「きっかけは大失恋」何者でもないOLが山奥の『虹の学校』校長に就任し、社会貢献賞を受賞するまで
来泰して約3ヶ月。キャリアについて悩み悩んだ挙句「今はやりたいことに素直に取り組んでみよう!」と決めた私は、知人経由で知ることとなった、タイとミャンマーの国境付近にある「虹の学校」(※)の門戸を叩きました。この学校は2008年に創設された、無国籍の子どもたちのために建てられた学習センターです。「国際協力×広報PR」という軸で新たな挑戦をしたいと思っていた私は、虹の学校の片岡朋子校長先生に直接コンタクトをとり「ボランティアをさせてください!」と直談判。すると、なんと快く受け入れてくださったのです。
※虹の学校について、詳しくはこちらをご覧ください。
片岡朋子校長先生は、2010年に虹の学校・校長に就任して以降、これまで13年間にわたり子どもたちに寄り添って活動してきた日本人女性です。これまでの精力的な活動がタイで評価され、なんと2023年1月、タイ王国社会開発・人間安全保障省から社会貢献賞を受賞!1月31日にその授賞式が行われました。
そこで、今回は広報PRの取り組み第一弾として、片岡朋子校長先生をインタビュー。「山奥にある無国籍の子どもたちの学校で校長先生をしている」と聞くと、「自信に満ち溢れている強い女性」「キャリア志向の強いバリキャリ」など、いろんなイメージが沸いてくると思いますが(笑)、インタビューを通して見えてきたのは彼女の人間味あふれる”意外な一面”でした。
大失恋を機に、タイへ渡航!OLから日本語教師になった理由
-----虹の学校・校長に就任するまでの経緯を教えてください。そもそも、タイに来ようと思ったきっかけは?
朋子校長:新卒入社した会社で事務系の仕事をしていたOL時代に遡りますが、当時、社内恋愛の末に大失恋してしまって…。「もう立ち直れない」と思うほど落ち込み、ふさぎ込んでしまったんです。それまでの私は、ずっと恋愛に依存してきた節があり、「この人についていけば大丈夫」とパートナーに寄りかかって生きてきたと言っても過言ではありません。そのため「専業主婦になったら何をして過ごそうかな」といった妄想を膨らませることも珍しくありませんでした。
-----いまの片岡さんからは想像できませんが、そうだったんですね。
朋子校長:そんな状態だったからこそ、大失恋してしまった時のショックは大きく、実家に戻って数日間ひきこもるなどして、家族や友人にたくさん心配をかけましたね。でもさすがに「このままではいけない」「なんとか立ち直って生きていかなければ」と思うようになった頃、書籍「国家の品格」に出会いました。何気なく手に取った本だったのですが、この内容にすごく感銘を受け、そこから「海外で日本語教師になる!」と前向きに次の一歩を踏み出すことができたんです。
-----すごい方向転換!どんな風に感銘を受けたのでしょうか。
朋子校長:人間が持ち合わせる慈愛の心や人を労わる気持ちなど、いわゆる「武士道精神」について語っている書籍なのですが、「日本人しか世界を救えることはできない!」といった勢いのある内容に感動したんです。「日本人としてもっと頑張らなければ」と気持ちが奮い立ち、同時に「そういえば高校生の時、日本語教師になりたいと思っていたなぁ」と忘れていた感情まで現れて…。そこからは、早かったですね。日本語教師の学校に通い、1年間のアジア派遣プログラムに応募し、気が付いたらお気に入りの国であるタイに来ていました。
-----なぜ日本語教師だったのでしょう?
