そっちに行ってはいけないと言ってあげる
世の中には、人道的によくない世界が存在します。
その世界にいて、人間として決して幸せに・心豊かにはなれない世界。
本当の幸せを追求する人は、決してその世界への道を選ぶことはないだろうけれど、単に欲望のみに従う人は、えてしてそのような世界に入り込んでしまうのです。
善良な人にも欲がある
どんなに「いい人」にも、食欲があるし性欲もあります。
それと同じように金欲や、名誉欲や、支配欲など、さまざまな欲を潜在的に持っていると思います。
欲は良い方向に人々を導いてくれる場合もあるけど、しばしば悪い方向にもいざないます。
その「悪い欲」を抑えることができるのは、最終的にはその本人、当事者しかいません。悪い欲とは、結果的にその人や周りにいる人を不幸にするような欲のことです。
悪人だけが人道的によくない世界に住んでいるのではなく、全ての人がそこに所属し得ると考える方が自然でしょう。
悪いというより、意思が弱い人や、思い込みが強い人、知識のない人、背徳感の乏しい人などが、入って行きやすい世界です。
気づきを与えるのは他人しかいない
本人には、それがベスト、最高、魅惑的、考え得る唯一の価値観、と信じ込めるだけのものがあったとしても、客観的にみてまずいだろうと考えられることはあります。
でも本人はもう、それしか見えない世界を自分で作ってしまっているから、他人がアドバイスをしても、その声は聞こえないかもしれません。
しかし中には、単にコミュニケーションがないから自分の殻に閉じこもる人もいて、そのような人がもし正しい世界の存在を知ることになれば、その人は救われます。
そのきっかけを与えるのは、周囲にいる他人でしょうし、たとえ嫌われても、声をかけることには意味があると思います。
自己責任という名の無責任
「誰が何をしようとその人の勝手」と思う人は今の時代、とても多いと思います。僕自身もそういう面があります。
しかし・・
自分が絶好調のときはそのスタンスで全く問題がないけれども、ひとたび道に迷うと、そこに必要なのは誰かの声なのです。
自分ではどうしていいか分からないから。
分からないから、自分らしくない行動をしてみたり、自分の中に閉じこもってみたりするのです。
SNSにひたすら問いかけるかもしれません。
そういう人を「自己責任」だと突き放すことは、自分も見放される可能性があることを意味します。
また、世の中はすべてどこかでつながっていて、誰かの行動は周囲の世界に影響を与えるものです。
いつの間にか、自分が住む世界が誰かによって汚染されていて、それに気づかずにパクパクしている水槽の金魚のような状態になります。
そしてその逆に、いつの間にか素敵な世界に身を置いているということもあるわけです。
世界が変わるきっかけは、自分の意志や行動だけではなく、他人の力が大きく作用しているということを、まずは認識すべきでしょう。