■大河ドラマ『光る君へ』第43話「輝きののちに」感想―君を生きる証にしよう、誰のためでもなく。
さて、第44話の放送が終わって2日経つというのに、ワタクシったら周回遅れに拍車をかけ、ようやく第43話を見終わったのでした。
見始めてしまえば楽しいし、書きたいこともたくさん出てくるのですが、そもそもが映像苦手民なので、見るまでに時間が超かかってしまう……えぇ、仕事や勉強をやるときも、取り掛かるまでにものっそい時間を喰うタイプです、今も昔も(笑)
あ、そうそう。
先日、書店で『光る君へ』のムック本を見掛けました。何気なく眺めてみたのですが、どうやら1027年くらいまで物語は紡がれるようです(ざっくり見ただけなので、もう少し先まであるかもですが)。
ということは、後一条天皇の御代で物語は終焉。あと、4話(ワタクシ的には5話/滝汗)なのですね。ついこの間、第1話で主人公を全力で差し置いた感想を書き綴ったと思ったのに、そのまま走り抜けること11か月。周回遅れはぶちかましていますが、それでものんびり思いのたけを綴って、ゴールインしたいと思います。
あと、もう一つ。
定子さま―高畑充希さん、ご結婚おめでとうございます! うつくしい定子さまのお姿、忘れません。彼女の分も、どうぞ末永くお幸せにお過ごしくださいね♡
という訳で。どんな訳だか分かりませんが(笑)、前回の感想記事はコチラです♪
ではでは、行ってみましょう。
…今回はちょっと?変則です♪
■今日の皇統争い
■運命を結ぶ彼女は1013年に生まれました
さて、第43話の初めに三条天皇の皇女「禎子(よしこ)内親王」を妍子さまがお産みになったことが描かれました。このときの左大臣の落胆の表情と、三条天皇のほくそ笑みなニヤリ顔との対比がとても趣深かったです。
この禎子内親王は成長した後、後朱雀天皇の皇后になります。
後朱雀天皇は「敦良(あつなが)親王」で、彰子さまがお産みになった二人目の皇子です。敦成(あつひら)親王さま(後一条天皇―第43話で偏継ぎしていた皇子さま♡)の弟君にあたります。後一条天皇即位のあと、諸々あってから、皇太弟となる方です。
これはのちの話になりますが、禎子内親王は後朱雀天皇のもとに入内し、尊仁親王―のちの後三条天皇をお産みになります。そうして、国母となり、1069年には史上3人目の女院宣下を受けられ、陽明門院として権勢を振るうようになるのです。
第43話現在の帝は、三条天皇です。幾度か書いていますが、彼は「村上―冷泉―花山」から連なる皇統に位置し、実はこちらが嫡流でもありました。一方で、「村上―円融―一条―敦成親王」の皇統もあり、この時代は想像以上に派手な「両統迭立」があり、ばちばちしまくっていたのです。
結果的に、敦成(あつひら)親王が後一条天皇として即位した後、敦明(あつあきら)親王が東宮を返上し、敦良(あつなが)親王が立太子して、後朱雀天皇として即位することから、後者の皇統、つまり「村上―円融―一条―敦成(後一条)」の流れが嫡流を奪取することになります。
駄菓子菓子。
これで終わらないのが歴史の妙味でして。
一瞬、本流となった皇統に連なる後朱雀天皇のもとに入内した禎子内親王は三条天皇の娘です。そうして、その二人の間に生まれた尊仁親王が後三条天皇として即位する。
すなわち、村上天皇の息子たち(冷泉天皇/円融天皇)から端を発する両統迭立は、男たちがあれだけばちばちと東奔西走していたにも拘らず、禎子内親王所生の皇子によって、しれっと統一されてしまうのです。
そう考えれば。
祖父左大臣からはその誕生を祝福されない孫娘ちゃんでしたが、でも、禎子内親王が生まれてきたからこそ、運命は結ばれ、両統迭立は解消されたと言えましょう。こういう流れを見ていると、「女子の強さ、舐めんなよ」とか思っちゃいますよね♡
■「正気」であることの重み
上の項では少し先走ったお話をしました。が、時を戻して。
第43話でもっとも印象に残ったのが、三条天皇の「朕は正気であるぞ」ということばでした。三条天皇がこれを言うのって、想像以上の重みがあるんですよね。
