見出し画像

フランクフルト学派 

現代に至るまで、ヨーロッパやアメリカ、日本にも大きな影響を与えています。やや難しいかもしれません。ただ、この学派の概要を理解することで、現代における政治的な左派の概念について、理解を深めることができると思います。

〈目次〉 
1.フランクフルト学派とは 
(1)フランクフルト学派の成立
(2)フランクフルト学派の特徴
2.フランクフルト学派と批判理論
(1)マルクスとフロイトの統合
(2)マルクスの思想
(3)フロイトの思想
(4)マルクスとフロイトの統合
(5)ホルクハイマーの批判理論
(6)伝統的理論
(7)批判理論
3. フランクフルト学派と『啓蒙の弁証法』
(1)『啓蒙の弁証法』(近代批判の研究)
(2)文化産業


1.フランクフルト学派とは
(1)フランクフルト学派の成立

フランクフルト学派とは、フランクフルトの社会研究所で活躍した学者や、それと結びつけられる批判理論を意味します。

社会研究所は1923年にフランクフルトに設立された研究機関で、主にユダヤ系の出自をもつ研究者から成り立っていました。

ユダヤ系知識人が社会研究所に集まった背景には、ドイツの教養・文化を深く身につけた人々であるにもかかわらず、ユダヤ系が大学のポストに受け入れられていなかったことが要因にありました。

また、1930年前後から活動を始めていた本格的に社会研究所ですが、著名な研究者たちが「フランクフルト学派」と呼ばれるようになるのは第二次世界大戦以降の話です。

(2)フランクフルト学派の特徴
フランクフルト学派の特徴として、「批判理論」が頻繁にあげられます。

批判理論は重要ですが、フランクフルト学派の提示した重大な問いとは、「なぜホロコーストのような出来事がヨーロッパの高度な文明社会で起こったのか」というものです。

つまり、フランクフルト学派は、文明(合理的、啓蒙的など)は、野蛮状態を乗り越えたものではないこと。言い換えれば、進歩の歴史で語ってきた西欧文明と野蛮の関係性とは何だったのかを再考することを掲げたのです。

21世紀においてもなお、文明と野蛮の関係を根本的に問い直そうとするこの姿勢から学べることは多くあるはずです。


2.フランクフルト学派と批判理論

(1)マルクスとフロイトの統合
まず、フランクフルト学派の批判理論を学ぶ際に大事なのは、マルクスとフロイトのそれぞれの議論が理論的に統合されていることです。それぞれの理論の特徴を簡単にみてましょう。

(2)マルクスの思想
よく知られるように、マルクス思想の要点の一つには、個人とは無関係に展開される歴史の運動法則を追求したことがあげられます。

具体的には、以下のような思想がありました。
中世から近代にかけて封建社会から近代社会へと体制が移行したように、近代の資本主義社会は恐慌と革命によって最終的に共産主義へと発展すると考えた。


近代資本主義社会は、一部のブルジョワ階級と大多数のプロレタリアートへと二極化し、プロレタリアートが資本制の不条理を認知するとしたこと。そして、プロレタリアートは経済恐慌に直面して立ち上がり、国際的な連帯をとおして世界革命を実現すると想定された。

(3)フロイトの思想
一方で、フロイト思想においては、個人の振る舞いは無意識の関係から説明されます。

具体的には、フロイトは「リビドー」※と呼ばれるものが人間の原動力となり、その充足を求める存在として人間をとらえました。  

※リビドーとは、精神分析学において「人間に生得的に備わっている衝動の原動力となる本能エネルギー」のこと。

たとえば、動物の場合、リビドーと本能がイコールだが、人間はリビドーの発露を我慢して蓄積します。つまり、人間はリビドーの充足を先送りにしているから不満感が残ります。これが精神的な病の根源となると考えました。

