丸善のナポリタンに想いを馳せて
2020年に最愛の父との別れを経験しました。すい臓がんとわかってから半年の月日しかなく、私はそれから2年半、もしかしたら今も完璧には傷は癒えておらず、どうにか、こうにか、母と笑い合いながら、ときに激しくぶつかり合いながら今を生きてきました。
2冊目の書籍『あなたらしく生きるための「ひとり会議」ノート』でははっきりとわかるよう死別うつと表現していますが、もう少し補足説明をすると、誰もが死別を経験した直後は同じ状態になりやすく、ある程度の期間であれば、それは病気とも限らず、その症状が長期間継続した場合には死別うつと改めて診断されるとも専門書で目にしました。
さて、では実際の私はどうだったのかというと、死別うつと診断されてもおかしくない状況が2年半以上続いていたかと思うと、自分のことながら、なんだか頭をよしよししてあげたくなるというのが本音です。
父の最期は立派で愚痴一つ言わずに光の世界へと旅立ちました。最期まで家族を笑わす心の余裕があったのは一人の人間として立派としか言いようがありません。
けれど、それだけ人として立派な姿を見せられると、家族は余計に切なさを感じてしまい、行き場のないなんともいえない感情に繰り返し襲われるのも事実です。
あれから、私も母も時計の針が少しずつ動きだしました。この2年半は父が遺したものを処分すること、そして処分しながらも私たちは父と一緒に過ごした時間を丁寧にゆっくり振り返り、今はもうこの世界にいない現実をゆっくり、ゆっくり受け入れてきました。
2冊目を無事に出版し、Self0という小さな文房具屋さんも立ち上げ、傍から見たらいわゆる「成功」しているように見えるのかもしれません。
しかし、実際は父を想い、涙が止まらない時間というのはまぎもれなく日々の中で存在します。ずっと実家で待っていたら、まだ父が「ただいま」と帰ってきそうで。そうではない現実を突きつけられると涙が止まらないのです。
父が亡くなった当時「一周忌や三回忌まではつらいかもしれないね」とよく大人の方々に言われていましたが、何十年経とうとも決して癒えない傷なのだと今にしてみるとそう感じます。
何年経ったから楽になるわけではないけれど、それでも時間薬の効果は一定あるというのが私の見解です。
父とは一度も海外旅行には行けませんでした。なぜなら、私は14歳で不登校を経験し、一時期はフリースクールと中学校と二重に学費がかかった状態。
大学受験時にはほぼ学力がないまま受験勉強を始めたので塾を含めた受験費用などで、一般家庭である私たち家族は経済的に精一杯だったのです。大好きな京都へ足を運ぶことはあっても海外には一緒に行かないまま、別れてしまったことはやはり後悔のうちのひとつかもしれません。
私は1週間に1回は丸善丸の内本店さまへ伺います。丸の内という場所が好きなのももちろん理由のひとつですが、心が整い、自分らしさを取り戻せる場所でもあるからです。
丸善さんの3階と4階にはそれぞれカフェやレストランが併設されていますが、3階のカフェではナポリタンが提供されています。昔ながらの味わいで、ほっとするナポリタンです。
父がまだ自宅で療養していたときに「丸善のナポリタンが食べたいなぁ」と言ったので、私はついいつもの調子で「元気になったら一緒に食べに行こうね」と何も考えずに言ってしまったのです。
けれど父はその時点である程度、自分はそう長くはないことはわかっていて、それでも満面の笑みで「行こうね」と言ったあの表情を、私はこれからどれだけ時間が過ぎようとも永遠に忘れることはできないでしょう。
とてもお恥ずかしい話ですが、いつも母と丸善さんのナポリタンを食べるとき、つーっと一粒の涙が流れるのです。
周りの人からしてみたら、きっとおかしな人でしょうね。けれど、いつまで経っても大切な人との別れは癒えないのが事実なのです。「食べさせてあげたかったな」「一緒に食べにきたかったな」と溢れる感情をおさえきれなくなります。
たまたま、今回のnoteを執筆しているタイミングで実家に一度戻り、片づけきれていなかった部屋を本格的に片付けようと母と決めて、昨日は溜まっていた書類をビリビリと破り捨てる作業をしていました。
テレビもつけずにこたつで体を温めながら、病院関連の書類などありとあらゆる書類を単純に破って処分するだけのことですが「すい臓がん」と父の文字で書いてあったり、たくさんの薬を投与されていたり、父はほんとうに1人でよく頑張ったなと思うと、3年近く経っていても涙は自然と流れます。
丸善さんのナポリタンはテイクアウトできないので(はずだと勝手に認識していますが)お仏壇に供えることができず残念ではありますが、父を思い出す大切な場所となっています。
大切な人との別れは当事者しかわかりません。
他人からしてみたら「どうして、そんなに落ち込むの?」と言いたくなるのかもしれません。
しかし、亡くなった人との関係性や結びつきは当事者しかわからず、そこからどのように乗り越えていくのは最終的には自分しかわからないものなのです。
今でも「もう会えないんだなぁ」とふと思って、悲しくなるときがたくさんあります。けれど父からいただいたギフト「今を生きる大切さ」は、私にとっては心の財産です。
「丸善のナポリタン」は、いつもそのことを教えてくれます。
太陽の恵みに感謝。
今日一日を懸命に、コツコツと。
ERICA YAMAGUCHI