三世代が同居する―湊かなえ『母性』 その2
この記事は、下記の記事の続きで、湊かなえ『母性』について書いています。『母性』というタイトルである以上、作品の母胎となる、比喩的な意味での「母」の存在があるのではないか、という仮説を検証するものになっています。
3800字程度と長いので、少しづつ読んでいただくのもよいかと思います。
Ⅱ 『風立ちぬ』『美しい村』に寄す
1 リルケが選ばれた理由
作品の各章には、リルケの詩のタイトルが冠されており、各章の最後にリルケの詩が引用されている。タイトルは全て、各章の記述と関連がある。
第一章「厳粛な時」では、「娘の回想」の最後に「わたしの人生も、もうすぐ終わる。」とあり、原詩の第四連の「いまどこかで死んでゆく 理由もなく世界の中で死んでゆく者は」と合致している。
第二章「立像の歌」で、ルミ子は「母の命と引き替えに娘が助かった」と記し、祖母は「『無償の愛』を注いでくれた人」だったと清佳はいう。祖母は清佳の代わりに死ぬことで、清佳に対する無償の愛を示したが、これは原詩の冒頭の「自分のいとしい生命をふりすてるほど 私を愛してくれるのは誰だろう?」と重なる。
第三章「嘆き」は、最愛の母を亡くしたルミ子の嘆きと、母に愛されない清佳の嘆きが、原詩の「見すてられて」嘆きながら「進んでゆく」「お前」と重なる。
第四章「ああ 涙でいっぱいのひとよ」で、ルミ子は義妹の息子に突き飛ばされて流産してつらいのに「一滴の涙も出て」こないでいる。清佳は母に優しい言葉をかけてもらえたとき、「涙がこぼれないように」している。いずれも、原詩の「苦しみ」ゆえに「涙でいっぱいのひとよ」という呼びかけと、差異を持って重なる。
第五章「涙の壺」では、姓名判断をしてもらい、亡き母の声を聞いたと思ったルミ子が涙を流しており、原詩の「あふれ落ちる涙のための壺」と重なる。
第六章「来るがいい 最後の苦痛よ」では、祖母の死の真実を知った清佳が木で首をくくって自殺を図っており、原詩が「焰のなか」で「燃えている」「私」を描いていることと、差異を持って重なる。
終章「愛の歌」では、まもなく子を産む清佳が、子を「愛して愛して、わたしのすべてを捧げるつもりだ」と、子に無償の愛を捧げる意思表示をしている。原詩は、「お前」と「私」が「甘い歌」を奏でることから、エロースとしての愛を意味していると考えられる。原詩のエロースを無償の愛であるアガペーへと転じている。
では、なぜリルケが選ばれたのか。リルケは、ルミ子を母たらしめるきっかけをつくっているからである。祖母と、のちにルミ子の夫となる田所哲史はともにリルケファンで、田所が家を訪問したとき、二人で詩を口ずさんでいる。リルケがルミ子と田所との間を取り持ち、清佳が生まれることになったといってもよいのである。
リルケ好きの田所哲史は、油絵を得意とし、ルミ子が彼と出会ったのは、絵画教室である。彼は、結婚に際して、「美しい家」を築きたい、という。作中にリルケの詩と、油絵を描く人物を登場させ、作中で語り手に「美しい家」ならぬ、「美しい村」を書きたい、と語らせた小説家といえば、堀辰雄が挙げられる。『風立ちぬ』(1938、野田書房)では、主人公が油絵を描く少女と出会い、少女の死によって、リルケの「鎮魂歌」を引用する。『美しい村』(1934、野田書房)は、主人公が「美しい村」を書きたいと願う、メタフィクションとなっている。『母性』は、堀の『美しい村』及び『風立ちぬ』へのオマージュともなっている。
2 堀辰雄が選ばれた理由
では、なぜ堀辰雄の作品を彷彿とさせる設定が用いられたのか。2009年、宮崎駿は『風立ちぬ 妄想カムバック』という漫画を月刊「モデルグラフィックス」(大日本絵画)で9回にわたり連載している。この連載をもとに、アニメ映画『風立ちぬ』が作られ、2013年に公開されている。
連載をまとめたものは、2015年、『風立ちぬ 宮崎駿の妄想カムバック』(大日本絵画)として出版されている。漫画は、作家の堀辰雄と、航空技師の堀越二郎へのオマージュとなっており、主人公の航空技師は「美しい飛行機を作りたい」という。彼は油絵を描く「里見菜穂子」と出会い、婚約するが、彼女は肺病になってしまう。主人公は、自分が作った飛行機が飛ぶことを「風立ちぬ」と表現する。
湊は『母性』の構想段階で、宮崎の漫画を読んだのではないか。日本アニメ界の人気男性アニメーターが、堀辰雄にオマージュを捧げて見せたのに対し、日本小説界の人気女性小説家として、堀辰雄にオマージュを捧げて見せたのではないか。
3 父の夢の行方
