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研究備忘録:キケロの「義務について」とビジネス系大学教育のあり方に関する考察

はじめに

Non nobis solum nati sumusノーン・ノービース・ソールム・ナーティー・スムス:私たちは自分自身のためだけに生まれたのではない:Not unto ourselves alone are we born)」。この言葉は、古代ローマの哲学者マルクス・トゥッリウス・キケロの著作『義務について(De Officiis)』に由来する。この表現は、個人の利益を超えた社会全体への貢献を促す倫理的な指針として、今日でも多くの分野で引用されている。特に、ビジネス系大学教育の理念において、この言葉は重要な示唆を与える。本稿では、キケロの『義務について』の哲学的基盤とその意義を再考し、ビジネス系大学教育のあり方についての考察を試みる。加えて、米国のウィラメット大学を事例として取り上げ、現代におけるビジネス系大学教育の使命と社会的責任について議論する。

目次

  1. キケロの『義務について』:哲学的基盤と意義

  2. キケロの理念とビジネス系大学教育

  3. 現代日本におけるビジネス系大学教育の課題

  4. 日本のビジネス系大学教育で学際的学びと市民的関与を実現し難い原因考察

  5. おわりに

1.キケロの『義務について』:哲学的基盤と意義

1.1 執筆の背景

『義務について(De Officiis)』は、紀元前44年、ローマ共和政末期にキケロが息子マルクスに宛てて執筆した哲学的書簡である。この書簡は、西洋倫理思想の礎として、古代から現代に至るまで重要な位置を占める。書簡の背景には、ローマ内戦という政治的混乱、カエサルの台頭、さらにキケロ自身の政治的敗北と個人的悲劇がある。これらの状況下で、キケロはストア派哲学の視点を通じ、道徳的義務の重要性を説き、共和政の価値観を守る方法論を提示した。母校ウィラメット大学が2025年2月1日の創立記念日(183周年記念)に配信したメッセージに校訓「Non nobis solum nati sumus(ノーン・ノービース・ソールム・ナーティー・スムス:私たちは自分自身のためだけに生まれたのではない)」が記載されていた。これはキケロの言葉を通じて、個人の利益を超えた公共の利益への貢献を促す教育理念を反映している。この校訓(モットー)は、奉仕と地域社会への関与を重視する大学の姿勢を反映しており、メソジスト教会の宗教的ルーツや、初期のオレゴン入植者たちの市民意識に根ざしており、学生を個人的利益のためだけでなく、社会全体の利益のために教育するという大学の使命を強調している。久しぶりに、このキケロの言葉を読み返して考えた事をいかに綴る。

https://willamette.edu/about/why-willamette/changing-lives 

1.2 哲学的基盤

キケロは、「義務(officium)」を人間として、また市民としての役割を果たすための道徳的命令と定義し、その基礎を以下の4つの主要な「徳(virtutes)」に置いた。
① 知恵(prudentia):真理を見極める理性的な判断能力。
② 正義(iustitia):他者に対する義務を公平に果たすこと。
③ 勇気(fortitudo):原則を守るための道徳的な決意。
④ 節制(temperantia):言動における自己制御。
これらの徳は分割不可能な一体性を持ち、倫理的完全性の維持が求められる。キケロは「不名誉な手段によって得られたものは、真に有益なものとは言えない」と述べ、徳と利益の調和を強調した。また、彼は義務を階層的に整理し、国家、家族、個人の順序で優先順位を付けることで、社会全体の調和を図った。

2.キケロの理念と大学教育

2.1 大学教育の目的とキケロの影響

キケロの「義務」の概念は、21世紀の大学教育においても重要な意義を持つ。大学教育は、単に専門知識を習得する場ではなく、社会に貢献するためのリーダーシップや倫理的価値観を育む場であるべきである。キケロが強調した「知恵」や「正義」は、現代の欧米の大学教育におけるリベラルアーツ教育の基盤となる理念と一致する。また、彼が説いた「公共の利益のための義務」は、市民教育や社会的責任の重要性を再認識させるものである。

