受話器の向こう側の男性。【ショートエッセイ】
電話(いえでん)というのは時に、本来の機能を失う奇妙な機器だ。
私の妹は、テレフォンアポインターのバイト経験がある。
家電と言われる自宅の固定電話番号に、出し抜けに営業電話を掛けるという、ハエのように忌み嫌われ、神経をすり減らす仕事であった。
その日は、メンズエステの勧誘の仕事だったらしい。
そのころ、世間は「イラク戦争」の話題でメディアは持ち切りだった。
2003年だ。
20年も経つが、私の中では不明瞭でかつ非常に残酷な争いだった。
結局、イラク政権は大量破壊兵器を保持していた事実はつかめなかった。何が本当の目的だったのか?石油か?
多くの犠牲者や、無念に打ちのめされる兵士たちの気持ちを思うと、今でも心が痛む。
戦争に疎い私でも、戦争は大嫌いだ。
イラク戦争も、風化させてはならない争いであることを痛感していることは、決して嘘ではない。
だから、電話口の中年男性が激怒するのも理解ができる。
が、妹は仕事だったから仕方なかったと言う他なく、電話機がおかしかったのだ。
「リラクゼーションに興味はありますか?」
と、妹はマニュアルに従い男性に聞いただけだ。
しかし男性は「イラク戦争に興味ありますか?」と聞き間違い、
「あるわけねーだろ!!」と、鼓膜に刺さるほど怒鳴ったのだ。
妹は、男性がなぜ怒っているのか不思議に思いながらも、マニュアルのセリフを進めていくしかなかった。
「それでは、幾らなら行ってみたいと思いますか?今ならお安くなっていまして――」
「バカか!幾らでも行きたいわけねーだろ!!」
と、男性は言葉を遮り、妹の耳をつんざいた。
電話機が壊れるほど完全沸騰したようだった。
受話器を叩きつけるように電話は切られ、妹は唖然としたという。
そしてしばらくして、イラク戦争と聞き間違ったのだと自己解釈し、納得したらしい。
戦争に不満がつのるのも当然だが、人というのは、憤りで視界が狭くなると、どんな言葉も早合点となり、いらぬ紛糾が発生してしまうものなのだと私は思った。
世界は平和であってほしいものだ。