の人にも、未来や過去の人達にも 無責任過ぎます。
私も、全て決まっているには、異議あり です。(確率はありますが)

△本書中に、人の行動は、ただ一つの説明(因果とか、遺伝・経験 等)しかない、という考えに とらわれては いけない。
ということを言った、ピーター ストローソン(オックスフォード大学教授・哲学者)の言葉が紹介されています。
「この世界の説明では、客観的特徴のみの説明だけでなく、主観的な人の感じ方、動機と行為の説明もいると。そして その感じ方や動機は他の者にも 当てはまる筈と。そのことを 共通の言語(他の地域の人々にも 通じるもので)で 説明することがいると。それが倫理の鍵であると。」

※ 私見で、ストローソン先生の先見性には、感心させられます。そして前記の 説明を 今現代しているのが、心理学 脳科学 遺伝学 哲学 社会学 等であると考えられます。

⑥(では どうするか)

△本書中、 デイヴィット ヒューム(18世紀 英国哲学者)の言葉で、感情なくして 道徳的判断は ありえないと、記されています。
※ スピノザも、善 悪の判断で 最初にくるのが、自分が善い(快)と思うか、悪い(不快)と思うかであると。
・あとは、先を読んで思う感情と、記憶に残っている ものでの感情もありで、判断に影響するもありと 考えます。

△本書中 ウォーノック氏 、人間は利己心という誘惑に屈しがちであると 述べられています。
(世の中、利己的が当然という 人達もいますが)
あと、人間には 限られた想像力という 欠点があると、指摘しています。
(自分の狭い世界しか知らない、教養がない 等)
そして、利己心という欠点を克服し、理想を持つことは 倫理上必要と。
(理想を忘れた人間は、ただの野蛮な喋る猿です)
・そしてウォーノック先生、前記の理想がなければ 道徳判断は、幻想となると。
(人から道徳心、道徳的理想がなくなれば、暗黒の世界に、弱肉強食 のみの野蛮人の世界へと、落ちると考えられます)

△私的道徳は、公共道徳にも 通じていないといけないと のことです。
そして、将来にわたって善(正直や同情心 等)が価値あるものと、主張できないといけないと。
(その通りです、ウォーノック先生)
※ 前記のことでは、私的(個人)的なことのみでは、個人の実用・実際面のみなってしまう ということです。
(スマートに生きましょうとか、今だけ 金だけ 自分だけでは、いけないと いうことです。そして 嘘つきとか、人に嫌がらせをする様な者を 忌み嫌う 気持ちも大事であると、考えます )

△ウォーノック氏は、道徳教育は必要と、強く主張しています。

※ 私見では、世の中 道徳心などは綺麗事という者もいます。(確かに、国と国との関係とかでは。性悪説が先立つ、過去の歴史からの 考えで・そして 関わる人が多いので。中には 欲深い人達もいる、サイコパシー  ナルシシズム高めの人達 多い)
しかし、そういった 綺麗事と言う者でも、自分事となると 道徳の言葉を使うし、そして喋れる限り 皆 理屈はいう。(オバサンの愚痴も立派な理屈)
あと、自分のことを棚に上げて、道徳の言葉を よく使う者さえいる。
・どう考えても、綺麗事や理想は必要ということです。

△本書中、悪環境の子供は、道徳的ことを教わった ことがない(あまりない)、だろうと。
そして 最悪なのが、怒鳴られる(嫌ことばかり言われる)、叩かれる(脅しも)等で、言語的剥奪をされて いることであると。
(苦しんでいる子供 多いと)

※ 私見で、このことは 全くその通りだといえます。私も身をもって 体験しています。(あまり喋れなくなる・ちゃんとした 意思表示できない)(そして このような負の連鎖は、続いていきやすいは、間違いない事実です)

△ウォーノック先生、子供達が道徳心(善)を持つに至ると みなすは、事実であり、必須のことであると。

※私見では、全く同感ですし、よい社会 よい未来には必要なことです。個人からでも 道徳的ことは進めるべきですし、一人でも多くの仲間とが 必要と考えます。

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