2.2.1. キケロの言葉をモットーとする小さな大学

ウィラメット大学は、アメリカ合衆国オレゴン州セイラムに位置する私立大学である。1842年に設立され、アメリカ西部で最も歴史のある大学として知られる。学生数は約1,800人であり、少人数制教育を特徴としている。学部はリベラルアーツ学部、経営学部(アトキンソン経営大学院を含む)、および法学部の3つで構成されている。大学院には経営学修士(MBA)や法学博士(JD)などのプログラムがあり、専門職教育や学際的研究に力を入れている。ウィラメット大学はキケロの言葉「Non nobis solum nati sumus(私たちは自分自身のためだけに生まれたのではない)」を校訓として掲げ、1842年の設立以来、地域社会や国際社会への貢献を重視した教育を提供している。このモットーは、個人の利益を超えて社会全体の利益を追求する精神を表しており、ウィラメット大学の教育哲学と緊密に結びついている。同大学の歴史と使命は、このモットーに基づき、以下の点でその価値を体現している。

· 歴史的文脈: モットーは、オレゴン準州の初期における生存と地域社会の建設に必要とされた協調精神と共鳴しており、初期入植者たちが共有していた「互助」と「奉仕」の価値観を反映している。

· 市民的責任: キケロの「義務」の概念は、ウィラメット大学が奉仕や地域社会への関与を重視する姿勢の中に息づいており、メソジスト教会の宗教的ルーツや初期の入植者たちの市民意識からもその影響を受けている。

· 地域社会への貢献: 同大学の設立目的は、単なる学問の探求にとどまらず、地域社会の発展と市民的責任の涵養を目指していた。こうした精神は、教育活動を通じて地域の発展を支える取り組みへと具体化されている。

· 教育的使命: このモットーは、学生を個人的利益のためだけでなく、社会全体の利益のために教育するという大学の使命を強調しており、地域社会や国際社会に貢献するリーダーの育成を目指している。

ウィラメット大学におけるこのモットーは、大学の理念に止まらず、具体的な教育アプローチや歴史的な実践へと反映されている。

2.2.2. モットーを体現するアメリカ西部高等教育の先駆者

1842年に創立されたウィラメット大学は、「Non nobis solum nati sumus」というモットーを実践に移すことで、アメリカ西部における高等教育の形を整え、太平洋岸北西部の地域社会をリードする人材を育成する先駆的な役割を果たしてきた。モットーに基づき、大学は以下の教育アプローチを通じてその理念を体現している。

· 早期の共学制度: ウィラメット大学は、アメリカにおける最も早い共学制を採用した機関の一つであり、創立初期から男女の平等な教育機会を提供することで、社会全体の利益を追求する精神を反映した。

· 初の専門職大学院: 太平洋岸北西部で初となる法科大学院(1883年)および医科大学院(1866年)の設立を通じて、地域社会に必要な専門職人材を育成し、地域の課題解決に貢献した。これらの取り組みは、モットーが示す「社会への奉仕」の具体例である。

· 学際的な学びの重視: モットーの理念は、学際的な学びの奨励にも反映されている。ウィラメット大学では、学生が様々な学問分野を横断的に探求し、そのつながりを見出すことを重視しており、社会の複雑な課題に対応できる人材の育成を目指している。

· 市民的関与: オレゴン州議会議事堂に近接している大学の立地は、学生が公共政策や政府活動に参加する独自の機会を提供しており、市民的責任を実践する場となっている。

ウィラメット大学の創立は、アメリカ合衆国の州になる前のオレゴン準州時代からの歴史と深く結びついている。当初はネイティブ・アメリカンの子どもたちのためのミッションスクールとして始まり、その後、入植者の子どもたちの教育ニーズに応える形で進化してきた。この歴史は、「Non nobis solum nati sumus(私たちは自分自身のためだけに生まれたのではない)」というモットーが単なる理念ではなく、地域社会のニーズに応じて柔軟に形を変えながら実践されてきたことを示している。

