父たちを乗り越えて―トッド・ヘインズ『キャロル』 その2
はじめに
前回のレビューでは、『キャロル』という映画のタイトルから、ヒロイン二人がイエスとして誕生し、死に、復活するさまを描いた映画であると述べた。今回は、『キャロル」がどのような映画のオマージュとなっているか、を指摘し、それをもとに監督であるトッド・ヘインズが何を目指したか、を考えていきたい。
Ⅰ オードリー・ヘップバーンへ
1 ウィリアム・ワイラー『ローマの休日』
映画は1953年の春のニューヨークの描写から始まる。そして、1952年12月、テレーズがキャロルに出会った日からこれまでの出来事が回想されていく。
19歳のテレーズは、前髪を短く切りそろえ、まっすぐで意志的な眉と強い瞳を持っており、初々しい雰囲気である。キャロルと出会った翌年の春には、下ろしていた髪をセットして耳を出すことで、ぐっと洗練され、大人びた雰囲気になる。
テレーズの外見は、往年の人気女優オードリー・ヘップバーンを想起させる。
オードリー・ヘップバーンが世界の観客にインパクトを与えたのが、『キャロル』の舞台と同じ1953年に公開された、ウィリアム・ワイラーの『ローマの休日』である。
アン王女がお忍びでローマの街を散策し、髪も短くカットする。行動を共にする新聞記者ジョー(グレゴリー・ペック)は、そんな彼女を記事にしようと、たくさんの写真を撮影し、アン王女はジョーに好意を抱く。ローマを1日散策した王女は、大使館に戻り、自分の任務を全うしようとする。いやいや任務を遂行していた彼女は、王女としての責任に目覚める。ローマでの一日の経験が、王女に精神的な成長を遂げさせる。
テレーズもまた、キャロルと出会い、二人で旅行し、肉体関係を結ぶことを一つの契機として、精神的な成長を遂げる。アン王女は、記者に撮影される側だったが、テレーズは自らカメラを手に、キャロルを撮影している。
2 ビリー・ワイルダー『昼下がりの情事』
1957年の『昼下がりの情事』(原題:Love in the Afternoon)では、オードリーは探偵の娘アリアーヌに扮する。プレイボーイで大富豪のフランク・フラナガン(ゲイリー・クーパー)が不倫現場を押さえられそうになっているのを、アリアーヌは不倫相手に取って代わることで、助けてやる。フランクはそのお礼として、昼下がり、パリのホテル・リッツにアリアーヌを呼び出す。
『キャロル』では、テレーズはキャロルの手袋を本人に代わって郵送する。キャロルはそのお礼として、昼下がり、リッツ・カールトンホテルにテレーズを呼び出す。女性経験が豊富な男性と処女の娘の駆け引きを描く『昼下がり』を、女性経験が豊富な女性と処女の娘のやり取りを描く『キャロル』へと転じているともとれる。
3 ウィリアム・ワイラー『噂の二人』
『ローマ』と『昼下がり』は異性愛を描いてきたが、オードリー主演で同性愛をテーマに据えたのが、1961年の『噂の二人』である。
17歳のときから親友同士のカレン(ヘップバーン)とマーサ(シャーリー・マクレーン)は、共同で女子の寄宿舎学校を経営している。学校一わがままな生徒メアリーが「二人は同性愛関係にある」という事実無根の噂を流すことで、学校の評判はがた落ちし、二人は窮地に追いこまれていく。カレンには婚約者がいたが、婚約を解消する。マーサはカレンにずっと恋してきたが、その思いが報われることはなく、マーサは自ら死を選ぶ。
『噂の二人』は、同性愛をテーマとしたものの、片思いであり、最後は悲劇で終わっている。一方、『キャロル』は両思いの同性愛を描き、悲劇で終わるのではなく、未来への希望をもたせている。
4 なぜオードリーか
こうして見ると、ヘインズ監督はオードリーの出演した作品を踏まえ、それらにオマージュを捧げていることがわかる。では、なぜオードリーが選ばれたのか。
『キャロル』はかつてナチスがユダヤ人を弾圧したように、1950年代のアメリカで、同性愛者の弾圧が行われていたことを告発している。オードリーはユダヤ人でこそないものの、ナチス占領下のオランダで、飢えに苦しむ少女時代を過ごしている。いわば、ナチス統治時代のサバイバーといえる。だからこそ、ヘインズ監督は、女性に恋をするヒロインの外見をオードリーに似せ、オードリーにオマージュを捧げて見せたのではないか。
Ⅱ 偉大なる父たちへ
1 マーヴィン・ルロイ『哀愁』
ヘインズ監督がオマージュを捧げているのは、オードリー及び彼女が出演した作品にとどまらない。
『キャロル』の二人が結ばれるのは、アイオワ州のウォータールーという場所でのことある。BGMには、『別れのワルツ』(『蛍の光』のアレンジ)が流れる。ウォータールーに『別れのワルツ』といえば、マーヴィン・ルロイの1940年の映画『哀愁』(原題:Waterloo Bridge)である。
『哀愁』は、第一次大戦中、ロンドンのウォータールー橋で巡り合ったイギリス軍将校(ロバート・テイラー)とバレリーナ(ヴィヴィアン・リー)の悲恋の物語である。『別れのワルツ』は二人が食事をしたレストランで流れ、二人が口づけするきっかけとなった曲である。二人は式を挙げようとするもかなわず、将校は戦地に赴き、バレリーナの仕事を解雇されたヒロインは、娼婦に身を落とす。二人は再会を果たすが、ヒロインは体を売ってお金を稼いでいたという罪悪感からウォータールー橋で軍用トラックに身を投げ、自ら命を絶つ。
