ワーママって、イクメンって、死語?
ワーパパとは言わないし、イクウィメンとは言わないし。
私は4月から、ワーママというやつになる予定です。
先進的なメディアやインフルエンサーは盛んに「父親が家事育児やるのは当たり前。むしろ母親が産む仕事を引き受けた分、上乗せで頑張れ」という言説を発信している(ように錯覚する)一方、身近な地域、例えば役所や病院や児童福祉施設から発されるメッセージって、未だ大半が母親に向けられている(ように感じる)。
最も象徴的で印象的なのは、生後2ヶ月で子が救急搬送された時に、夫と二人、二つの病院でそれぞれ術前の子に接見したのですが、どちらも入室時に子にかけられた言葉は「ママ来たよ!」。
パパもいるよ!!
そもそも、子の急変に気がついた時も夫と二人で観察・相談した結果、救急要請に至ったわけですが、経過を話すとしばしば「お母さんの勘ってすごいね」みたいな声掛けをいただき、賞賛の言葉ではあるのですが、パパもいるよ!!!と、声を大にして言いたいわけです。
また、入園後の緊急連絡先の一番手を夫にしたところ、「お父さん、連絡つきますか?」と質問され、これ母親だったら果たして同じこと聞かれるか?と疑問でなりませんでした。
現実として、育児や家事の主担当を母親が担っている家庭は多いと思います。母親たる私が育休をとっている現状の我が家もそうです。
が、母親を労働市場に参画させるためにも、父親が主体的に育児や家事を担う社会を目指すのであれば、地域もその理想に基づいたメッセージを発するべきだと思います。
仮に現実にメッセージを受け取る相手の9割が母親であったとしても、1割の父親をエンパワメントするだろうし、9割の母親も、父親が当事者であることを再認識して「自分一人が担わなければ」という呪縛から多少なりとも解かれることでしょう。
ママだから、母親だから、育児にコミットするのは当たり前だし、パパも親である以上同様だと思います。#コミットの在り方は家庭によります。
そして、ママが仕事をするのも、パパと同様、いい意味で当たり前であってほしい。いちいち「ママだから」「子供がいるから」と構えず、フラットに、淡々と、ワークしたいのです。構えない自分でありたいし、構えなくて済むような環境であってほしい。
「よーし、おむつ替えするぞ…」と意気込まないように、「よーし、仕事するぞ…」と意気込みたくない。
まあ、大のおむつ替えは多少意気込みますが…そういう話ではない。
シンプルに、職能を磨き、効率を高め、困難があれば相談し、必要に応じて援助を求め、交渉し、提案し、職務を全うしたい。
育児があってもなくても。
聞くところによると、育児や介護等により仕事へのフルコミットに制約がある被雇用者は7割に上るらしいです。ソースが出せずすみません。
残りの3割の人だって仕事だけして生きているわけではないだろうから、要はみんな大なり小なり抱えて働いているのだ。
より重い制約のため配慮を受けられるラインがあり、育児もその一つではある。ありがたく配慮を享受しつつも、過剰に気負わず、ただ職責を果たすために必要な振る舞いをすれば良いのだと思う。
自分も制約のあるメンバーを支援する時があったし、またその時は来る。
娘であった私は、学生を経て勤め人になり、妻になり、母になった。
私が誰かの娘であり妻であり母であることと仕事は何一つ関係がないので、私の手が届く範囲で、それぞれの持ち場を守っていきたい。そんな自意識です。