(4)マルクスとフロイトの統合
両者の議論を統合しようと試みたのが、エーリヒ・フロム(Erich Fromm)です。フロムは以下のように両者の議論を統合しました。

マルクス思想を精神分析学に統合することで、
・資本主義社会を絶対視し、社会の変容可能性を視野に入れていないこと。
・精神分析学の研究者も患者もブルジョワ社会と家父長制を前提としていること。
に批判が加えられる。

マルクス思想に精神分析学を統合することで、「なぜ支配階級のイデオロギーを支配される人々が支持するのか」という疑問に精神分析学的なアプローチができると考えました。

この統合をとおして、フロムは近代社会における人間の深層(奥深くに隠れている部分)と表層(表に現れた部分)にみえる動機を区別することができるようになりました。

そして、深層に従って別の社会のあり方を構築するための動機を明示することができると考察しました。

このように両者の議論で抜け落ちがちな点を、補完するかのように統合が試みられたのです。

(5)ホルクハイマーの批判理論
フランクフルト学派の代名詞とされる、ホルクハイマーの「批判理論」についてです。

「批判理論」という用語は、1937年『社会研究誌』に掲載されたホルクハイマーの「伝統的理論と批判的理論」という論文に由来するものです。

ホルクハイマーはこの論文で「伝統的理論=デカルト」「批判的理論=マルクス」と位置づけて議論しています。

(6)伝統的理論
端的に言うと、ホルクハイマーはデカルトの伝統的理論の特徴を次の3点から考察しています。

①命題を矛盾なく整合的に提示すること

②主観と客観の分離を前提とした二元論であること

③個別的な学問や科学は、総体としての社会のなかに自分を位置づけることができないこと

①は、演繹的・帰納的※に展開される思想に関係なく、理論から矛盾を一掃することを目指している理論を意味します。

※ 演繹的(えんえきてき)とは、一般的な原理や原則などから、個別の事項や派生的な事柄を導き出すこと。

※帰納的(きのうてき)とは、個々の特殊な事実から一般的な原理、法則を導く方法によること。

②は、例えば心理学的実験のように人間が人間を対象とする場合であろうと、実験や観察をする人間が主体であって、実験や観察をされる人間はあくまでも客体として構成されることと考えてください。

③は、専門分野での実験が繰り返されるが、社会的に自らを位置づけられないため、どのような意味がその実験にあるのか?どのような批判性があるのか?といった根本的な問いはそこから生じることがないことを意味します。

(7)批判理論
一方で、批判理論の特徴として、以下のことがあげられます。

①自らが矛盾に貫かれた社会に置かれていること。

②自らの理論自体がそういう矛盾に満ちた社会の産物であることを徹底的に意識化すること。

③このような矛盾に満ちた社会を意識化するからこそ、主体と客体の二元論ではなく、社会を理論の客体であると同時に主体でもあるものとして捉えることが可能になること。

この批判理論の特徴はマルクスに由来しており、具体的には『資本論』などの経済学批判に由来しています。

端的に言えば、マルクス経済学は既存の経済学が前提を不変とすることに対して(たとえば、利子、地代、剰余価値、貨幣など概念)、それらの概念が、ある一定の社会的条件のもとに形成されたにすぎないことを指摘しています。そして、その前提が廃棄される社会を望みました。

ホルクハイマーの批判理論も同様に、社会変革をつうじて、理論の前提そのものの変容可能性を射程に入れていることから、マルクス経済学から影響を確認することができます。

このように、批判的理論は理論の前提の変容を促すものであり、矛盾に貫かれた社会の自己意識として理解することができます。

3.フランクフルト学派と『啓蒙の弁証法』
フランクフルト学派の批判理論の代表的なものとして『啓蒙の弁証法』が挙げられます。

(1)『啓蒙の弁証法』(近代批判の研究)
ホルクハイマーとアドルノの共著である『啓蒙の弁証法』を理解するためには、「時代背景」と「オデュッセイア」を知ることが必要です

①時代背景
『啓蒙の弁証法』(1944)が書かれた時代とは、どのような時代で、どのような社会問題が表面化していたのでしょうか?

