中学校へ進学

こんばんは。

暖かくなってきましたね。

今回は中学に入った頃について書いていきます。
※は前回までの投稿内容です。


※前回の投稿

  • 歩けなくなってから卒業までは多少運動機能が落ちていくが大幅な衰えはなかった。

  • 車椅子生活になってからも学校行事や運動会、修学旅行など自分ができる範囲のことは全て参加。

  • 病気を持ちながらも学校生活や行事の参加は、両親や先生、介助の方、友達などの協力により実現することができた。

  • 色々と大変なこと、苦しいこともあった中でも関わってくれた方の助けや協力があり、無事小学校を卒業。





小学校を卒業して、そのまま地元の中学校に入学しました。
周りの友達は地域の中学校にそのまま入学していくことが多かったので、自分もそのまま一緒に学校生活を送りたいと考えていたので、普通校に進むことを決めました。


自分の通う中学の校舎は4階建てと渡り廊下でつながった3階建てになっていました。

小学校で使っていた大きな机と階段昇降機は、そのまま中学でも使わせて頂けることになりました。

通常は進級する度に教室の階が変わり、教室の移動が多くならないように先生方に考慮していただき、3年間2階の教室で授業を受けさせてもらうことになりました。
とてもありがたかったです。


登下校は小学校から引き続き両親の車移動で、2階の教室へは階段昇降機を使用しました。


また中学では日中の教室移動で階が変わるときは、車椅子を人力で抱えず、全て階段昇降機を使って移動しました。

階段での移動は小学校の時よりも回数が多くなり、それぞれ教科毎に先生も違うのでこのように対応してもらいました。




入学した頃の身体の状態は、小学校のときと比べると病気の進行により介助が必要になることが増えてきていました。
手が上げづらくなりました。
給食は自分で食べていましたが、スープや牛乳は持ってもらって飲みました。



初めのうちは介助できる方を探している状態だったため、教室移動時の階段昇降機やトイレ介助は最初先生方にお願いしていただきました。


教室移動も時間がかかり、時間の都合もあるのでトイレの時は授業の終わる1、2分前に先生に来てもらい、1人が抱え、もう1人が下着を下げ、座ってトイレを済ませていました。


両親、先生や友達などたくさんの方の協力により、中学校生活を送り始めることができました。



5月になると介助してくれる方が見つかり、学校内で介助に入ってもらうことが可能になりました。

初めのうちは介助に入れる時間は全ての時間ではなかったんですが、とくに移動の多い日や忙しい日を中心にお願いしていました。

ですが徐々に介助する時間が増えていき、最終的に中2の冬辺りに全ての時間に介助に入ってもらうことができました。

介助の方にお願いできるようになり、トイレは介助の方に抱えてもらい、先生方に下着を下げてもらいました。
休み時間はあまり長くはないので、授業が終わる少し前に介助の方に職員室に行ってもらって先生を呼んでもらい、授業が終わってすぐにトイレに行きました。

階段昇降機の操作も慣れてもらいお願いしました。

徐々に筋力が衰えていく進行性難病で、学校生活を送るのが大変になってきたあたりで、介助してもらえる時間が増えていきました。
なので引き続き安心して学校生活を送ることができました。



実技科目は作品を作るために自分でできることはやり、できないことや難しいことは一緒に手伝ってもらったり、やってもらったりしました。

彫刻刀で彫ったり、介助の方に電動ノコギリで切ってもらったり、銅板を叩いて形を作るのに一緒にハンマーで叩いたり、絵を描くのに遠いところは腕を支えてもらったりしていました。

力をあまり使わないでできるものは、比較的自分でやっていたと思います。


体育はほぼ見学で、水泳の授業は参加しました。


学校のプールは屋外の階段を上がった2階にあります。
更衣室は入れないので、学校の用具などが置いてある部屋みたいなところで着替えられるようにしてくれました。
濡れても大丈夫なように以前使っていた車椅子に乗っていました。
プールの時は時間に余裕もなく、かなり大変だったので、親と介助の方1人もしくは2人体制で介助してもらいました。

プールは2階にあるので、大変でしたが車椅子に乗った状態で抱えて上げてもらいました。
車椅子からプールサイドへは、両側から介助二人で横抱きで移動して座ります。
プールの中ではライフジャケットを着て入りました。

泳ぐのは小学校の頃よりはできなくなってきて、息継ぎも難しくなりました。

それでも何とかしてやりたかったので、ビート板や介助の方の腕を掴み、軽くバタ足して、手でトントンと合図を出して水面から顔を出してもらい息継ぎをしました。
またバタ足してもあまり進まないので引っ張ってもらったりすることもありました。

引っ張ってもらうと少し泳いだ感覚を味わえるので楽しかったです。



これまで投稿してきたことは、その当時の学校の体制や役所、介助の対応など今と違うこともあると思いますが、自分の病気や体験、経験したことの一例として、少しでも参考になればいいなと思って書いています。


長文になってしまいましたが、また続けていきたいと思います。



最後まで読んでいただきありがとうございました😊


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