何故かというと。
先ほど、三条天皇は「村上―冷泉―花山」の皇統に連なると書きました。両統迭立の初めにあたる村上天皇は、「天暦の治」と呼ばれる理想の治世を行なった方です。後の世からも理想とあがめられ、目指すべき帝だとされた賢帝でした。
そうして、その後を継いだのが、村上天皇の長男憲平親王―冷泉天皇です。が、この天皇は記録を見る限り、波はありつつも、精神に病をお持ちであり、「狂気の帝」と称されることもありました。そのため、摂関家からも期待された即位であったにも拘らず、すぐに村上天皇の四男守平親王―円融天皇(坂東巳之助さん/詮子さまの夫)へ譲位となったのです。
さらに、この円融天皇のあとに即位したのが花山天皇(本郷奏多さん)です。彼は冷泉天皇の皇子です。『光る君へ』でも何度か描かれましたが、花山天皇は先進的過ぎ、あるいは、あの時代の常識からはみ出す部分が多すぎました。後の記録にも「奇行」と位置づけられるような行動を多くなさったとされます(文化的な寄与もめちゃくちゃ大きい方なのですが…)。
三条天皇は、冷泉天皇の皇子(花山天皇の異母弟)ですから、この皇統に連なる直系の帝です。そう考えれば、「朕は正気である」という言葉には、これまでの帝と異なるのだと強く主張する気概が感じられます。
もちろん、これは深読みしすぎでしょう。このとき、三条天皇は、身体には不具合が出てきているけれど、精神はまっとうであり、帝の職務を十全にこなすことができることを伝えたい一心だったと思います。でも、「帝」がこれまでの歴史を全部背負った上で成立しているものだと考えると、この深読みもなかなかに味わい深いように思うのです。
■皇統を次代へ繋ぐために
三条天皇が帝位に何とか残り、貴族たちを統べる者としての存在感を出そうとしたのは、もう一つ「敦明(あつあきら)親王」の存在があるのではないでしょうか。
敦明親王は、娍子さまを母とする三条天皇の第一皇子です。道理で言えば、三条天皇ののちに彰子さま所生の敦成(あつひら)親王が即位し、敦明(あつあきら)親王がその東宮となるのが筋です。
ですが、そこには2つの懸念があります。
1つは、敦明親王の母娍子さまの父が既に他界していることです。
娍子さまの父は大納言藤原斉時さまで、道隆さまの飲み友達でした。道隆さまが臨終に際し、「念仏を」と促されたとき、「斉時と朝光は極楽へ行ったかなぁ」とおっしゃったとされる、あの「斉時」さまです。
995年、道隆さまは飲水病(現代でいう糖尿病)でしたが、猛威をふるった疱瘡で道兼どんはじめ、多くの貴族が命を落としたあの年に、斉時さまは大納言という官職のまま、亡くなりました。
これは、敦明親王が立太子し、即位したところで、後ろ盾になる「家」がないことを意味します。
そして、ここで、敦康(あつやす)親王のことを思い出してほしいのです。
敦康(あつやす)親王は、一条天皇の第一皇子であり、母は関白道隆さまの娘である定子さまです。でも、道隆さまは既に亡く、母定子さまも幼くして喪いました。その結果、明確な力を持つ後ろ盾のない敦康親王は帝の第一皇子でありながら、立太子することが叶わなかったのです。
三条天皇の念頭にこのことがなかったとは思えません。むしろ、2つ目の懸念事項として、深く心に刻まれていたことでしょう。
自分がしっかりと地盤を固めておかなければ、敦明親王の立太子、即位が危うい。そんなことになれば、こちらの皇統が途絶えてしまう。
もちろん、25年も待ち続け、満を持しての即位ですから、理想とする政を思うままに行いたいという意気込みも大きくあったことでしょう。ですが、この時代の「天皇」という立場とか仕組みとかを考え合わせると、自分までつながってきた血脈を次代へ繋いでいくことへの責任感は、現代の私たちが考えるよりももっと深く切実にあったのではないかと思えてなりません。
■今日の彰子さま
■今がいちばん幸せで
