noteを続けるためのクオリティコントロール
最近Podcastをよく聞くんですが、多くの発信者がクオリティコントロールについて触れています。
何事もハイクオリティを目指した方がよいという意見もありますが、長く続けるためにははやり手を抜くべきところも必要な気がします。
クオリティコントロールとは
クオリティコントロールと調べると、品質向上のための品質管理という風に出てきます。
ただ、ここでは品質向上のためのコントロールではなくて、長く続けるためのコントロールです。
つまり、力を入れすぎて頑張ったコンテンツを出し続けると途中で息切れしてしまうので、時々手を抜いていくという姿勢です。
Podcastになると、結構制作が大変なのかもしれないのか、ずっと気張ってコンテンツを作り続けるのは難しいのかもしれませんね。
noteでもクオリティコントロール
これはnoteを続ける上でもいえるかもしれません。
私も少し気にしています。この程度の記事でなにがクオリティだといわれそうですが、この点において重要なのは、どれくらいの時間をかけて記事を書いたのかです。
ここ数か月noteで定期的記事を書てきて、特に感じるのは私のような素人レベルの記事に関しては、かけた時間とその評価はあまり関係ありません。その点も考えると、すべての記事に全力の時間をかけるのはきついなと感じます。
加えてnoteを書いている人は素人の趣味だと考えると、やはり続けたければクオリティは考えた方が良いかなと思います。
意図的に手を抜く
新型オトナウィルスのクオリティコントロールの回では、笑っていいともやサザエさんが例として挙げられていました。
確かにあの手の番組は、9割ぐらいの人が知ってるぐらい有名な割に神回とかバズったと呼ばれることは少ない気がします。(マニアからするとあるのかもしれないですが、普通の人からすると気づきません)
この手の番組はあえてクオリティを上げすぎないように意図的に調整していたのではないかとMCのお二人が話していて、確かに~と思いました。
とはいえ、バズりたくて、徹底的に戦略を巡らせる人もいるかもしれません。
しかし、実際何がバズるかはわからないといっている人もいるので、あんまり考えなくてもいい気がしますね。
個人的には、継続は力なりのマインドが強めなので、難しいことは考えずに、テンションを保っていけるように頑張りたいですね。
最後に
一回の伝説を求めるタイプの人はクオリティコントロールなど考える必要はないかと思いますが、継続は力なりのタイプであれば、コントロールするのは重要でしょうね。