2.2.3.キケロの言葉に基づく学際的な教育環境の創出

ウィラメット大学は、モットーである「Non nobis solum nati sumus(私たちは自分自身のためだけに生まれたのではない)」を教育活動の基盤に据え、その理念を実践することで学際的な教育環境を構築している。このモットーは、個人の利益を超え、社会全体の利益を追求する精神を表しており、大学の教育哲学、教員の価値観、教育手法、そして地域社会との連携に深く反映されている。大学全体で共有されるこの理念は、教育、研究、地域社会への貢献において具体的な形となり、地域社会と国際社会の双方において革新と協働を推進する文化を形成している。

① モットーに基づく教員の価値観と教育実践

ウィラメット大学の教員は、モットーに基づいた価値観を日々の教育と研究活動に反映している。大学の基本的な価値観である「尊重」「責任」「主体性」「チームワーク」「成果」は、教育現場における重要な指針となっており、具体的な教育実践を通じて次のように体現されている。

倫理的リーダーシップ:大学の教員方針では、「良き学問的市民」であることが求められており、学部間の協力や地域社会のステークホルダーとの連携が重視されている。例えば、地元の保健機関とのパートナーシップを通じて、学生が教室で学んだ内容を公衆衛生戦略として実践できる機会が提供されている。このような取り組みは、教育と社会貢献を結びつける役割を果たしている。

学際的な教育実践:教員は、専門分野を超えた連携を通じて、変革的な学びの機会を創出している。例えば、音楽とコンピュータサイエンスの教員が共同で2025年卒業予定の学生を指導し、彼女をサイバーセキュリティ分野のキャリアへと導いている。また、データサイエンスの授業では、統計学と公衆衛生地理学を融合させ、気候関連の健康リスクを分析するスキルを学生に提供している。

② 学際的な連携を促進する制度的支援

ウィラメット大学は、モットーに基づいた学際的な取り組みを促進するため、戦略的な施策を展開している。これにより、教員と学生の双方が学際的な研究と教育に専念できる環境が整えられている。

· 教員の成長支援:アトキンソン経営大学院(MBA)では、「セクター間研究」やピアコラボレーションを奨励する方針が導入されており、倫理的リーダーシップと地域社会への影響を重視した研究が評価されている。

· 学生と教員の共同研究:全学生の50%以上が資金提供を受けた研究プロジェクトに参加しており、多くの場合、教員との共著論文として学術誌に発表されている。例えば、NOAA(アメリカ海洋大気庁)の資金提供を受けた海洋保全研究や、AI倫理の枠組みに関する研究が行われている。

· 実社会での学びの促進:大学は、オレゴン州議会や地元の保健機関とのパートナーシップを活用し、学際的な問題解決の場を提供している。これにより、学生は実社会での課題解決能力を養うと同時に、地域社会への貢献を実現している。

③ モットーと教育哲学の融合

ウィラメット大学では、リベラルアーツ教育を基盤に、学問分野を横断する学びを奨励している。このアプローチは、モットーの理念である「個人の利益を超えた社会全体の利益を追求する精神」を具体化しており、教育と研究の場で次のような形で実践されている。

· 革新と学際的学び: 音楽、コンピュータサイエンス、データサイエンスなどの分野が横断的に連携し、学生に多角的な視点を提供している。

· 市民的関与: 地域社会とのパートナーシップを通じて、学生が公共政策や社会課題に直接関与し、実践的なスキルを習得している。

· 個人と地域社会への貢献: 教員と学生が協働し、地域社会や国際社会の課題解決に貢献することで、モットーを体現している。

3. 現代日本におけるビジネス系大学教育の課題

3.1 現状の課題:就職支援偏重の教育

今日の日本のビジネス系大学教育は、学生の就職率向上を最優先課題として位置づけているように見える。確かに、学生が卒業後に仕事を得られることは重要であり、大学がそのプロセスを支援することには意義がある。しかし、教育全体が「就職活動を成功させるための訓練」に偏っている現状には課題があるのではないだろうか。

