天地を繋ぐ道(2024年6月1話)
6月になりました。今回は、地元(大田区池上)の寺院で開催されたキャンドルナイトや、そこで学んだ「止瞑想と観瞑想」や、ほかに「人間の本質と六つの側面」「日本からも見えるオーロラ」「多摩川と呑川」の話をお届け致します。
6月8日(土曜)
法華経に学ぶ 無量義処三昧
今日は、メグミさん達が池上の寺社にお参りする日です。
まずメグミさんは、寺院会館での講座「法華経に学ぶ」に出席しました。
大乗仏教の重要な経典である『妙法蓮華経』(法華経)は、全28章から成っており、それを14章ずつ分けると、前半の「迹門」と後半の「本門」に大別されます。今回は、いよいよ法華経を最初から読み始めるという事で、迹門の序文である第一章(序品)と、それに続く第二章(方便品)を読みながら、仏教などインド思想の精神統一である「三昧」について学びました。
人間には様々な煩悩(欲望)が存在し、それによって人生の苦しみが生ずるから、そこから抜け出す方法を摸索する…というのが仏教の考え方です。人間の煩悩は色々ありますが、根本的なものは「貪瞋痴」という三つの悪徳です。つまり、これらの煩悩をコントロールできれば、人生の苦しみを大幅に減らせるわけです。そのための修行法が5~6種類あり、これを「五停心観」と総称します。
五停心観
五停心観の一つである「不浄観法」は、貪りの心(貪)を止めるための瞑想です。例えば、やや極端な話ですが「どんなに美しい女性も、やがては年老いて死に、ほかの動物に喰われながら腐敗し、白骨化して髑髏になる」という事実を直視する事で、性的な欲望の虚しさが分かります。同じような要領で、怒りの心(瞋)を止めるための「慈悲観法」や、愚痴の心(痴)を止める「因縁観法」などがあります。
数息観法(止観瞑想)
こうした五停心観の中で、今回注目したいのは「数息観法」です。これは「呼吸を数えて乱れた心を静め収める」という修行で、つまりは瞑想の事です。仏教的な瞑想は「止観」と呼ばれ、これは更に「止」と「観」に分けられます。
止瞑想は、呼吸に集中した精神統一の手法で、自己意識を無に近付ける一心不乱の瞑想です。最近、若者の間で流行っている漫画・アニメの台詞にも「呼吸」やら「全集中」やらの言葉が見られますが、あのイメージに近いかも知れません。寺院での止瞑想では、特に息を(吸うよりも)吐く事に集中するのが望ましいと言われています。
このような瞑想は、心理学的にも効能があると考えられ、宗教だけでなく、欧米や日本の企業などでも「マインドフルネス」として取り入れられています。
止瞑想ができたら、次の段階として「観瞑想」に入ります。こちらは「感情に流されぬ澄み切った自己によって、ありのまま客観的に世界を認識する」という高次的な「観察」の瞑想です。この修行を深める事で、自分自身の苦悩から解き放たれるだけでなく、他者を苦しみから救えるようになり、神仏に近付く事ができると信じられています。
このような、自己と神とを結合させる観法は、古代からインドで「ヨーガ」(サンスクリット語)と呼ばれ、様々な方法が試みられてきました。その中で、特に瞑想を重視するヨーガは、中華・日本で坐禅として発展しました。また、西洋や日本では、ヨーガの心身修練から「健康・美容ヨガ」が考案されてもいます。
今回の講座では、災害・医療・福祉などの現場で、高度な宗教的倫理に基づいて人々の心をケアする「臨床宗教師」という資格が存在する事も紹介されました。臨床宗教師は、自らの信仰を布教するよりも、相手の価値観を尊重し寄り添う姿勢が求められ、宗教者による社会貢献の一例と言えます。
本殿 修行入門会
会館での法華経講座を終えた後、メグミさん達は武蔵野台地の石段を登り、寺院本殿での読経修行入門会にも参加しました。先程、学んだ瞑想の心構えを実践できれば、と思ったのですが…。
週末の疲れと、神秘的な雰囲気に包まれての瞑目でリラックスし過ぎたのか、少し眠そうなメグミさんでした。
第6回 池上キャンドルナイト
修行体験を終え、石段を下りて山門を抜け参道に出ると、すぐ近くの末寺で「第6回ありがとうキャンドルナイト」が開催されていました。
キャンドルナイトは、夏至(6月21日)などの夜に電灯を消し、蝋燭の明かりで過ごす行事です。電力・省エネルギーなどの環境問題を考える「自主停電運動」として始まり、普段とは異なる自然な夜を楽しむイベントにもなっています。
