人生は美しい
「Life is beautiful」
何度その言葉に救われたのだろうか。
私にとって、この世界で生きること、死ぬこと、そんなことにあまり関心がなかった。私にとってはどうでもいいことだった。
でも、結局死ぬ勇気がなかったから生きることを選択していたんだと思う。
そんな何も希望を持てないような毎日を過ごしていた時。あなたは、あまりにもエネルギッシュに私の前に現れた。あなたの声、エネルギー、発する言葉すべてがが私の世界から邪魔だと思うほど、あまりに唐突に私の世界に入ってきた。
今日は、私の人生に影響を与えてくれたちょっと変わった先生の話と私が学んだ大切なことをシェアしたいと思う。
教室に入ってくるとやいなや、
「Life is beautiful」
「Wonderful day !」
と独り言を言い放った。
独り言というには声が大きすぎるくらいだった。
今日は、一体そんな特別な日なのだろうか。
そんなに素敵な日なのだろうか。
きっと、初めての生徒を前にワクワクしていたに違いない、そう思っていた。しかし、それが始まりであり、終わりがなかった。次の授業も、またその次の授業でもひたすら同じ独り言を繰り返すのだ。
もはや、それは独り言ではなくまるで彼の宣言であるようだった。
そもそも、そんな堂々と「Life is beautiful」といえるほど人生は素晴らしいものなのか私には全く理解できなかった。
そして、数学の授業があるごとに、耳にタコができるほど「Life is beautiful」をいう言葉を一年近く聞くこととなってしまった。
ふと気が付くと私の中にふとある疑問が存在していた。
「人生はそんなに美しいものなのだろうか。」
そうであってほしいと思うとともに、そんなことはない。二つの相反する考えが、私の好奇心をくすぶっていることに気が付いた。
そして、その答えを知りたいと思った。
なぜだろうか、本当に心の底からその答えを知りたいと思ったのだ。
私は私の住むところ(私の住む世界)以外に、あまり外の世界に興味を持たない人間だと思っていた。
でも、この答えを知るためにちょっと冒険してもいいかな。そんな気持ちになっていた自分にとても驚いた。
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それから4年が経った。私は、オーストラリアから日本へ帰国する飛行機の中にいた。そして、飛行機から見る大きな大陸が小さくなっていくのを見ながら回想した。
この4年間本当にいろいろあった。
クラブで酔いつぶれるまで遊んだ日々。
いろいろな国の人とも友達になった。
クリスチャンになって自分が愛されると実感した。
いつも見守っていてくれるお母さんみたいな温かい人にも出会った。
課題が終わらなくて、徹夜するためにスーツケースをもって図書館で寝泊まりした。
大好きな親友と中国を旅行した。
文化の違いに驚き、人間関係でうまくいかなくて泣いたときもあった。
そして、くだらないことで永遠と笑い続けることができるくらい笑った。
オーストラリアの大自然に息をのむほど圧倒された。
すべてが夢のようだった。
そして、幸せだなと思った。
日本へ帰る、飛行機の中で私は独り言を言った。
「Life is beautiful」