大学教育は、短期的な「就職スキル」だけでなく、学生のこれらの人生において長期的に活用できる能力(例: 問題解決能力、リーダーシップ、学び続ける力など具体的なスキルや資質、etc.)を養う場であるべきだ。社会の課題を解決するための創造力、異なる分野を結びつける視点、そして地域社会や国際社会との関わりを意識した倫理観や責任感。こうした力を、今のビジネス系大学教育は学生にどれだけ提供できているだろうか。

そもそも人材市場が流動化している現代において、「就職率」という「昭和的指標(短期的な就職率のみを評価する指標)」も再考が必要なのではないだろうか。大学学部からの就職率が高いことは、学部レベルの学生が「社会に適応する労働者」として評価されていることを示すに過ぎない。それでは、大学は学生を「入口」に導くことに成功しても、その後の長いキャリア形成(転職を含む)を支える長期的に活用できる能力を習得できる教育を果たしていると言えるだろうか。

3.2 ビジネス系大学教育の課題と講師の責任

日本のビジネス系大学教育は、アメリカのビジネス系大学教育と比較して、講師が自分の専門領域に閉じこもりがちであり、分野ごとに細分化されすぎている傾向がある。筆者自身、アメリカ合衆国のウィラメット大学と南カリフォルニア大学、そして中華人民共和国の上海交通大学にて、3つのビジネス系教育修士号を取得した後、20年以上の実務経験を持って日本のビジネス系大学教育の博士課程で学んだ経験から私見を述べさせて頂くと、日本のビジネス系大学教育では、経営学、経済学、社会学、心理学、文化人類学、哲学、人文学、歴史学、データサイエンスなどを統合した学際的アプローチが不足していると感じている。

学際的アプローチが欠如している状況では、学生が就職活動のスキルだけではなく、人格や哲学的な視点を育み、地域社会の一員として社会的責任を果たせる人物に成長するための教育を実現することは難しい。こうした課題に取り組むためには、大学という組織全体で考えるだけでなく、ビジネス系大学教育に携わる講師自身が、自らの役割を問い直すことが重要ではないだろうか。学生を育てる立場にある講師は、以下のような質問を自らに投げかけ、自問自答する必要があるだろう:

① あなたは、社会のどのような課題に関心があり、その解決にどのように貢献できると思いますか?

② あなたが研究している領域は、地域社会や国際社会でどのように役立つでしょうか?

③ あなたの研究は、自分だけでなく他者にどのような利益をもたらすでしょうか?

④ あなたは、自らが関わる学生にどのような未来を提供したいと考えていますか?

これらの問いに真摯に向き合い、明確な答えを持つことは、講師自身の教育活動を理念に基づいたものへと高め、学生の成長を支える重要なステップとなる。もし講師が、大学教育における理念や目標を深く理解し、それを実現するための明確な答えを持たない場合、大学経営側がどれだけ努力を重ねても、大学が掲げる理念に基づいた運営を実現することは困難である。

たとえば、「革新」「学際的学び」「市民的関与」「社会貢献」といった理念を掲げる大学は日本に数多く存在する。しかし、その理念を現実的に実現するうえで障壁となっているのは、大学経営側の努力不足ではなく、むしろビジネス系大学教育に関わる講師自身の姿勢や取り組みではないだろうか。理念に基づいた教育を提供し、同時に大学の安定した財政基盤を維持するためには、講師がその理念を深く理解し、自らの教育や研究に反映させることが不可欠である。この課題を解決できない限り、大学経営側だけの努力のみで、大学の創立理念に基づいた教育を提供しつつ、財務的に安定した運営を維持することは難しいと言わざるを得ない。

