親指付け根の盛り上がり
ひと夏の思い出にしては長すぎた、ぽっかりと空いた太陽の黒点みたいに今年の夏は僕の人生から欠落した、忘却、うだる暑さ寝れない夜、裸体に扇風機直風の強首振りもせず、でもねれないくらいに、クーラーのない現場にクーラーのないボクシングジムにクーラーのない部屋で寝付けない夜、kディックがピンクのビームを頭に照射されたみたいに俺の夏はすっぽ抜けた人生の軌道から外れて暗黒空間に吸い出された、思い出がどれかわからない昨日やおとついたちがどうしようもなくシャッフルされてしまったのだ、おチビの掌だけが記憶にある、あたたかい掌の親指の付け根の盛り上がったおにく、おれにもそれはある、おチビと僕はその親指付け根の盛り上がりに指をひっかけて手を繋いで歩く、すべての記憶が失われてもそれは忘れないだろう、人生で積み重ねるべきことはきっとたぶん、こういう忘れても忘れられない感覚をいくつ持ったかだろう、時系列なんてなんでもええんや、昨日がどうとか、記憶は景色を通り抜けていく現場から現場一年経ってまた同じ現場に苗が大きくなってる相変わらず草木の茂る山一面草刈機の刃を当てて歩き回る仕事だ、ピンポンだまみたいに太陽がのぼってはしずむ、大きくなる苗、帰宅するたび大きくなるチビたち妻のやさしい笑顔は変わらない、おれは、伸びるヒゲ、頭を丸めてもまた生える、クソが、草も髪もヒゲもひたすらに伸びやがる、刈っても刈っても生えてきやがる、なんだ俺の人生は回転する草刈機の刃が同じマークをクルクル描く、円、なんだ俺の人生は、行っては帰る行っては帰る奥道後の山道を何度往復したことか四季は変わるたしかに無常、常は無しでもまた同じ季節がやってきて同じように草は生えて草刈ってる間に伸びるヒゲ、草刈機をあの憎たらしいほど青い空にぶん投げて、髭剃りを窓に向かってぶん投げて、同じ回転し続ける軽トラのタイヤもぶん投げて、手ぶらで旅に出てやろうか、同じ日々同じ繰り返しなのに苗は大きくなってだんだんに林になっていく、あんなにちいちゃかったチビたちがすっくと立ち上がって背骨のカーブを描きながら正面からこちらを向いている、えらそうに、かわいすぎるやろ、報酬がある繰り返しの報酬が俺が繰り返すから子供達が大きくなってるまるで裏方でしゅっぽしゅっぽ繰り返し空気を送り込むみたいに、どうせ鼓動だって呼吸だって反復しているんだ、反復そのものが新しいとドゥルーズがいう、新しさとはなんだ、おれは古くなっているのに、けれども古くなって身体も永遠に反復してくれるわけじゃなし、草刈機の左右の反復の末にぶっ壊れる腰骨よ、そんなおれのダンスを内包して世界は呼吸している新しいものを新しく古いものを古くさせるように、反復はどうせ新しい、夏はまぶしく脳を焼く一年分以上の日射を食っておなかいっぱいもういいよまた来年だ、ええかげんにせえ、海から顔出した海面キラキラに目がホワイトアウトした瞬間みたいな夏、一瞬の閃光、そこにはたくさんの思い出、潜り抜けてきた現場の景色、気色ばんだねさまざまな感情、並べる必要なんてない走馬灯は順番待ちしないクルクルしながら自分はそれぞれの刹那に立ち会っている、思い出したよ息子と手を繋いだ親指の付け根の肉の盛り上がりをおれもそうだけれども親父もそうだったおれは息子と手を繋いで歩く時親父と手を繋いで歩いているんだこれは過去なのか、いや現在だ現在におれも親父も息子もみんな手を繋いでる親指の付け根の盛り上がりをみんなでたしかめてる