Lavapiés(ラバピエス)
最近、治療(私は受ける方)などで、Lavapiés(ラバピエス)周辺に行くようになりました。
それにしても、このLavapiésという言葉の意味。
「足洗い場」・・・
何でこんな名前をつけたのでしょうか?
理由は、
ユダヤ人がシナゴーグというユダヤ会堂に入る前に足を洗った泉があるから。
とか、
旅人が宿に入る前に足を洗わなければならなかったから。
とか、
坂道、特にプエルタ・デル・ソルから行くと下り坂多いので、雨が降ると、通りが川になって足が洗われたから。
という色々な説がありますが、どれが正しいのかな?
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わからないそうです😅キタイサセテ、スミマセ〜ン🙇🏻♀️
以前、ラバピエスは本当に危険地区と言われ、日本大使館からも危険だという情報が発信されていました。
今は観光客も多く(市内はどこでも多いです)、ラバピエス地区も賑わっていて、近代的でお洒落なカフェテリア、レストラン、お店が増え、アーティストも住んでいたり、危険というよりおしゃれな地区になっています。
アンダルシア地方からマドリードに出て来たばかりで、マドリード市内のこともほとんど何も知らない田舎者の😅日本人の私がアパートを探していた頃のお話をしようと思います。
スペイン人の友達がマドリードに住んでいた従兄弟に私のアパート探しを手伝って欲しいと頼んでくれました。
彼の従兄弟に会ったら、「ラバピエスがいいよ!」と勧められました。
なので、私は「そっか〜」と素直に思い、即ラバピエス地区にある賃貸アパート探しを開始!
すると、すぐに値段が手ごろな屋根裏部屋と言うアパートを見つけました。
「屋根裏」という言葉に惹かれて、アパートを見せてもらいに行くことにしました。
しかし、
ラバピエスのメトロで降りて、地上に出てから、「こ、これは、失敗したかもしれな〜い!」と後悔。
周りを見たら、大きなギョロギョロ目で、白い歯が目立った大きなアフリカ人と目つきの悪いタバコを吸ってた中近東や東洋人が何人も私をジロジロ見ていたのです。ヤバイ(-_-メ)
アパートのある通りにも、アフリカ人の革製品の店(くさかった〜)、東洋人や中近東の食料品店だけがあり、店の外でお客さんを待ってたようで、私はジロジロと見られました。ワタシハオキャクジャナイヨ〜😥
見られてると思ったら、よけいに怖くなりましたが、何とかアパートに無事到着。
そのアパートは屋根裏にあるメゾネット式(上の階はコの字型)で、私一人には十分過ぎるくらい大きなスペース。
一階には台所、サロン、浴室。
二階にはベッドが置かれ、天井は木の梁でおしゃれ。二階から一階が見えるアパートなんて日本でもこっちでも私は住んだことな〜い。
二階の少し空を向いた木の枠の小さな窓から、周辺の古い建物の茶色に近い濃いオレンジ色の屋根や、鳥が窓辺にとまって、ピーチク話しているのも見えて、私には思った通りの理想的で魅力的なアパートでした。
「いいなぁ、ここに住みたいなぁ」と思い、すでに私は夢の中。
オーナーは大学の教授で、娘さんがこのアパートに住む予定だったのですが、海外に留学が決まり、住まなくなったので、貸すことになったとのことでした。
そこで、私はハッと我に返り、
「あんなでっかい体格のアフリカ人や、たちの悪そうな東洋人の前を毎日通って大丈夫なのだろうか?」と疑問が湧いてきていました。
海外留学すると言ってたけれど、あんな人ばかりだから娘さんはここに住まなくなったのではないかとも思いました。
そして、当時、私は車を持っていて、アパート賃貸広告に駐車場付きと記載されてたので、オーナーに聞いたら、同じ建物に駐車場はなく、2つ向こうの建物の地下へ案内されました。
私はまた、
「細いこの道を駐車場まで車で運転して行って、何の問題もなく車を入れて、そして、アパートの建物まで走って行って、無事にアパートに着くことが出来るだろうか?」と想像して、不安になりました。
アパートはサイコ〜・・・住みたぁ〜い!!
けど、ど〜しよ〜?🤔🤔🤔
すごく迷いました。
翌日、会社に行って、同僚の男性に話すと、
「ラバピエスやエンバハドーレス(すぐ隣)の地区は危険だよ。建物の入り口で待ち伏せされて、ナイフ突きつけられたという話もたくさん聞いてる。」
と言われ、😱😱😱
「なんであの従兄弟は、来たばかりの何も知らない私にラバピエスを勧めたんだ?」と友達の従兄弟はひどい人だなと思いました。
あとで、きっと、彼も田舎から来て知らなかったのかもしれないなと思ってあげましたけど。
結論として、最初から信用出来る同僚に相談すれば良かったのだということを学ぶ経験だったのです😅
そんなことがあって、長いことほとんどラバピエスに近寄ることはありませんでした。
ラバピエスの通り
下り坂もあります。
ラバピエス広場
ラバピエス広場のメトロ周辺
ラバピエス広場にある近代的なバジェ-インクランという劇場。
ラバピエス広場からプエルタ・デル・ソル方面へ向かう道。
用事を終わらせ、広場からプエルタ・デル・ソル方面へ向かうときに、横を見たら、気になる建物がありました。(すぐに寄り道する私😅)
建物が完成してない状態なのか、古い建物で、天井がないままという感じ。
これは1763年から1791年に建てられた教会で、市民戦争(1936-1939)で焼かれたりもして、長いこと放置されてたのだそうです。
そして、やっと1999年にマドリードのUNEDセンター大学図書館として修復されました。
中も見てみたいと思いましたが、時間がなく、またの機会にということにしました🙇🏻♀️オワビ
アフリカ人の女性専門店と思える洋服店
インドレストラン
この写真はなぜ撮ったんだろうなぁと一瞬考えました。
ガイコツの頭の横に布袋様の置物。ヒスイの置物もありました。高かったです。
この辺にはスピリチュアル関係のものも以前からありました。
ラ・アルハンブラという名前のアラビアレストラン
(スペイン語の発音は、「H」を読まないので、「ラ・アランブラ」です)
シヴァ神、ガネーシャや布袋様の置物も多かったです。
Tirso de Molina (ティルソ・デ・モリーナ)というラバピエスの隣のメトロの駅の広場。
花屋さんがいた広場の近くにはゴッホのひまわりの絵の描かれたクッション。
ネコに見られた!!
これは、
この記事に書いたサンセバスチャン教会(16世紀)の裏側。
No
またまた、ネコの絵。「本当のネコのクラブ」
また、ネコ。
私はネコに呼ばれるのかな?😹😻
マヨール広場の近くで、この日はデモが行われていました。
また、きれいなランプが!!
昔は、この写真の奥の方に見える屋根裏部屋に住みたいと思いましたが、ここ数年の熱波や寒波など異常気象を考えて、夢見る少女だったひまわりん子は現実的になりました😂🤣
普通の噴水
その前には銅像。そして、銅像の頭に乗ってたのは・・・
鳩。
ということで、プエルタ・デル・ソルに着き、電車で帰りました。
この下のリンクは、マドリードという歌を歌ってるプラシド・ドミンゴと
同じ歌を近代的に歌ってるグループのものです。
このリズムにのって踊れるかも?
これはマドリードの民謡です。ゴヤの絵に描かれてるのはこういう踊りかもしれないですね。
+ + + +
最後に、またまたこの記事
その瞬間を楽しんで、心ウキウキ、気持ちワクワク、気分はサイコ~になった午後
のお知らせをいただきました🥰