3.3 学際的学びと市民的関与の可能性

ウィラメット大学の事例に見られるような「学際的学び」や「市民的関与」は、日本のビジネス系大学教育にとっても参考になる視点を提供している。現代社会が直面する課題は、単一の分野で解決することが難しい複雑かつ多層的な性質を持っている。たとえば、環境問題や地域活性化といったテーマには、自然科学だけでなく、経済学、社会学、文化的視点など、多様な専門知識の統合が必要となる。しかし、日本のビジネス系大学教育は、分野ごとに細分化されたカリキュラムが中心であり、これらを結びつける学際的な学びの機会は限られているのではないだろうか。

大学が存在する地域において産学連携で、本質的な意味でインターンシップやプロジェクト型学習を実施した場合、学生たちは、理論だけでは得られない実践的な知識を提供すると同時に、大学と地域社会の信頼関係を構築する機会にもなる。こうした取り組みは、学生が学びの意義を実感するだけでなく、大学が「地域の知の拠点」として機能するための第一歩と言える。しかしこの地域社会との連携も、日本のビジネス系大学が十分に取り組んでいるかを自省する必要がある。 たとえば、学生が地域社会の課題解決に参加するインターンシップやプロジェクト型学習の導入が各地で盛んに行われている。しかし、これらの活動の目的が学生の就職活動を有利にするための「ガクチカ(就職活動中に志望会社のエントリーシートや面接などにおいて"学生時代に力を入れたことはなんですか?"という採用側の質問が定番化している事から就活生の間で生まれた造語)」を提供する事を主目的にしているように思える。

この状況を改善する為に、ウィラメット大学の事例は、日本のビジネス系大学教育にとって、学際的アプローチと市民的関与を強化するための参考モデルとなる。このモデルを基に、日本の大学は地域社会や国際社会に貢献する人材を育成するための教育改革を進める事を推奨する。具体的には、学際的なカリキュラムやプロジェクト型学習、地域社会との連携プログラムを充実させることで、学生が実社会で直面する複雑な課題に対応できる能力を養うことが重要である。しかし現実的には、学際的学びや地域連携型の教育を実現するための時間やリソースをどう確保するかという課題が存在する。大学に求められる教育内容が多岐にわたる中で、「何を犠牲にし何を重視すべきか」という問いに関して、大学経営側が孤独に苦悩するのではなく、大学経営側、大学講師、学生、地域社会の商工会や青年会が共に議論できる機会を創設し、解決策(例: 学際的なプロジェクト設計、地域社会との共同研究、大学と地域の連携プログラムなど)を模索する必要がある。

しかし、この水準だけでの考察は、志や夢をもつ大学経営者や大学講師の方々には、釈迦に説法である。故に次章で、なぜ日本ではウィラメット大学のような活動が実践しにくいのかについて考察する。

4. 日本のビジネス系大学教育で学際的学びと市民的関与を実現し難い原因考察

4.1. 制度的・構造的な制約

日本のビジネス系大学教育は、学問分野ごとの縦割り構造が顕著であり、学際的なカリキュラムやプログラムの導入が困難である。また、学生定員や入試制度が厳格に管理されているため、新たな学びの仕組みを構築する柔軟性が不足している。これに加え、多くの大学が財政的な制約に直面しており、学際的アプローチや新しい取り組みに必要なリソースを確保する余裕がない。地方大学では、既存の学部やプログラムを維持するだけで精一杯の状況が多く、新たな学際的プログラムの導入は現実的に難しい。

· 課題: 学部や学科ごとにカリキュラムが厳密に区分されており、異なる学部間での連携が制度的に難しい。たとえば、経済学部の学生が心理学部の授業を受講する際、複雑な履修手続きや単位認定の問題が発生する。

· 比較: ウィラメット大学では、学際的な学びがカリキュラムの一部として組み込まれており、学生が複数の分野を横断的に学ぶことが奨励されている。

· 具体例: 地方大学では特に財政難が深刻であり、既存の学部を維持するだけで精一杯な状況にある。これにより、学際的アプローチを推進する余裕がない。

4.2. 社会的・文化的な要因

日本では、ビジネス系大学教育が「就職準備の場」として見られる傾向が強く、長期的な視点に立った学びや社会貢献を重視するアプローチが軽視されがちである。また、大学と地域社会の連携が十分に進んでおらず、地域社会が大学を「知の拠点」として活用する意識も育っていない。地域連携プロジェクトでは、大学が教育や研究を重視する一方で、地域社会は即時的な経済効果を期待するなど、利害関係が一致しないことが多い。

