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美貌の青空、蜜蜂の羽音

私はYMOを知らない。一種のムーブメントを巻き起こしていた頃、音楽とは縁がなかった。坂本龍一氏(以下、氏)に触れたのは「戦場のメリークリスマス」(1983)であり、テクノではなかった。その後、「ラストエンペラー」(1987)「シェルタリング・スカイ」(1990)とベルトルッチ監督の映画音楽が続いた。

ヴァージンに移籍した氏はアルバム「Beauty」(1989)を発表した。私は海外盤を購入したのではなかったか。世はバブルの絶頂、享楽の世界にあった。当時のインタビューで「とにかく美しいものをつくりたかった」という発言があったと記憶する。ユッスー・ンドゥールの起用や沖縄民謡のカヴァー。私には「アイデンティティーからの離陸」に見えたのだった。

それからしばらく氏の音楽を能動的に聴く機会はなかったが、アルバム「1996」(1996)に収録の「美貌の青空」で再会することとなる。後に売野雅勇が作詞して大貫妙子がヴォーカルで唄っていたことにとても驚いた。私にとっての「美貌の青空」は「1996」に収録されたインストゥルメンタルである。

弦楽器が音階の上下運動を繰り返す。波のようであり、風のようでもあるのだが、私にとっては蜜蜂の羽音であり、初めて聴いた時からその心象風景は脳裏に焼きついたまま離れない。どこか遠く深い森の中に湿地があり、陽を浴びて横たわる私の耳元で蜜蜂が飛んでいる。

また年月は流れ、映画を観ていた私はラストシーンであっと声を上げそうになった。思いがけず「美貌の青空」が流れたからだ。イニャリトゥ監督「バベル」(2006)。モロッコ、アメリカ、メキシコ、日本が舞台として入り混じり交錯する。ラストシーン、父娘役である役所広司と菊地凛子が夜のバルコニーで抱き合う。「美貌の青空」が流れる。

氏は「バベル」で音楽を担当していなかった。イニャリトゥが氏の音楽が好きで使用したのだった。そしてまた年月は流れ、ついにイニャリトゥは「レヴェナント:蘇りし者」(2016)で氏に音楽を依頼する。

私は今、私から見えた氏の稜線をなぞっているだけであり、ひだについては知る由もない。私にとって「美貌の青空」は蜜蜂の羽音、ささやきだと氏にお伝えしたい。

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