ここでのキャンドルナイトは、会場が寺院なので、枯山水など仏教芸術の展示・上演が行われていました。
6月14日(金曜)
心の刷新を求めて
本日は、ヒジリお姉ちゃん達が参加しているオンライン読書会があります。今週は『心の刷新を求めて』第2章「人間のいのち」を読み始めました。そこには、下記のようなテーマが書かれています。
「世話をするには理解が必要」
「人の本質を巡る現代の論争」
「心が人生を左右する」
「人間生活における六つの基本的側面」
「人間は神秘的ではない」
「人間の六つの側面の外観」
人間の六つの側面として「思考」「感情」「意志・霊・心」が詳しく説明され、ほかに体・社会的文脈・魂があります。このように物事を分類して分析するのは、哲学的なアプローチと言えるでしょう。
本書の著者は、神学を究めた哲学教授です。そのため、西洋の二大思想であるヘブライズム(聖書に基づくユダヤ・キリスト教)とヘレニズム(ギリシャ哲学)が忘れ去られ、人間の「本質」への理解が軽視されつつある現代の風潮に対し、米国を代表する神学者として懸念を示しているようです。
人間の善悪は(行動だけでなく)私達の心の段階から生じるものであり、意志は万能ではないが、意志によって感情を統御し、自ら心の主になる事で、隣人を自分のように愛し、純粋な真の実在に近付けるようになる…という内容に、ヒジリお姉ちゃんは深く頷いていました。
夕方には、蒲田町の区役所分館(大田区 蒲田本町)に向かい、施設利用の手続き申請書を提出しました。こういうのを後回しにすると面倒なので、今回は早めに片付けられて良かったです。
天文部 太陽活動と宇宙図
その後、アキさん達は天文部に参加しました。
大磯町の校舎屋上から、太陽の紅炎や黒点を観察しました。太陽が活発化すると、この黒点が増大し、そこで大きなフレア爆発が起き、そのエネルギーが地球の大気(酸素)に衝突して発光します。今年から来年は、太陽活動が特に盛んであり、日本の上空を含む広範囲で極光が発生しています。
こうした太陽のフレア爆発は、地球からX線で分析する事ができます。太陽と地球は、光の速度でも8分ほど離れている距離(1億4959万7870km)なので、太陽活動の異変に私達が気付くのも、その影響が実際に現れるのも8分後という事になります。
また、宇宙の起原と現在の姿を説明したポスター『宇宙図2024』(最新版)も受け取りました。近年の天文学は、アキさん達が子供の頃よりも更に発達し、最近だと「宇宙は一つではないならしい?」などと観念的な宇宙論もあるそうで、やや付いて行けない感を覚えるアキさん達でした。
6月15日(土曜)
多摩川の鮭と呑川の下水
アキさん達の週末は忙しい。今日は、東京の都市河川を研究・保全する地域団体の月例会です。しかも今回は、私達が議事録の作成(書記)を担当する事になったので、アキさんも張り切っています。
そういうわけで、私達がノートPCでカタカタとメモする中で、次のような議題が話し合われました。
先月の呑川鯉幟祭の様子が、ローカルテレビ番組で放送された。また、この鯉幟祭の記事を含む会報最新号が発行された。
行政への働き掛けを重視する「呑川流域ネットワーク連絡協議会」や、かつて多摩川(呑川の母)で活動していた「多摩川サケの会」に関する議論。
代表(会長)の退任と、代表代行への引き継ぎについて。
新しいウェブサイトの開設。
図書館での呑川講座について。
都立高等学校での呑川学習について。
呑川の環境を改善するため、課題を点検し、行政に要望したい。
区内に設置されている会の掲示板が、紫外線で劣化する事があるので、会員らによる確認と修理が必要。
呑川に流れ込む下水道(雨水管と下水管)について学ぶ。
河川の生態系を回復する運動として、各地の川に鮭を放流する活動が行われ、多摩川でも鮭放流が実施されました。しかし、自然の多摩川には本来、鮭は棲息しておらず、そこに多量の鮭を放流すると、生態系を変えてしまう恐れや、放流されても戻って来られない事が懸念され、議論になったようです。
夢小説『スタウロライト 十字石の追憶』第二章3節「蒼穹」が公開されました。昨年から連載しておりましたが、久々に更新する事ができたので、ぜひ御覧下さい!
次号では「六本木の夏祭」などの話をお届け致します!