無駄があってもいいじゃない
無駄なことって何なんでしょうか?
役に立たない?意味がない?いろいろあると思います。
人は無駄を省いて生きていきたい生き物です。私もコスパ良く生きていきたいと願っています(今は全然できていませんが…)
しかし、コスパが良い、無駄のない人生って幸せなんでしょうか?
そうやって考えると無駄について深く考えてみたいと思ってしまいます。
今回は、普段聞いているPodcast「新型オトナウィルス」で無駄に関する面白い議論があるので、そこから考えてみたいと思います。
無駄とは?
「無駄」は”目的に対して役に立たないこと”に使う言葉のようです。
しかし、無駄なことを一生懸命やっている場合、目的が途中ですり替わっているため、俯瞰で見ると無駄なのにマイルストーンに対しては無駄ではないという状態になっているわけですね。
そう考えると、無駄な努力は、努力している時点で目的に向かっているので、無駄ではなくなっているというとても哲学的な収束を向かえます。
これは自分自身経験しており、学部生の頃に研究に役立つ思って読んでいた生き物がつくる結晶(バイオミネラル)の知識はその後全く研究に使いませんでした。
しかし、このnoteではその時学んだ知識を使って記事を書いたりしています。
つまり、研究に関しては無駄になってしまっても、人生において無駄ではなかったということになりますね。
そう考えると、無駄なものなんてないんですね。
自分が習得したことや体験したことはどんなことでも再利用可能であれば、無駄にはなりません。生きている限り、くだらないことでも無駄ではなさそうです。
無駄に感じる出来事も逆に利用してしまえばいわけです。
結局、物事の視点の枠組みを変えれば、無駄を作らない生活ができるわけです。
逆に言えば、本当に無駄なことはできないということになります。
発信することは無駄をなくすかもしれない
世の中には本当に無駄なことをしたいと思う方もいると思います。
実際に「新型オトナウィルス」のMCをやられている樋口さんは「無駄な努力」ができないことに落胆している様子でした。
とはいえ、逆に私は無駄なことをしたくないタイプの人間なので、なんでも利用してやれば、いいなと思っています。どんなに不幸な境遇になってもそれをネタにしてしまえば、その瞬間に無駄ではなくなります。
そうやって考えると、noteでもtwitterでもpodcastでも何でもいいですが、発信することは無駄を減らすことにつながるのではと思います。
過去につらい境遇を経験したとしても、それを適切にアウトプットして誰か他の人の役に立てば(もはや役に立たなくても)、無駄ではなくなりますよね。
最後に
無駄って何だろう?って先週の続きみたいな記事なんですが、深堀したくて記事にしました。
今回はふと思いついただけで記事にしてみましたが、この意見を簡単に反論できるような事柄はあるかもしれません。
しかし、ふと思いつたことを腐らせてしまっては無駄になってしまうかもしれませんが、くだらない無駄な思考がこうしてnoteの1つのネタになって無駄ではなくなったわけです。
ものの見方はフレームワークで決まると思います。寝る前にぼーっと考えていたことも、形を変えれば(視点を変えれば)、一応は形になるわけですね。
トップ画像はジョジョの奇妙な冒険より引用