· 課題: 学生も企業も、大学での教育内容よりも「就職活動に役立つかどうか」を重視する。このため、学際的アプローチや市民的関与のような、直接的な就職スキルに結びつかない活動が敬遠される。

· 比較: ウィラメット大学では、リベラルアーツ教育を通じて、学生が問題解決能力や批判的思考力を養うことに重点を置いており、これが長期的に社会貢献やキャリア形成に寄与すると評価されている。

· 課題: 地域連携プロジェクトにおいて、大学と地域の利害関係が一致しないことが多い。たとえば、地域社会は即時的な経済効果を期待する一方で、大学は教育や研究を重視するため、相互の歩み寄りが難しい。

· 比較: ウィラメット大学は地域社会との連携を重視しており、地元の保健機関や議会とのパートナーシップを築くことで、学生が地域課題に取り組む機会を提供している。

4.3. 教育現場における課題

大学教員は、自身の専門分野に特化した研究や教育を行うことが求められており、学際的な取り組みを行うインセンティブが少ない。さらに、日本の大学生は受け身的な学習態度が根付いており、主体的に課題を発見・解決する力の育成が課題となっている。教員評価基準が研究成果(論文数や学会発表)に偏重しているため、学際的プロジェクトや地域連携活動が評価されにくい。また、多くの学生が受験勉強に起因する受動的な学びの姿勢から抜け出せていない。

· 課題: 教員評価の基準が、個別の研究成果(論文数や学会発表など)に偏重しているため、学際的アプローチや地域連携活動が評価されにくい。これにより、教員が学際的プロジェクトに参加する動機が低下している。

· 比較: ウィラメット大学では、学際的な研究や教育が大学の理念と結びついており、これが教員の評価やキャリア形成にも反映されている。

· 課題: 学際的プロジェクトや市民的関与を推進するには、学生が主体的に課題を発見し、解決策を模索する姿勢が求められる。しかし、多くの学生がこうした学びに対する準備ができていない。

· 比較: ウィラメット大学では、リベラルアーツ教育を通じて、学生の自己主導的な学びを促進しており、課題解決能力や批判的思考力が育まれている。

4.4. 政策・行政の影響

文部科学省の規制や方針がビジネス系大学教育に強く影響を与えており、大学設置基準や履修要件が厳格に管理されていることで、学際的アプローチを柔軟に導入することが難しい。また、大学の評価基準が就職率や研究成果に偏重しているため、学際的活動や市民的関与の成果が正当に評価されていない。文部科学省が地域連携や実践的教育を奨励している一方で、現場レベルでの具体的な支援が不足している。また、多くの大学が短期的な成果を優先せざるを得ない状況にある。

· 課題: 文部科学省は近年、地域連携や実践的な教育を奨励しているが、現場レベルでの具体的な支援が不足している。また、規制が多いことで、大学が独自の取り組みを進める余地が限られている。