ところで、田所哲史の「美しい家」を築きたい、という夢はどうなったのか。堀の『風立ちぬ』を下敷きにしている『母性』は、どういう意味で、「風立ちぬ」といえるのか。
ルミ子と哲史が結婚してから、核家族で住んでいた高台の家は、台風のときに燃えてしまい、哲史の実家で三世代が同居することになる。哲史はルミ子が哲史の母にこき使われても何もいわず、ルミ子は家事と農作業を一手に引き受け、苦労する。ルミ子と共に「美しい家」を築く夢は叶えられなかったといえよう。
しかし、その代わりに、「美しい飛行機」ならぬ、美しい鳥作りに成功している。娘の清佳は、色白で「鼻がツンと高」く「美し」く生まれ、「持ち物に小鳥の絵がついたものが多」く、ボーイフレンドの中谷亨からは「鳥っぽい」といわれているのだ。
作中における「風立ちぬ」は、風ならぬ台風が起こり、それが原因で祖母が亡くなったこと、祖母が母に、娘を愛し共に生きよ、とメッセージを送ったことを意味する。さらに、美しい鳥である清佳が成長して、彼女の巣ともいうべき田所家から飛び立ち、家庭を持つことも含意している。
Ⅲ 湊版『ねじまき鳥クロニクル』
『母性』は、美しい娘鳥と、母鳥にあたるルミ子の時系列に沿った回想ともいえ、「鳥クロニクル」の様相を呈している。清佳を「鳥っぽい」といい、小物に鳥のイラストを入れるボーイフレンドの名前は、「中谷亨(なかたに とおる)」であり、「やれやれ」と困ったような顔をする。
清佳が自殺未遂したのは1994年だが、同じ年に第一部が発表されたのが、村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』である。
『ねじまき鳥』は、「クロニクル」というが、時間は過去・現在を行き来し、現実ともう一つの現実といえる世界を往還している。「ねじまき鳥」と呼ばれ、「やれやれ」を頻発する男「岡田亨」が主な語り手であり、岡田の義兄が「綿谷昇」である。『母性』の「中谷亨」は二人の名前をミックスしているといえよう。岡田は、他人に心を閉ざした妻久美子を癒す存在であり、結婚後6年で久美子は失踪し、彼女は兄の昇を殺す。
『母性』では、娘鳥にあたる清佳と母鳥にあたるルミ子という二人の語り手がおり、二人とも、おおむね時系列に沿って回想している。「中谷亨」は、他人と打ち解けない清佳を、「中」まで「とおる」という名前通り、心身ともに貫き、癒していく存在である。清佳は自殺を図るが生還し、亨と結婚する。
清佳の原型は、『氷点』の陽子だと述べたが、村上春樹の妻の名前は陽子である。『氷点』の「陽子」のごとき清佳の夫を、村上春樹の作中人物を踏まえた名前にしているが、これは、通常、村上春樹の妻として認識される陽子を、陽子の夫は誰か、を考えるように転換してみせた可能性もある。「陽子」を原型とする清佳の夫だからこそ、村上春樹の作中人物の名前が選ばれたのかもしれない。
おわりに
こうして見てくると、『母性』は、1904年生まれの堀辰雄、1922年生まれの三浦綾子、1949年生まれの村上春樹という、世代の異なる三人がいわば同居することで生み出された小説といえる。堀は1934年に『美しい村』を、三浦は1964年から『氷点』を、村上は1994年に『ねじまき鳥クロニクル』第一部を発表しており、作品が発表された間隔はきっかり三十年ごととなっている。『母性』は、祖母、母ルミ子、娘清佳の三世代にまたがる物語であり、比喩的な意味で三世代が同居しているといえる。
また、作中の田所家は、田所家の祖父母(のちに祖母のみ)、田所哲史夫婦、清佳の三世代が文字通り、同居している。『母性』という小説は、祖母から母ルミ子へ、母ルミ子から娘清佳へ、さらにこれから生まれる清佳の子へと、命がリレーしていることで生み出されているが、同時に、堀から三浦へ、三浦から村上へ、村上から湊へと、小説がリレーすることでも生み出されている。四世代目の、清佳の子供が生まれようとするところで小説は終わるが、これは四世代目といえる『母性』という小説の誕生と軌を一にしているといえよう。
【付記】本文の引用は、湊かなえ『母性』(2012、新潮社)による。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
上記の文章は、大学の同人誌に掲載し、活字化済みです。無断転載はできませんので、ご承知おきください。
『母性』は2022年に映画化もされています。
公開された映画を観て、私がnoteに初めて書いたのが以下の記事です。頑張って記事を書いたのに、あまりに反響がなくて書く気力をなくしてしまった、思い出深い初投稿です(笑)。ご興味のある方はこちらもどうぞ。