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誰も悪くない 誰のせいでもない

以前、「原因はないかもしれない」を書きました。

いや、物事には必ず原因があるはずだ、それはただの逃げだ、そう思う人はいると思います。ただ、子育てや子供の成長過程では、その瞬間に解決したくてもできないこと、見守る必要がある場合ということがあります。

今回、それに併せて伝えたいのは、
「誰のせいでもない 誰も悪くない」
ということ。

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息子が学校にいけなくなってしばらくして、まず最初にいきついた感情は
「うちの子は不登校なのか・・・(認めざるを得ない感情)」
「うちの子は不登校なのか?!(まだ認めたくない感情)」
です。 ※我が子の場合は、いじめはまったくありませんでした。

さぁここで親が悩む出番が回ってきました。私自身で、また夫婦で揃って悩み続けました。真っ暗なトンネルに突っ込みます。

ひたすら、自分たちを責め立てる。幸いにして、我が家はその件で夫婦喧嘩になることはありませんでしたが、家庭によっては夫婦喧嘩が増えてもおかしくありません。
原因を探すのと同時に、「誰が悪いんだ」「誰のせいなんだ」「彼自身にも原因はあるんじゃないか」という思考に陥ります。
本人を責めることなんてできない、でも責めてしまったこともありました。だから、後で余計に自分自身を責めるのです。

激しく自分自身を責めると「どこで間違えたんだろう」「もっと早く気づいてあげられなかったのか」「なんであの時あんな声かけをしてしまったのだろう」と自己嫌悪に陥ります。
妻にも、「(妻)は何も悪くないよ、大丈夫だよ。」と声をかけるものの、効果もなく、元気がなくなり、神経がすり減っていきました。

「学校はなんなんだ。」「友達のあの子が、あんなこと言ったからだ。それがきっかけだ。※」なんて、責任転嫁しそうになったのも事実です。
(一切学校は悪くないです・・・実際は夫婦内だけにとどめて、伝えてません。)

※いじめはなかったのですが、学校の先生や大人が根掘り葉掘り効きすぎるので、なにか嫌なことがなかったか?って聞かれると、小さなことを思い出して息子は答えていました。しかし、実際のところそれらが原因であるということはなく、子供同士のやりとりなのです。

その中で、ほっと救われたのはこの言葉。

「誰のせいでもない 誰も悪くない」


夫婦で、同時に胸がぽーっと温かくなって、無言の空間に安堵の気持ちが溢れ出たのを覚えています。保護者さんと話していると、不登校に関わらず、子育てにおいてご自身(親自身)を責められたり、お子さんを悪く捉えがちな方がいらっしゃいます。そんな時にはこの言葉をかけています。

誰かのせいにするだけじゃ解決しないし、前向きな気持ちにはなれないと思うので。

前向きな気持ちになれたら、誰かや何かのせいにしなくなりますよ、きっと。

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この記事・・・ずっと前に書いて、アップされていませんでした。


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