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『夜と霧』ヴィクトール・E・フランクル 感想

恥ずかしながら、なんだかんだ、初めて読みました。
心理学のお話ってだけで、「なんか難しそう」って、なんのお話なのか知らなかった。
さらに言うと、物語だと思ってた。
はずがじい…

恥ずかしさは置いておいて。もう読んだからね!笑

*紹介*
オーストリアのウィーンで精神科医として診療所を運営していた著者。
彼はユダヤ人であるというだけの理由でナチスに捕らえられ、妻や両親ともども強制収容所へ送られてしまいました。

アウシュビッツに到着してから解放されるまでをまとめ上げ、さらにそれを客観的にも心理学者の視線で分析しています。

アウシュビッツについては、小さい頃に読んだ「アンネの日記」から知っていましたが、何度色んな表現で読んでも、想像が追い付かないのです。。
実は私、想像力豊かなのがとりえなんですが、どうしても悲惨すぎて。
でも本当にあったんだよね、信じられない。

「この世にはふたつの人間しかいない。それはまともな人間とまともではない人間だ。」

普段接している、大好きな人たちはもちろん人間。
でも、それこそ収容所とか戦争とか核兵器とかを作り出したのも人間。

その人間たちは何のために生きているのだろう?
私が生きる意味ってなんなんだろう。

私も、生きる意味がわからなくて、嫌になって、投げ出したくて、死について考えていたことがありました。
でも今は色んな感情を手放して、受け入れて、なんだかスッキリしています。
このひと段落した時だからこそ、無意識に手に取っていたのかもな、と思いました。

「自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。」

消えたい、死にたいと無性に思っていた時、どうしても踏み切れなかったのは、親を想って。
この本にもあるけど、私も、少なくとも親と兄だけは絶対悲しむから、って思ったからでした。
「生きることから降りられない」って言い回し、すごく好きだな。

本当につらい時、身体的にきつい時、この本で助けになる人がいるんだろうなぁ。


*言葉*
・これがわたしの体か?これはもう死体じゃないか。わたしとはいったいなんだ。
・愛は生身の人間の存在とはほとんど関係なく、愛する妻の精神的な存在、つまり「本質」に深くかかわっている。
・生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。
・人間の真価は強制収容所でこそ発揮された。おびただしい被収容者のように無気力にその日その日をやり過ごしたか、あるいはごく少数の人びとのように内面的な勝利をかちえたのか。
・生きる意味について180度方向転換してみる。わたしたちが生きることからなにを期待するのかではなく、むしろ生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題。
・死も含む全体としての生きることの意味であって、「生きること」の意味だけに限定されない。苦しむことと死ぬことの意味にも裏付けされた総体的な生きることの意味。
・自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。
・この世にはふたつの人間の種族しかいない。まともな人間とまともではない人間。

心に響く言葉が多くて、長くなってしまいました。

今日はこのへんで。
ありがとうございました。

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