ネット創成期の情報の値段
と言っても、価格表は提示しません。😁
noteというメディアは、広告料ではなく記事に直接値段を付けるという意味で、情報を金銭的価値に置き換える最も分かりやすく本質的なメディアではないかと思いました。
インターネット利用の最初の頃
僕がパソコン通信を始めた頃は阪神淡路大震災の前あたりなので1994年ぐらいかなと記憶しています。
その後、1995年にWindows 95が発売されてインターネットに簡単に接続利用できる環境が整いました。
一般の人がインターネットにアクセスできるようになったのは、この辺りからです。それでも、実際に利用している人は一部のいわゆる「パソコンオタク」みたいな人たちでした。(この頃「オタク」という言葉はなくて「マニア」だったかな。覚えていませんが)
ネット創成期と書きましたが、インターネットの創成期は実はもっとずっと昔なんです。日本で一般人がネットを利用するようになるまでの期間が結構長かったのです。
それで、僕自身もネット利用するようになったその頃に、すでに多くの人がホームページや掲示板やメーリングリストなどを使って情報のやりとりをしていました。
パソコンの処理能力も、記憶容量も、回線速度も、今から見たら「えええっ??😳😳」みたいな微々たるものだったから、テキストが基本です。
画像も数十から100KBぐらいまでの少ない容量のものをアップしていました。JPEG以外にもGIF形式もよく使われていました。GIFは256色しかないカラーですが、容量が少なくて済むので。(今のような動画ではなく静止画がメインです)
その頃のネット上の有料情報
思い出そうとしますが、あまりこれという具体的なものが思い出せません。
パソコンソフトは、ショップでパッケージを買ってきてフロッピーディスクからインストールしていました。
ネットで買い物をするという環境が整っていなかったので、直接ネット上で売買することはありませんでした。
例えば誰かが写真集を売りたいと思ったら、紙の写真集を作って、ネットに画像を上げて、値段を書いて、買いたい人はメールアドレスまで連絡するというスタイルが一般的だったと思います。
だから、ネットに上がっている文書や画像が「有料」というのは考えにくかったのです。
それでみんな、自分が何かを伝えたいとか、文章を読んでもらいたい、地域のことを知って欲しい、などを無償でせっせとアップしていたのです。
物々交換のような考え方
去年ぐらいからメルカリを始めましたが、自分のものを売って、お金にして、それがメルカリの口座に溜まり、そのお金を使って欲しいものをメルカリから買う、という体験をしました。
あるいは、商品をメルカリで買って、使ってみたけどイマイチで、売却しようと思ったら、ちゃんとメルカリのシステムが買ったものを覚えていて、その情報が自分の出品の際に使えるという機能を体験しました。
これって、かなり物々交換っぽいんですよね。結果的には物々交換なんです。
去年、ホリエモンの本を読んだ時にも、物々交換に言及されていました。
今の時代、物々交換のような概念が再び浮上しているんだなと。
情報の値段
今の人々は、自分の情報に値段をつけたいという欲求が強くて「お金をもらう代わりに頑張る」というモチベーションで情報提供をしていますね。
無償でアップしている人は「好きだから」「やりたいから」「自己満足」みたいな言い方をしますし、それがモチベーションになっています。
初期のネットでは「みんなのために役に立つ」ものをフォーラムなどで共有して、それを使った人は「お礼を言う」「代わりに自分の何かを提供する」「自分のサイトで宣伝する」という考え方が一般的だったように思います。他人とのコミュニケーションが前提なのです。
自分が日々「ネットから恩恵を受けているからそのお返しをする」というモチベーションでした。
お金というものが介在しなかったので、真の意味の物々交換になっていたと思います。
「なんでもお金」の世の中で尊いもの
今はなんでもお金、お金の世の中ですが、その中にあって、お金は二の次でいいけどとにかく一生懸命これをやりたいんだというモチベーションは、希少だし逆に価値があるような気がしてきます。