朋子校長:両親とも教師でしたので、自然と「私も教師になるのかな」と思っていたのですが、「この科目なら自信を持って教えられる!」と胸を張れる分野がなかったんです。そんな中、"日本語教師"という職業を高校生の時に知り「これならできるかも!」と。
-----大失恋から半年後にはタイへ渡航していたそうですね。そのスピード感に驚きです。
朋子校長:大失恋というハプニングがなかったら、海外で働く選択肢なんて私の中にありませんでしたから、本当に不思議ですよね。
タイではまず1年間、郊外の学校でアシスタントのボランティアをした後、2年目では運良くバンコクの有名進学校”Sarasas witead”に就職することができました。そこで3年間、日本語教師として仕事をして、もらえるお給料も上がり、条件面では何も言うことがない状態で働いていました。
玉城理事長と出会い、虹の学校・校長へ就任
-----そんな中、虹の学校の校長にはどのような経緯で就任したのでしょうか。
朋子校長:虹の学校を創設した玉城秀大理事長との出会いがきっかけです。日本語教師仲間が玉城理事長と知り合いで「孤児院に一緒に行こう」と誘ってくれたのが始まりでした。なんとなくついて行ったその場所が、虹の学校の前身となる孤児院だったのです。そこで初めて、創設者である玉城理事長に出会いました。
-----まさに運命の出会いですね。
朋子校長:振り返ってみると、そうですね。実は当時、条件面では文句なしの”日本語教師”という仕事に、意味を見出せなくなってしまっていた時期。「私の仕事は一体何に繋がっているんだろう」とモヤモヤしていたんです。そんな時、たまたま手に取った本に「自分が何をすればよいかわからなくなった時は、共感できる人の応援をすればよい」と書いてあったので、「ならば!」と玉城理事長の応援をすることにしました。最初は孤児院が開催するスタディーツアーに通訳として関わり始めました。
校長の就任は、ある時、玉城理事長から「こんな教育ができたらいいよね」と見せてもらった横峯式教育の動画が決め手だったように思います。両親とも体育教師だったこともあり、私は体育が大得意。その動画を見て「これなら私も教えられる!」とすごくワクワクして、「朋子さん校長先生やってみない?」のお言葉に二つ返事で「はい!」と答えましたね。
-----ちょうど仕事に対してモヤモヤしているタイミングだったことも大きかったようですね。
朋子校長:そうですね。ただ、先のことをじっくり考えた結果の「YES」ではなく、どちらかというと「こっちの仕事の方が生きがいが感じられそう、やってみたい」という直観的な判断だったと思います。
「すぐに土地を出ていきなさい」と言われ、最大のピンチ
-----校長就任後、一番大変だったことは?
朋子校長:校長として8年間やってきて、虹の学校を応援してくださる人も増え、軌道に乗っていた2018年。それまで借りていた土地を、すぐに出なければならない事態になってしまったことです。
虹の学校は単なる教育の場ではなく、子どもたちが暮らしている場所。土地がなければ、子どもたちはどうなるの?と、すごく追い込まれました。ただ、運営を諦めて解散すべきなのか…と弱気になっていた私に、共同運営者である夫が「解散なんてあり得ないから、できることをやるしかない」と言ってくれたんです。
そこで、クラウドファンディングで土地購入費を募ることに。幸い、プロジェクトを主導してくれる応援者もいらっしゃって、お陰様で新たな土地を用意することができました。
この時は本当に"最大のピンチ"でしたが、支えてくれる人たちの存在を改めて感じる貴重な機会でもあったように思います。
-----そうした人々の支えがあったから、今の虹の学校があるんですね。
朋子校長:まさに、そうです。今回いただいた社会貢献賞も、私一人では受賞することができなかったと思います。
私はいつも自分に自信が持てなくて、挫折しそうになったことだって何度もあります。
特に、自分のやっていることに意味が見いだせなくなったり自信が持てなくなったりした時は、どんどんマイナス思考になってしまうのが私の弱いところでもあって…。
そんな時に「他の村では、虹の学校の評判がすごくいいよ」「虹の学校の子どもたちは、"ありがとう"がちゃんと言えるし、ゴミもポイ捨てしないね」などと言われると、「私がやってきたことにはちゃんと意味があるんだ」って自信が持てる。身近な人や村の人、応援してくださるサポーターの方々など、色んな人の言葉が私にいつも「活動の意味」を教えてくれて、日々の活力になっていくんです。
自分たちで運営資金を生み出す努力を
-----最後に、これから叶えたい夢や目標について教えてください。
朋子校長:夢を一言で表現するなら「良い学びの場をつくりたい」でしょうか。
虹の学校は、子どもたちが、読み書きのみならず、自然の恩恵を受けながら持続可能な生き方を学べる場。都会で生活する子どもたちにとっても、"都会ではできない学び"を得られる場。
この場所を守るためには、運営資金、土地購入費、建設費用など、あらゆる資金が必要です。ありがたいことに「さとおや」としてサポートしてくださる支援者の方々も多くいらっしゃいますが、私たちはそれだけに頼るのではなく、村で作るオリジナルグッズの販売やミュージカル演目の披露などを通じて自力でも資金を生み出せるように努力しています。
-----ミュージカル!それは面白い取り組みですね。
朋子校長:もともと私自身も劇団に入っていた経験があり、ずっと「虹の学校でもミュージカルをやってみたいな」と思っていたんですよね。
2017年に高知県のプロダンサーが2カ月間、ボランティアで虹の学校に来てくださった時に、「虹の戦士」という演目の振り付けや脚本を手掛けてくれました。
それから自分たちで作った楽曲を組み合わせるなどして「虹の戦士」を進化させ、今では学校の来訪者に向けて披露することが定番になっています。
ゆくゆくはこのミュージカルをデビューさせて、虹の学校の運営資金を生み出せるまでに成長させられたらいいな…と本気で思っています。
-----壮大で素敵な夢です。ぜひ一緒に叶えましょう!ありがとうございました。
(取材・執筆:coco)