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仕事や家事だけが「働く」ではない

これを書いている今現在、ひどい体調不良が続いていて、正直起き上がるのもやっとの状態。

そんな中、TwitterのDMやリプライ、ここnoteのサポートや、LINE公式アカウントのチャットなどで、心配のメッセージやお見舞いなどをたくさんありがとう。なかなか完璧に返せてはいないものの、全てきちんと届いているし、拝読している。

自分自身まだまだ頑張りが足りないと思っていたのに、

「頑張りすぎです」

との声も多くてハッとした。「岡目八目だな」と反省した。なので、ここ数日は必要な時以外はベッドに潜り込んで休んでいる。

にもかかわらず、書くのが好きすぎて「noteを早く執筆したい」という欲求が暴れて。「体が回復してから」と自らに言い聞かせていたが、気づけばこの有様。PCを立ち上げて、

『短くするしっ』

と頭の中の小さな私に言い訳をし、ふと浮かんだ事を書いている。

あくまで個人的な思想だから、合わなさそうだなと思ったらそっと閉じて、そっとしておいてほしい。それだけはどうかと、焼き土下座でお願いする。

念を押したところで、早速。

仕事や家事だけが「働く」ではない

一年に祝日はたくさんある。

その中でも、今日は勤労感謝の日。辞書で見ると、勤労とは基本的に何かしらの仕事をしている人に対して使われる言葉らしい。

祝日自体は、OK, google(江頭2:50風)で軽く調べたら「勤労をたつとびなんとか」とあった。たつとびの意味はともかく、世の中的には仕事をしている人たちへ感謝をする日だと認識されているように思う。それが悪いわけではないし、間違いだとも言えない。

ただ、私は

仕事や家事だけが「働く」ではない

と勝手に思っている。法律や辞書の定義からすれば、外れているかもしれない。周りからは、なかなか理解されないかもしれない。でも、

私がいるここの定義では

外れていないと断言する。なぜなら、私個人の定義では

「何かしらの理由から『したくてもできない』でいる苦しさを抱えながら、理解のされなさや、理不尽なアメなきムチを振るわれながら、ひどい事を言われながら、心の中で感情をぐるぐるさせながら、それこそ休みなく頭を働かせている」

から。頭が働いているのだから、生きているだけでも十分に勤労だ。

と言っても、実際に私がどんなに認めたところで無意味な人もいると思う。そばにいない遠くの人にどんなに「生きてるだけでも」と認められても、

身近な周りがそう言ってくれない限り通用しなかったりもする

から。それこそ「何を綺麗事を」と一蹴されるかもしれないが

ここでは
あくまで私は

そう思っている。よそでどうかは知らないが、ここにいる限りでは絶対に外れていない――と決定させておいてほしい。

肩身の狭い思いをしない場所

勤労感謝の日に限らず、どうしてもこういう時には「働いている人へ感謝」や「働いている人すごい」という言葉が、メガ盛りイクラ丼くらい溢れる。

たしかに素晴らしいし感謝の気持ちは忘れてはいけない。だから「それ自体をやめろ」ではないのを再度念押ししておくが、個人的にそういう日には

「肩身の狭い思いをする人」

も、結構多いような気がする。ただ、こちら側の意見は表に出にくい傾向があって、見えづらいし気づきづらい。

では、私がなぜ「気がする」のかと言うと、なんの事はない。私自身がバリバリやれている側ではないから。死にたくなるほど肩身の狭い思いをずっとしてきたし、今も大して変わらずに

「狭いよ、狭いよ……」

なんてつぶやきながら泣いているというカラクリだ。

だからこそ私は、自分の肩身の狭さを解消させる場所を作りたいと思っている。「生きているだけで褒められる町を作る」と散々言っているのは、それもあってだ。(今のところ実行できる体ではないのが悔しい)

「おごって胸を張っていい」と言いたいわけではない。「全然よきよきだから開き直れ」と扇動しているわけではない。

ただ静かに。

ただ穏やかに。

ここにいる時くらいは。

過ごせるようにしたいだけだ。

一時しのぎにもならないかもしれないが。

心ない言葉で貶されたり。指差されて笑われたり。こそこそと噂されたり。冷ややかな視線を浴びたり。社会のクズのような扱いを受けたり。「一番楽な〇に方」で検索したり。涙で顔をぐしゃぐしゃにしたり。枕に顔を押しつけて叫んだり。

そんな、悲しい時間が1秒でも減るように。

したくてもできないでいるのは、恥ずかしい事ではないんだと。情けない事ではないんだと。食うべからずな事ではないんだと。「〇ね」と言われてもしょうがない事ではないんだと。「生産性もないのに生きててごめんなさい」と身を縮めて謝りながら過ごさないといけない事ではないんだと。

そう、少しでも思えるように。

まとめ

短くと言いながら、テーマが「100円の軽掘りエッセイ」でもおかしくないものだったからか、自然とこの長さになってしまった。

深掘りエッセイは大体4000~5000文字、軽掘りエッセイは2000文字で基本着地するようにしているが、今回もテーマがテーマだったから後者へ落ち着いたようだ。

ともかく、そういうわけだから。今日は、今日『も』か、できる範囲でいいから、できそうな時にでもいいから、自分を労わってほしい。労われないなら、ここで癒されてってほしい。えらそうに聞こえたら申し訳ない。そういう意味合いはないから、許してほしい。

私がTwitterで飼っている「とある猫」のように、煙が出るほど撫でるから。

「うごけているかどうかじゃなくて。そういうのじゃなくて。いつもぐるぐるしながら、くたくたになりながら、じぶんなりのまいにちを、ひっしにやりすごしてるんだよね。ほんとにほんとに、おつかれさまだよ。なでなで」

と――。

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エトナシ サラ
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