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【書評】『プラハ日記 アウシュヴィッツに消えたペトル少年の記録』

ナチスの支配するチェコの国で暮らしていた、あるユダヤ人少年の日記


基本情報

  • 著者:ハヴァ・プレスブルゲル

  • 訳者:平野清美・林幸子

  • 出版年:2006年5月22日初版第1刷

  • 出版社:株式会社平凡社

  • ページ数:全267ページ

読書のきっかけ

最近私はチェコという国に
関心を持っています。

きっかけは

ヤン・シュヴァンクマイエルという
チェコのアニメーション監督作品に
ハマったことから。

チェコのアニメーションの
ダークで美しい世界観に惹かれて
チェコという国に関心を持ちました。

本書はチェコという国の文献を
バリューブックスで漁っていた時に
ヒットした時に出会いました。

本書の

「もう一つのアンネの日記」
というキャッチコピーから
興味を持ち購入しました。

本書はチェコに暮らしていたユダヤ人少年
ペトル君の残した2冊の日記
もとになっています。

ペトル君が日記を付けていた期間は
1941年9月19日〜1942年8月9日の1年間。

最後の日記を付けた1ヶ月後に
ペトル君はかの
アウシュビッツ強制収容所へ運ばれ

(強制収容所への収集は
「輸送」と呼ばれています)

1944年9月28日に
アウシュビッツ強制収容所のガス室で
16歳の短い生涯を終えます…

本書には
ペトル君の残した2冊の日記の他

ペトル君の生前の写真
彼が描いていたイラスト
短編小説も一部収録されています。

小さい頃から
モノづくりや小説・絵描きと
才能を発揮していたペトル君。

クリエイティブな才能に恵まれていた彼は
生きていたらきっと
クリエイターになっていただろうなと思います。

気づいたこと・感じたこと

Ⅰ.ペトル君という人物について

私と兄がまだ小さかった頃のことを思い出します。ペトルは黒っぽい金髪に青い目で、真剣な眼差しをしていましたが、その瞳はよく男の子らしい悪戯っ子の目つきに変わりました。一緒に散歩する時など、ペトルは地面を見つめながら歩き、線の入った小石、ビーズ玉、時にはお金まで、何かしら「宝物」を見つけたものです。

本書p23

ペトル君について私は
「好奇心旺盛な、クールで知的な男の子」
という印象を抱きました。

その一方で
悪戯好きな一面も持ち合わせています。

ペトル君の記す日記の内容は
とてもシンプル。

どの日記の内容も
感情を盛り込まず
淡々と今日の出来事を綴っています。

それでもペトル君は

ナチスドイツによるユダヤ人差別の狂気
肌身に感じていたことが
日記の随所から伺えます。

いつ自分も輸送に呼ばれるか
いつまでユダヤ人差別による規制が続くのか

先が見えない状況の中でも

ペトル君は死ぬ最後まで
「未来を生きる」という希望
見失いませんでした。

僕らは勉強(仕事)、喜び、文化という僕らの青春につながる糧の土壌から不正に引き離された。こうすることによって、彼らは唯一の目的、僕らを肉体的にではなく、精神的、道徳的に破壊することを果たそうとしているのだ。彼らの思い通りになるだろうか?断固、なるものか!文化の源が奪われたならば、新たに創りあげよう。喜びの根源から引き離されたならば、新たな喜びにあふれた人生を築きあげようではないか!

本書p31〜p32

Ⅱ.忍び寄るナチスの影

一九四一年九月一九日(金)
霧模様。
ユダヤ人の記章が導入された。

本書p62

ペトル君の初めての日記は

ユダヤ人であることを意味する
ダビデ王の六芒星の記章が
導入されたこと
から始まります。

日記には
家族や親戚、友人達との日常や
学校生活
が書かれている一方

忍び寄るユダヤ人差別の影
書かれています。

ナチスドイツは当時
ユダヤ人を徹底的に滅ぼすこと
目的に掲げており

その手始めとして
ユダヤ人の持ち物を全て調べたり
公共の場を使えなくしたりなど
を行いました。

一九四一年一〇月六日(月)
かなりいい天気。
仮庵の祭り(スコット)なので学校はお休み。午前中は自宅。午後は矯正体操に行って、「エデンの園」にクイズの解答を出しにいった。そこには、人間より死神に似ているおばさんがいた。
新たにユダヤ人はシャツ類、家具、ミシンなどを申告しなければならなくなった。