娼婦として生活せざるを得なかった女性が、自分は恋人にはふさわしくないとわれとわが身を責め、自殺するという筋書きからは、男性と女性には異なる性規範が適用されていたことがわかる。ヒロインはそのひたむきさゆえに、その犠牲となったといえよう。映画の主題は異性同士のエロースである。
『キャロル』では、『哀愁」同様、幸せなひと時の直後に別離が待ち受けている。だが、同性同士のエロースを描きながら、それを片方の自殺というような悲恋では終わらせていない。
2 フランソワ・トリュフォー『終電車』
『キャロル』は、列車が地下鉄のホームに滑り込む音で幕を開け、鉄条網のようなものを映し出すことで、ナチスのユダヤ人弾圧と同様のことが起きていることを示唆している。
タイトルに地下鉄が冠されており、ナチス占領下のフランスを舞台にしているのが、1980年のフランソワ・トリュフォーの『終電車』(原題:Le Dernier Métro)である。アカデミー賞の、外国語映画賞にノミネートされている。
かつてお針子だった舞台女優(カトリーヌ・ドヌーブ)は、ユダヤ人で劇場の支配人だった夫に代わって、劇場を切り盛りしている。夫は国外に脱出したと見せかけて、実は劇場の地下室で暮らしている。消えた男ならぬ、『消えた女』というタイトルの演劇を上演する中で、ヒロインと若い男優(ジェラール・ドパルデュー)との恋が芽生える。
ブロンドのヒロインは、キャロルそっくりの毛皮のコートに身を包むが、酷似したコートを着ているのが、劇場に出入りする茶色い髪のお針子の女性である。彼女は若い男優の体を触って採寸することを嫌がり、若い舞台女優とこっそり抱き合い、キスをしている。ブロンドの元お針子の女性を巡る、異性同士のエロースを中心的なテーマとしながら、周縁的なものとして、茶色い髪のお針子の女性の、同性へのエロースも描かれている。
3 フィリップ・カウフマン『存在の耐えられない軽さ』
オードリーは、『ローマの休日」で王女という身分のせいもあって、写真を撮られる客体であった。けれど、時代が下ると、オードリーのごとく前髪を短くした、撮る女が登場する。それが、ミラン・クンデラの小説を原作にした、フィリップ・カウフマンの『存在の耐えられない軽さ』(1988)である。
1960年代のプラハに、田舎町からカメラマンを目指して出てくるのが、テレーズならぬテレーザ(ジュリエット・ビノシュ)である。彼女はチェコスロバキアにソ連が侵攻した様子をカメラにおさめるが、その写真は珍重されることなく、ヌード写真を撮ることを求められる。そのモデルに、夫の浮気相手の女性を選ぶのだ。テレーザ、プレーボーイの夫、浮気相手の女性との三角関係が主に描かれており、異性愛をテーマとしている。仕事として求められたからではあるものの、女性が女性のヌードを撮る点に新しさがあるといえよう。
求められて同性のヌードを撮影したテレーザから、愛するゆえの衝動に突き動かされて、同性のベッドでの仕草を撮影するテレーズへと、進化しているのである。『キャロル』の中で、テレーズの姓ベリベットが、チェコ系の苗字であることに言及されるのは、偶然ではないだろう。
おわりに―『キャロル』の新しさ
こうして見てくると、『キャロル』がオマージュを捧げている映画は、枚挙にいとまがない。共通しているのは、『噂の二人』を除いて、異性愛が中心的なテーマであり、同性愛は描かれないか、描かれても周縁的な存在にとどまるということである。『噂の二人』は同性愛を描くものの、片思いに終わっており、同性に対するエロースは自殺という悲劇的な結末を迎える。
『キャロル』の新しさは、これまで周縁的な存在とされてきた同性愛を中心に据え、自殺のような悲劇に終わらせるのではなく、未来への希望をもって描いて見せたところにある。もちろん、かつてユダヤ人が弾圧されたように、同性愛者が弾圧されている厳しい時代状況に目を向けることも忘れてはいないが。
ヘインズは、2002年の『エデンより彼方に』で、同性愛や人種を越えた恋愛を問題化して見せた。
ヒロインは、周囲から理想的な家族と見られている一家の主婦(ジュリアン・ムーア)である。夫がゲイであることがわかり、夫婦で性的指向を変えようと転向療法を試みたものの、最終的には夫はヒロインの元を去ってしまう。悲しみに暮れるヒロインは、ふとしたことから黒人の庭師と親しくなる。しかし、白人と黒人の恋愛は、周囲から白い眼で見られることになる。
『エデンより彼方に』で取り上げた同性愛者に対する差別を中心に据えたのが、『キャロル』である。母方がユダヤ系であり、ゲイであることを公表しているヘインズの個性がいかんなく発揮されているといえよう。カンヌ国際映画祭で、クィア・パルム賞を受賞したのも納得のゆくできである。
ヘインズは最新作『メイ・ディセンバー ゆれる真実』では、13歳の少年と36歳の女性という、年齢差のあるカップルを描いている。エロースにおいて、タブーとされてきたものを描き続けるトッド・ヘインズの行方にこれからも注目したい。
※ケイト・ブランシェットによると、『キャロル』は、妻子ある男女の出会いと別れを描いたデヴィッド・リーンの『逢びき』(1945)へのオマージュにもなっているそうです。気になる方はぜひご覧になってみてください。
長い長い映画レビューを最後までお読みいただき、ありがとうございました。みなさんは『キャロル』をご覧になられて、何の映画を思い出されましたか?
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