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人生の価値判断における唯一の絶対的指標 - 私流「自己肯定感」とは何か
ご無沙汰しております。
今年は早速3月に初戦を終え、周囲が続々とシーズンインする姿に日々たくさんの刺激を貰いながらボディメイクしています。
コンテストシーズンに入ると、みな理想の自分に近づくため減量やトレーニングに力を入れ夏に向けてフィットネスシーンが盛り上がって行く感じがとても良い。
けれど同時に、自分の体型や大会の成績に一喜一憂したり、周囲と比較して落ち込んでしまったりとネガティブなマインドに支配されてしまう方も散見するようになります。
私自身、そういう時期があったから気持ちが痛いほど分かります。
評価されないと悲しいし、周りに優れた人がいると自信を無くすこともあります。が…
今日の結論を先に述べると、十人十色の価値観で構成されるこの世の中で唯一不変の価値観があります。
それは「自分自身」。
これだけは、仮に自分以外の約70億人が納得しなかったとしても、ただ自分だけが良しとすれば正義であり続けるものだと私は思います。
何故でしょうか?
例として、私の身長は164cmです。
先月出場したサマースタイルアワードの女子身長区分では、161cm以下をショート、同以上をトールとします。私はトールに分類されますが、161cmからスタートするトールクラスには170cmの方も180cmの方も含まれる。要するに、小さい方なわけです。
そんな高身長女子たちと並ぶとやはり小さいと見劣りするよねとか、背が高いと見栄えがいいよね、という意見もあります。
また一方で、厚生労働省が発表している令和元年の「国民健康・栄養調査」によると、20代女性の平均身長は157.5cmで私は平均より8cm近く高いことになります。また20代男性の平均身長は、171.5cm。私の身長は男子平均に近いです。
私自身、過去にお付き合いした男性とほとんど身長が変わらない、ヒールを履いたら自分の方が背が高いという経験もあるし、「小さい子が好み」と言われたことも多々あります(もちろん、世の中の男性の全員の好みがそうだとは言いません)。
このように私が164cmであるという事実は変わっていないけれど、「コンテストでの通説」と「男性の好みの通説」とで、私の身長の捉えられ方が大きく異なってきます。
しかしどちらも正解でも間違いではなく、ある価値に基づいた相対基準です。大会で背が低く見えたとしても、私の167cmの元彼から見た私は背が高いのです。でも、他人の軸に判断を委ねているとそんなことばかり。どんなときも誰かしら「その人の物差し」で私をはかって、何かしら言ってくる。それに一喜一憂していたらメンタルがボロボロになってしまうかも。
だから自分軸、自分の物差しがとても重要になると考えています。
ここからは私流の自分軸の見つけ方を紹介します。
まずは、「現状に満足しているかどうか」で身の回りのことを分類してみる。満足していなければ「行動で変えられることかどうか」でさらに分類してみる。
例えば体型は変えられるけど、身長は変えられないですよね。私が太った自分を好きになれず、背ももっと高かったら良かったと思っているとしたら、まずは努力して痩せてみます。
ここでとても大切なのは、痩せていることが素晴らしい訳ではなく「自分が」痩せた自分が好きだから痩せると説明できることだと思います。
しかし身長は変えられない。私はこういうとき、「なぜ背の低い自分が嫌なのか」を掘り下げて考えるようにしています。
そもそも身長自体に善悪はないのに、なぜ固執してしまうのか。服が似合わないから?なら似合う服を研究してみる。好きな人が低身長好きだと言っていたから?そもそも身長を理由に女を判断する男はやめた方がいいかも(笑)等……
ここでとても大切なのは、「身長を高く見せる」こととか「大人っぽい服が似合うように背伸びする」ことよりも「今の自分を愛せる道を模索する」ことだと思います。
まとめると、
変えられる部分は「自分が」変えたいから変える。変えられない部分は、「自分を愛せる」フィールドで勝負する。
これをあらゆることに応用していくうちに自ずとついてくるのか「自己肯定感」=これが自分の最適解なのだと満を持して言える感覚なのかな、と思います。
全て実体験ですが、自己肯定感が高まるとこんないい事があります。
まず、意思決定を全て自分の価値判断基準に基づいて行うことになるので失敗を他責にしなくなります。
先程の例で言うと、「自分が」好きな体型になりたいから、ダイエットを決意する。
成功したら、自信がつくし自分が好きな体型が手に入る。
失敗したら、それは「自分が」美味しいものを食べて幸せになる道を選んだから(ちなみに、ここで「痩せている」ことよりも「美味しいものを食べて生きる」ことの方が人生の幸福度が高い可能性も検証出来ます)。それに今回は痩せられなかったけれど、健康である以上、また明日からか頑張ることも出来る。
もうひとつ、他人の目が気にならなくなります。
かく言う私も少し前まで、他人の目ばかり気にしていました。自分がいいと思っていても、やめた方がいいよーなんて言われたら、えっ!そうなのか…やめようかな…とブレブレ(笑)。
そもそもなぜ他人の目が気になってしまうのかということですが、それは自分の意思決定が自分の価値判断に基づいたものではないから(例えば、親や友達の言う通りにしている等)だと考察しています。
先程の例にあるような「自分が」〜したいから、という動機説明ができる意思決定であれば、周囲が意見してきたとしても「自分が」納得していれば、成功しても失敗しても周りには関係ありませんよね。
チームで何かを成し遂げようとしている等、自分の行いが他人の利害にも及ぶような場合以外、最終的に自分が納得できる選択をすれば良いのです。
私も初めからできた訳ではなく、数年かけて思考のトレーニングを重ねて今に至ります。
思考も身体と同様に、反復練習することで少しずつ変わっていくもので、今となっては自分の意思決定にすべて理由説明ができるようになり、周囲の意見により意思決定を躊躇うことも、周囲との比較に一喜一憂することも無くなりました。
最後に
残念ながら、失敗した時に周囲は思いのほか助けてくれません。意思決定を周囲の価値観に委ね、自分の本意ではない意思決定を下して失敗したときに、きっとあなたは他人のせいにしたくなるはず。
他人は期待するほど自分に寄り添ってくれていないというのもこの数年で得た知見でした。だからこそ、どんな時でも必ず自分に寄り添い、最後まで自分の味方でいてくれる「自分」のことをもっとよく理解し、その声を聞くこと。これが自分の人生をより楽しむ秘訣であると考えます。