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大変なときこそ歌や音楽が必要
テレビに歌手の方が出ていて、次のようなことを仰っておられました。
1. 戦争の中では歌うことに無力感がある
思い出しましたが、1960年代、70年代のフォーク全盛の時代は、同時に日米安保に対する闘争(安保闘争)が激しかった時代でもあります。
安保闘争に参加する学生は、おそらくヒーローのような存在であったと思いますが、その一方で、争いごとを嫌う平和な人々は、何かしらの無力感を持った人々も多く居たと思います。ミュージシャンの中には、
僕らには歌うことしか出来ない
と言って、平和を願うような歌を歌ったり、愛について歌っている人やグループがいました。
2. 直接戦えない人にも出来ることがある
だけど、直接戦えないことや第三者であることを引け目に感じることはありません。
戦っている人や、困っている人に、何かしらの支援を出来る場合があるからです。それぞれの立場で、出来ることがあるからです。
3. 何も出来ないという究極の状況
今回のウクライナの戦争のように、周りの世界からは何もしてあげることが出来ないという状況は、もっとも悲しく切ないことです。こんなことが21世紀の高度情報通信社会で起きるなんて!
政治家ですら、大したことが出来ないのです。まして普通に会社員や自営業やってる人には、ますます何も出来ないのですね。
そうでなくても昨今の情勢は社会不安ばかりで本当に息詰まる毎日です。皆の心の中にはフラストレーションやストレスが潜在的にいつも在るのです。
4. 歌や音楽や人の言葉だけが頼り
僕などは、社会不安だけでなく、個人的な不安も沢山抱えています。しんどいとき、辛いときは・・いや、そうでなくても、常に音楽を聴いています。
音楽の良いところは、ハッピーなときにはそれを更に大きな気持ちにさせたり、アンハッピーなときには、その痛みを弱くさせたり、寄り添ったりすることが出来るということです。
しかも、遠く離れていてもそれが出来る。言葉も同様です。
何も出来なくても、表現することが可能な限り、それは出来るのです。ハッピーなときにはそういう表現、アンハッピーなときにはそのような表現、どんな表現も可能です。
No Music, No Life
「音楽のない生活(人生)は考えられない」というような意味ですね。
それは音楽をやっている人だけでなく、ただ聴くだけのリスナーも同様です。
僕はリスナーの立場として、音楽が無かったら僕の人生はとっくの昔に終わっていたかもしれないと素直に思えます。どれだけ音楽に助けられたことか。
辛いとき
僕の場合は、別に歌詞が寄り添ってくれなくてもいいです。
その時の気分で、寂しい感じの曲が聴きたいこともあるし、元気が出るような曲が聴きたいこともある。ときには底抜けに明るい音楽が聴きたくなることもあるのです。
だから「辛いときはこんな歌を聴くのが良い」というような決まったものはありません。歌手やミュージシャンが、そんな歌をわざわざ作って聴かせてくれなくても、いつものように歌って演奏してくれるだけで十分なのです。
僕はそれが聴きたいのです。
5. 大変なときは歌手やミュージシャンがヒーローになれる
繰り返しますが、何もない、何も出来ないときは、歌や音楽や人の言葉に頼ることしかできないのです。
太平洋戦争の終結後に「りんごの唄」が大ヒットしました。戦争を知らない世代にとっても「終戦=りんごの唄」というイメージがあるぐらいです。辛さや、希望を、すべて包み込むようにあの唄があったんだと思います。
大変なときこそ、歌手やミュージシャンはヒーローになれるし、政治家でも起業家でも出来ないことが、出来るのです。
だからくれぐれも「歌うことが無力だ」と言わないでください。もっともっと大きな力を持っていると思ってください。