本書p71

ナチスドイツのユダヤ人差別は
徐々に普通の人々にまで及び
ペトル君も度々迫害を受けるようになります。

一九四二年六月三〇日(火)
(略)
市電に乗ったら、一人のドイツ人にひどく乱暴に放り出された。
「ヘラウス!」(ドイツ語で、降りろ!)、「ヴェン!」(チェコ語で、降りろ!)と順序正しく、まずドイツ語、それからチェコ語の順でわめいたので、僕は降りざるをえなかった。羽毛布団をくるまずにそのまま持ち込んだことが、気に障ったらしい。
結局、ひどい土砂降りの中を、ヒルフスディーンストまで走る羽目になった。

本書p203

市電を利用しようとしたら
「ユダヤ人」という理由で追い出された
という記述は

読んでいて
胸が締め付けられます…

それでもペトル君は
自分の身に降りかかった差別に対しても
淡々と書き綴ります。

一九四一年一二月一四日(日)
(略)
道すがら、(もちろんユダヤ人が)ひっぱたかれることがある(らしいと耳にした)ので、なるべく星を隠して歩いた
(中略)
どうやらユダヤ人はひっぱたかれるだけでなく、下手をするとこっぴどく叩きのめされるようで、ヴライカ派(チェコのファシスト組織)の連中から顔中にひどい暴行を受けた人たちがいるそうだ。

本書p100

ナチスドイツによる
ユダヤ人差別の影響で

少しずつ規制されて
人間としての尊厳も失われていく日常。

ペトル君はそんな日常について
日記の中で次の文章を書いています。

一九四二年一月一日(木)
(略)
午前中、宿題をやった。特に変わったことはなし。だけど本当は変わっていることはたくさんあるのに、見えていないだけだ。今の時代にまったく当たり前の出来事は、普通の時代だったら大問題になるはずだ。たとえばユダヤ人は、果物、ガチョウや家禽類、チーズ、たまねぎ、にんにく、その他たくさんのものが禁じられている。受刑者、頭のおかしい人、ユダヤ人には煙草が配給されない。市電、バス、トロリーバスの一両目には乗ったらいけない。ヴルタヴァ河畔を散歩したらいけない、などなど。

本書p112〜p113

Ⅲ.いなくなる人々

ユダヤ人差別の影響が
日常生活に浸透していく中で
「輸送」が始まります。

「輸送」とはユダヤ人を
アウシュビッツ強制収容所へ送ること。

当時ユダヤ人は
「輸送」の後家族や親しい人達と
もう二度と会えないだけでなく

最終的に待ち受けているのが
「死」しかないことを知りませんでした…

ペトル君の周りでも
「輸送」されていく人々が増えていきます。

一九四二年二月五日(木)
次の輸送に、知り合いがたくさん召集されてしまった。
バルダツ、マウトネルさん(カレルおじさんの知り合い)、エヴァとよく散歩に行っていたヒルショヴァー、その他たくさんの人たちだ。

本書p132
  • クラスメート

  • 学校の先生

  • 近所の人達

  • 友人

  • 親戚の人達…

少しずつ親しい人たちが
「輸送」でいなくなっていきます。

いつ自分も
「輸送」に選ばれるかわからないという
不安を感じさせます。

Ⅳ.ペトル君の最期

ペトル君の日記は

一九四二年八月九日(日)
午前、自宅。

p215

とシンプルな内容で終わっています。

その1ヶ月後
ペトル君も遂に「輸送」されてしまいます…

ペトル君はチェコから離れ
輸送された先で二年生きました。

そこでも探究心を失わず
合間を縫っては勉強に励み
絵や執筆活動に打ち込みました。

妹のハヴァさんは
アウシュビッツに旅立つ兄のペトル君と
束の間の再会を果たします。

アウシュビッツに運ばれることが
決まったペトル君との別れを
ハヴァさんは回想します。

一九四四年九月二七日
(略)
……輸送がこのまま、進まなければいい。保護領全土でストライキが行われているので、列車が来ないという話だ。ついにペトルの番が来たと知った時、たまらなく具合が悪くなった。その場から逃げてトイレにかけ込んで、思い切り泣いた。

本書p219

そしてペトル君は
アウシュビッツのガス室に運ばれ
そこで十六年の短い生涯を閉じました…

まとめ

ペトル君の残した日記から感じることは
「生きる」という彼の強い意志でした。

第二次世界大戦で起こった
ナチスドイツによるユダヤ人差別は
これからもずっと忘れてはならない悲劇。

ユダヤ人差別の影響が浸透する日常
規制が始まり不自由さを強いられる日々
激化していく戦争…

先行きの見えない中でも
ペトル君は最後まで探究心を失わず
創作活動を続けました。

ペトル君の残した日記や創作物は
彼が生きた証そのもの。

「アンネの日記」を書いた
アンネ・フランクもまた
最後まで生きる意志を失いませんでした。

ペトル君の辿った運命は悲劇ですが
それでも真っ直ぐ生きた彼の姿は
強い印象を残します。

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