第43話では、内裏が焼亡したことにより、彰子さまが弟である頼通さまの邸(高倉殿)へお移りになります。そこへ「会いたくて来ちゃった♡」な敦康親王がご機嫌伺いにやって来られるのです。
敦康親王って、このときまだ15歳とか16歳なんですよね。それでも、全部を呑み込んで、今がいちばん穏やかだと微笑まれている。
幼くして母を失い、父は帝で。周りにはどす黒いナニカが常にあって(呪詛る伊周さまとか、怨念なききょうさまとか)。皇太子になること、帝になることを既定路線として植え付けられ、でも気づいたら、その梯子は外されていて。そう考えると、敦康さまは「政争の道具」としてしか扱われない自分をずっと自覚なさりながら、生きてこられたんですよね。
そりゃ、邪気なく微笑む彰子さまに恋心を抱き、「彼女を守る」という決意で自分を支えるのも道理というもの。きっとそうしなければ、彼は生き延びることができなかったのですよね。
でも、そんな敦康さまも妻を娶ることで、大好きだった彰子さまと大人の会話をし、穏やかに微笑むことができるようになった。対等の立場ではないけれど、それでも一緒に過ごした日々を「あの頃」として共有する戦友として、笑い合える日がやってきた。
それはほんとうに喜ばしいことだと思いますし、もしかすると、敦康さまにとって、このときがいちばん幸せだったのかもしれないとも思うのです。
対する彰子さまも、とても穏やかに微笑まれていて。以前のような、心を守る鎧にがっちがちに固められたような表情ではなく、大切な敦康さまのことを心の底から思いやり、労り、微笑まれる姿は紛れもなく「女王さま」だなぁと……敦康さまでなくとも見惚れてしまいました。
■父を知る
そんな彰子さまも、父左大臣のやり様にはまっとうな不満をずいぶんとお持ちです。外から見える父の姿に嫌悪の情を隠そうとなさいません。
ですが、そんな不満を藤式部(まひろ/紫式部)にぶつけたとき、彼女から返ってきたのは、父左大臣を擁護する言葉でした。そうして、このときは「父贔屓」と揶揄するも、このまひろの言葉は彰子さまにとって大切なものでした。
このときはまだ「皇太后」という位ですし、彰子さまが政に直接かかわることはありません。つまり、現在の彰子さまは「政のいちばん近く」にはいるのですが、「政のプレイヤー」ではないのです。この差―周辺をぐるぐるしているだけの者と中枢で実際に動かしている者の差異は、想像以上に大きいと感じます。
ですが、藤式部から父左大臣の考えや心情を聴くことで、彰子さまは「プレイヤー」の苦しみの断片を知ることになります。それは、後年、父左大臣亡きあと、実際に「プレイヤー」となる彼女にとって大きな財産となるのではないでしょうか。
もちろん、今はまだ反発も大きいでしょうし、知識だけで上っ面に知るだけではあります。でも、それを記憶にとどめておくことが、彼女の政治家としての手腕をさらに強いものとするのではないかと思うのです。
父左大臣の後を継いだ子として、のちの世に名を馳せるのは弟である頼通さまです。でも、もしかすると、もっとも色濃く父の手腕を受け継いだのは彰子さまだったのかも……と思えてなりません。
そういえば、兼家パパりんの手腕を全部引き受けていたのは、詮子さまでしたよね。歴史は繰り返すと言いますか、カタチを変えながら次代に繋がっていくと言いますか……そういったことをじんわりと感じさせるのも『光る君へ』のおもしろさだなぁと思うのです。
■まとめ
というわけで、第43話「輝きののちに」の感想でした。
町田公任さまの「情に流されるな」とおっしゃった低く渋い声を鬼リピし、その頬のラインが素敵すぎる…とお目目をハートにしていたことまで書けずですが(書いてるやん)。これまでの積み重ねが随所に生きていて、それをほじくり返すのがとても面白かったです。
第44話もなるべく早く記事にして、最終話までには周回遅れを取り戻そうと思います。
これからもご一緒に楽しめたら、幸せです。
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