· 比較: ウィラメット大学のような小規模大学は、柔軟な運営方針のもとでカリキュラムを設計しており、学際的アプローチを迅速に導入できる。

· 課題: 大学は生き残りをかけて評価基準に従う必要があるため、短期的な成果を重視しがちである。これにより、長期的な視野に立った教育改革が進みにくい。

5. おわりに

ウィラメット大学のような学際的アプローチや市民的関与を日本のビジネス系大学で実践することが難しい理由は、制度的制約、社会的文化、教育現場の課題、政策の影響といった多面的な要因に起因している。これらの課題を克服するためには、以下のような取り組みが求められる。
① 制度改革の推進: 文部科学省による規制緩和や大学間の連携促進を通じて、学際的カリキュラムを導入しやすい環境を整備する。
② 学生の意識改革: 初等・中等教育から、主体的な学びを促進する教育を導入し、大学教育への準備を整える。
③ 地域社会との信頼構築: 地域社会と大学が相互に利益を享受できる仕組みを作り、信頼関係を深める。
④ 教員のインセンティブ向上: 学際的アプローチや地域連携活動を教員評価に組み込み、モチベーションを高める。
これらの取り組みを推進する上で、キケロが示した4つの「徳(virtutes)」をどのように活用する事ができるのであろうか。

5.1.キケロの4つの徳の活用

1. 知恵(prudentia)
知恵とは、「真理を見極める理性的な判断能力」である。この徳をビジネス系大学教育に活かすには、大学が短期的な成果(就職率や研究成果)だけに囚われず、長期的視野で教育の本質を見極めるリーダーシップを発揮することが求められる。 : 学際的カリキュラムを導入し、学生が社会の複雑な課題に対応できる能力を育む環境を整えること。特に、文部科学省の規制緩和や大学間の連携を促進し、柔軟な教育体制を構築することが必要である(①制度改革の推進)。

2. 正義(iustitia)
正義とは、「他者に対する義務を公平に果たすこと」であり、ビジネス系大学教育においては、学生、教員、地域社会、そして社会全体に対する公平な貢献を意味する。この徳に基づき、日本の大学は、教育を通じて地域社会や国際社会に利益をもたらす責任を再認識するべきである。
 : 地域社会と大学が相互に利益を享受できる信頼関係を構築し、地域課題に取り組むプロジェクト型学習やインターンシップを拡充する(③地域社会との信頼構築)。

3. 勇気(fortitudo)
勇気とは、「原則を守るための道徳的な決意」であり、大学が現在の困難や批判に直面しても、真に必要な改革を進める決意を持つことを意味する。たとえ短期的な成果が見えにくいとしても、社会全体にとって意義ある教育を提供するための挑戦が必要である。
: 教員評価の基準を見直し、学際的アプローチや地域連携活動を正当に評価する仕組みを作る(④教員のインセンティブ向上)。教員が自らの専門分野を超えた学びや活動に積極的に取り組むには、大学側の支援と勇気あるリーダーシップが不可欠である。

4. 節制(temperantia)
節制とは、「言動における自己制御」であり、大学が持続可能な形で教育改革を進めるために、現実的な選択肢を模索する姿勢を指す。すべての課題を一度に解決しようとするのではなく、優先順位を定め、段階的に改革を進めることが重要である。 : 外的要因(①制度改革、②学生の意識改革、③地域社会との信頼構築)は時間がかかるが、大学経営側の裁量で動かせる④教員評価の見直しから着手し、段階的に改革を進めることが現実的な第一歩となる。そして③地域社会との信頼構築、②学生の意識改革、の順番で根気よく覚悟を持って段階的に改革を進める事が現実的である。


5.2.問いかけと未来への展望

最後に、この長い個人的考察をここまで読んでくださった皆さんと自分自身に問いかけさせていただきたい。

⭐️私たちは、日本のビジネス系大学教育にどのような未来、どのような日本社会を創ることを期待しているのだろうか?

⭐️そもそも、そのようなことを大学に期待してきたのだろうか?

⭐️日本の大学は、学生にとってどのような存在であるべきなのだろうか?

⭐️就職率を重視することと、社会貢献を重視することは本当に相反するものなのだろうか?

⭐️また、「社会に必要とされる人材」を育成するとは、具体的にどのようなことなのだろうか?

こうした問いに対して、キケロの「Non nobis solum nati sumus(我々は自分たちだけのために生まれたのではない)」という言葉が示すように、私たち一人ひとりが考え、意見を交わすことが、日本のビジネス系大学教育の未来を形づくる第一歩となるのではないだろうか。


最後までお読み頂きありがとうございます。

須原 誠

2025年2月2日


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