好きな小説家のサイン会に行く前の回想④
長々、本筋からずれてしまっているが、このように「昔から継続している状況が多い」おかげで、間違いなく自分の読書人生も続いている。景山民夫や鷺沢萠、野沢尚はすでに亡くなってしまったし、いまや両者を知る若い人は少なくなっている。
鷺沢萠にいたっては、彼女のそばにいた方々(直木賞作家の藤原伊織や装丁家の多田和博)も鬼籍に入られているので、いよいよ生身の人間を知る人も少なくなってきていることは憂慮している。ただ時折、忘れた頃に作品が復刊していることがあるので、やはり侮れない。
野沢尚も、生前に自分の子供が喜ぶだろうと思いながら描いた『名探偵コナン ベイカー街の亡霊』は、コナンの感動した映画ランキングとか、何かしらのネット記事で特集が組まれると、上位に来ることが散見している。(あくまで自分の体感値ではあるが……)
つまり著者はこの世を去れど、時を経ても生き残る作品に出合う確率が、どうも自分の場合は若干多いと自負している。
こんなふうに、一つの作品ではなくて、一人の小説家を追うきっかけ、そもそものきっかけを作ってくれた人は誰だろうと思いを馳せていくと、行きつくのは後述するこの方である。ここまで読まれた方は景山民夫かと考えられるかもしれないが、それは違う。大切な作家の一人ではあるが、しっくりこない。それはひとえに「読むこと」はできたけれど、「追いかけること」ができなかったからである。すきな小説家が亡くなるにあたり、一番ここがつらいところである。追いかけることができなくなるのだ。
「作家買い」のきっかけを与えてくれた小説家は、当時、ライトノベルが増え始める図書室で、どうにかこうにか「一般文芸」のわずかなスペースを景山民夫の近くで、そして鷺沢萠や島田雅彦に挟まれるようにして本棚を守っていた小池真理子である。彼女こそ、ぼくにとっては「小池真理子だから買う」という思考で、初めて「作家買い」した小説家であり、いまも不変である方だ。いまでも彼女の本は「面白そうだから」とかではなく、「小池真理子だから」購入している。
ただ彼女の作品は、高校の図書室に多く並んでいたわけではない。
鷺沢萠や島田雅彦は青春文学の旗手と囃されていたそうなので、何冊か並んでいた。やはり学校の図書室には、作中人物か作家が同年代にわりかし近くないと手に取ってもらいにくいのかもしれない。特に自分がいた学校は、読書人口は壊滅的に少なかったと思うのでなおさら……。
その当時、鷺沢萠が自著を「赤い本」「青い本」と呼んでいた『帰れぬ人々』と『少年たちの終わらない夜』を図書室で借りて読んだのもこの頃だったし、島田雅彦の『ぼくは模造人間』を読んだのも同時期だった。(ちなみにこの頃、島田雅彦の作品ではまっていたのは、『君が壊れてしまう前に』という角川書店から作品だった。学生の日記帳という形式が斬新であるとともに、ひとつひとつの章立てが短くて読みやすかったからである。当時は徳間書店と角川書店の作品が手に取りやすかった。先に述べた景山民夫の『遠い海から来たCoo』と『さよならブラックバード』も角川書店から刊行されている)
景山民夫の横に並んでいたのかは、さすがに記憶がおぼろげだが(北方謙三はいただろうか。桐野夏生はいなかったと思う)景山民夫と鷺沢萠に挟まれるように、書架に並んでいたのは、小池真理子の『無伴奏』という作品だった。小池真理子の初期の代表作のひとつである。
しかし小池真理子作品で図書室に並べられていたのは、おそらくこれだけだった。当時はミステリーやホラー、サスペンス小説が彼女の作風だったので、高校の図書室にはこの作品以外はなかったはずだ。もしあったなら借りていただろう。しかし借りた記憶はない。その後、小池真理子の作品は買って読むのが習慣になっているので、やはりこの一冊だけだったのだろう。いまとなっては確かめる術はないが。
その『無伴奏』の表紙が非常に印象的だった。
そこには悲しげな目線をこちらに向ける、二人の青年の姿があった。描いている人が定かではないが、その時に頭を掠めたのは、『さよなら、ブラックバード』の表紙である。似たようなクロッキーのタッチに、なぜか心をそそられた。
それを糸口に、試しに最初のページを広げてみる。冒頭はこれまでに読んだことがないテイストがただよっている。登場人物はどうやらはるかに年上らしい。しかし舞台が仙台というのに、少し目が留まる。これまで読んできた小説は、だいたい東京が舞台か、東京で生まれ育った子が田舎に行くか、はたまた架空の街が舞台か……、そういったところだ。具体的に「東京」以外の地名を小説で目にするのは、実はこれが初めてだった。行ったこともない街だが、どのような場所なのかと思いを馳せてみた。(余談だが、この10年後くらいに仕事を辞めて『無伴奏』を抱えて仙台に行くのは、また別のお話し)
ゆっくり手にした作品を読み進めていくと、主人公の高校時代の話が始まる。
学園紛争の時代である。
当時のぼくから見ても遠い時代であったが、いまとなってはますます遠くなり、当時の景色にもやがかかり始めているのではないだろうか。「過去」と呼ぶよりも「歴史」と呼ぶほうがふさわしいほど、その時代がほんとうに遠い。
(⑤へ続く)