結論からいえば、20世紀前半は、戦争や殺戮の規模の拡大とその手段の飛躍的な発展に象徴される時代でした。さらにその状況を暗澹たるものとしたのは、以下の決定的な要因です。

・20世紀の殺戮が単に太古の野蛮状態を印象づけるから悲惨なのではなく、逆にその野蛮な殺戮が高度な「技術」と、そして「根拠(理由=理性)」をもっておこなわれてきたこと
「技術」とは、たとえば、ナチスによるホロコースト。「死の工場」を効率的に稼働させるには、それなりの技術が必要だからであること。

・「根拠」とは、「社会主義」「アジア主義」「民主主義」「啓蒙主義」「文明化」といった根拠(=理性)の下で、大規模な殺戮がおこなわれてきたこと。

このような状況があったからこそ、「文明と野蛮の関係性とはいったい何だったのか?」を考察することが重要です。

②オデュッセイア
ホルクハイマーとアドルノは、ホメロスの『オデュッセイア』を「西欧文明の原テクスト」として検証しています。

ホメロスの『オデュッセイア』(叙事詩)とは、オデュッセウス(主人公)が、トロイア戦争を故郷のイタケーをめざして放浪するなかで、さまざまな自然神から妨害にあうことが語れたものです。

重要なのは、ホルクハイマーとアドルノが『オデュッセイア』に次の内容を読み解くことです。

①外的支配
オデュッセウスは知謀に長けており、自然神を策略によって欺く→自然神を欺くことで自然の魔力を解いて、人間による自然支配が可能になったことを示してる。

②内的支配
故郷イタケーに帰郷するには、自然神の誘惑に屈しない「理性的」な振る舞いが要求される→自然に屈しない不屈の「自己」が確立される過程を示している。

このような二つの支配的な過程をとおして確立された主体ですが、この主体は諦念※の人に違いありません。

※諦念(ていねん)は、道理を悟る心。また、あきらめの気持ちのこと。

なぜならば、オデュッセウス的な主体は、
「外部にある自然の支配は、快楽に傾きがちな自らの内なる自然(欲望)の抑圧を代償として貫徹せざるをえない」、
つまり、自然支配(外的自然)によって保存するはずの自己(内的自然)を失うという逆説が存在することを意味するのです。  

その結果、内的自然を抑圧したことによって確立される自己は、保存するべきはずの自己(自己保存が人間を突き動かす衝動)を喪失した「空虚な自己」となります。

このようにして、ホルクハイマーとアドルノは「文明の歴史」または「啓蒙の過程」を諦念の歴史※にほかならないとしてとらえているのです。

(2)文化産業
『啓蒙の弁証法』ではアメリカにおける「文化産業」が「新しい野蛮状態」として、とらえられていました。

具体的には、文化産業とは、どんな芸術作品でも売れるか売れないかの尺度で計られます。社会は文化の墓場に等しかったことを意味します。

また、ジャズ、ラジオ、音楽などの商品化・標準化された大衆文化一般を意味する用語です。

そして、文化産業は大衆欺瞞※となると指摘されますが、それは以下の二つの意味においてです。①文化産業は大衆に娯楽を与えることで、大衆を抑圧的な労働に順応するように仕向ける。

②文化産業は権力関係を示すような芸術作品の可能性を消滅させて、大衆が批判的な視点をもつことを阻害する状況を作る。

つまり、ジャズ、ラジオ、音楽などの商品化・標準化された大衆文化は巨大なイデオロギー生産機構なのです。

文化や芸術の可能性が産業によって押し潰されていました。だからこそ、彼らは啓蒙の暴力の延長上に「文化産業」なるものを位置付けながら、それを考察しようとしたのです。



以上

いいなと思ったら応援しよう!