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怒らないことにしたけど、ちゃんと怒れるようにしておきたい気もする

生きてたらいいこともあるし、怒りたくなることもありますよね。最近自分怒ってないな、前は結構怒っちゃうタイプだったな、と思い出したことからnoteを書き始めています。


My お怒りポイント

・カバンを私にぶつけていることに気づかずずっとぶつけてくる人@電車
・まだ降りている人がいるの乗ってきちゃう人@あらゆる乗り物
・やると言っているのにいつまでもやらない人
・割り込みとか煽りとか運転マナーが悪い車
・もっと他に言い方あるのにあえてきつい言葉を使う人
・嫌味が多い人

みなさんはどんな時に怒りたくなりますか

こういうこと一つ一つに「いやなぜそうなる……」と思って憤慨してました。私これで怒るの間違ってる?え、みんなも怒るよね?みたいなことも思っていたな。遠い目でいろいろと思い出しています。

怒らなくなった経緯

発端は、めちゃくちゃに怒っている人をみてぎょっとする体験

主に電車内か駅なんですが、無言で誰かを睨んでいる人とか、何かにブチ切れている人を見かけた時に「えっ・・・」っというなんとも言えない気持ち。この視線、自分が浴びたくないタイプのやつだというちょっとした恐怖。


次に、私がどう思おうが現実は変わらないし、人がそうする理由は私には計り知れないという発見

先に乗りこんでくる人がいようが私は降りられるし、きつくいう人は何かのポリシーであえてきつく言っているんだろうし、嫌味を言う人はそれを嫌味と思っていない可能性もあるし。そのだれかの行動がどうあろうと、まぁどっちでもいいか〜って感じました。


そして最後に、自分が怒られた時の体験。

「私怒られたよ、この人怒ってるよ」ということしか受け取れなくてあまり内容が記憶に残らず。怒るというエネルギーの出し方に対して、怒られても私のやる気はでなかった=人に動いてもらうこともできないだろうなという予想をして、消耗するのに結果が出なくてコスパ悪いなという感想を持ちました。

そして全然怒りたくない気持ちになってきたのでした。

「怒る」は行動で、怒っている時は何かの思いを表現しようとしているわけですよね。で、怒る時に表現したいことの多くは「私が守っている価値観や行動規範を一緒に大事にしてよ」という気持ちな気がしています。

私の中で、それらを大事にしてもらおうとすること <<<「人に押し付けない」という別の価値観と感情的コスパ(合理性)が勝った感じです。


怒らない ≠ 怒りを感じない

日頃ほぼ怒らないことにしておくと、気楽に過ごせて良いなと思います。あと、悲しむ・心配する・確認するとかで怒るの代用ができることもわかりました。

でも最近気になってきたのは、怒るべき時や怒りたい時に自分はすかさず怒れるのだろうかということ……。怒りを感じないわけではないし、怒りが原動力になることもあるかもしれないから、表現の仕方をちゃんと考えておきたい、怒りたい時にはちゃんと怒れるようにしておきたい。

というのが本日書いてみたくなったことでした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。


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