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#149 -放任主義は信頼主義かもしれない?

ボクの両親は放任主義だったと思います。

子どものころからあまり「勉強しなさい」「○○しなさい」と言われた記憶がない。自分の好きなこと興味のあることはさせてくれた。(もちろん、片づけなさい。ご飯を食べなさい。はありましたよ。)

高校受験の時も自分の決めた進路に口出しは一切されなかった。

ボクは中学時代サッカー部に所属していたのですが、ほぼ9割の部員は3年目には塾に通っていました。しかしボクの両親からは「塾に行った方がいいんじゃないの?」と言われたこともなかった。

成績の良い子であればわかるのですが、ボクは成績が良くありませんでした。それでも「塾に行け」という言葉は両親の口から聞くことがありませんでした。

もともと自分で何かを決めることが好きだったようで、常に「したいこと」がありました。そして自分で考え、自分で決めたことに対しては頭ごなしに反対されたことなど一度もありませんでした。

大学に行かない。という決断をした時も同じでした。

よくよく考えたら本当にすごいことだと思います。

自分がやってきたことの数々を思い返すと、
「よく反対しなかったなぁ」と、我ながらに不思議に思うくらいです。

両親のスタンスはいつも一緒でした。

「好きなことをやっていい。でも責任は自分でとること」

「人の迷惑になるようなことはやってはいけない」

この2つを厳守するのであれば、ある意味何をやってもよかったのです。

今では自分が親の立場になってわかったのですが、


口出しをしないこと


って本当に難しい。


ついつい、手を貸したくなる、
ついつい、助言したくなる、
ついつい、後ろからついていきたくなる、


でも


それでは子どもがきちんと成長できないんじゃないか?

そう思うようになりました。

「子育て」

という言葉を聞くと、
「子どもを育てるのは親の役割り」
と思ってしまいます。


でも

親として意識しなければいけないのは、「子どもを育てる」ことではなく、
「子どもが育っていく」のを見守ることじゃないでしょうか?

放任主義 ≠ ほったらかし主義

だと思っています。

むしろ、

放任主義 = 信頼主義

じゃないでしょうか?


そう考えると、これまで数々の自分のやりたいこと、進路について一切口出ししてこなかった両親はボクのことを信頼してくれていたのだと解かり、それだけでも涙腺が怪しくなります。

さぞ、いろいろ言いたかったと思います。

「ちょっと考え直せ」

「無理に決まってるだろ」

「それがなんの役に立つんだ?」


そんな喉の途中まで出てきていた助言や不安の数々を飲みこんで、

「やってもいいよ」

といつも背中を押してくれた。

それがどれだけ大変なことか今なら解ります。

だからボクも娘たちを信頼したいと思います。

自分で決めた進路、自分で決めた決断には口出しもしない。でも正直、無茶苦茶不安です。絶対口出し・助言してしまいそう。。。

だれだって親なら子どもが失敗する姿なんてみたくないですよね?

でもそれって、誰のためでしょうか?もしかしたら失敗するのを見たくないのは子どものためでなく、自分のためかもしれません。

失敗は成功のもと

なんてありきたりすぎる言葉ですが、本当に子どものことを想うのであれば、子どもにたくさんの失敗を経験させてあげることが子どもの将来にとって貴重な体験になるのだと信じています。

早くから「失敗すること」を経験していれば、大人になってからも失敗を恐れずに前向きに進んでいけるような人に育っていくのではないでしょうか?

失敗してこけた子どもにすぐ手を差し伸べるのではなく、自分の力で立ちあがらせ、必要であれば尻餅ついたお尻をパン!パン!とはたいてあげ、「さぁ、もう一回やってみな」と軽く背中を押してあげるだけで十分なんです。


子どもが自ら育っていける環境をつくる。ボクはそのことに力を注ぎたいと思います。また子どもに自ら失敗する様子をそこはかとなく見せていきたいと思います。



あなたはどんな育てかたをされましたか?

そしてそれはあなたの教育方針に大きな影響を与えましたか?

あなたは自分の子どもたちを信頼していますか?


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たろう@エストニア暮らし
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