【9】編集者さんからのフィードバックを(まずは)薄目で見る
前回の「仲本ウガンダ本」執筆プロセスはこちら(↓)。
前回は「目をつぶって」、今回は「薄目で」。どんだけ正視できないんだ、しっかりしろわたし。
編集者さんからのフィードバックは、この上なくありがたいもの。なかったら、ひとりで書き手と編集者の二役をこなして完成度を上げていかなくてはなりません。
ここでいうフィードバックとは、誤字脱字や「てにをは」の誤りなどの赤字ではなくて、文体や全体構成、表現のしかたなど、より「その本の在り方」にかかわる指摘や提案のことです。
書き手が、産み落としたばかりの子(=原稿)を客観的かつ俯瞰的に見るのは難しいもので、的確に「ここを調整したほうがいい」という場所を見つけることはなかなかできないんですよね。
わかってるんだけど。わかってるんだけど、出産直後の母親のメンタルはよわよわなので、「すごくいい!」「すばらしい原稿です!」というお褒めの言葉に大感激(傍から見たら「そんなに?」と思われるほど)する一方で、「ここがダメ」という趣旨のコメントは刃のように突き刺さり、抜いても傷がしばらくふさがらなかったりします。
経験豊かな編集者さんや、経験がなくても想像力のある編集者さんはそのへんをよく察してくださって、うまーく「(今でも十分いいんだけど)この原稿をよりよい方向にもっていきましょう」という体でコメントをつけてくれるのですが、今回の本は初めて組む編集者さんなので、どういう構えで来るかがわからない。
いきなり正視して、容赦ない言葉に「がーん」と打ちのめされるとしばらく立ち直れなくなるので(不思議ですよね、完成度が低いことは十分にわかっているのに、どうしてここでダメな点を指摘されたからといって落ち込むのか…)、恐る恐る、薄目を開けて、コメントつき、修正履歴つきのword原稿を開いてみる。
ぎゃーっ!
薄目でもはっきりわかるほど、大量のコメントがついています。これまで私が書いた本の原稿に編集者さんからもらったフィードバック平均の、ざっと10倍は超えている。
限られた視界から見る限り、単純な誤字や係りのミスの指摘ではなさそう。そして、お褒めの言葉がコメントで入っているというわけでもなさそう。
ってことは、ダメ出しのオンパレードか……? もしかしたら、好みの問題というレベルでも全部、「こう書き換えたらいい」ってコメント入ってる??(「好みの問題」は根が深いので警戒が必要)
貴重なフィードバックを「ダメ出し」だととらえてる時点でもう、正常な判断力じゃなくなってるので、ここですばやくファイルを閉じます。ぱたり。
深呼吸します。
それでもダメなら(ダメだった)、数日置きます。また放置プレイです。前回の記事でもさんざん放置しましたけど。いいんです、放置は正義。
数日経つと、だんだんコメントをフィードバックとして見られるような心持ちになってきます。出産直後の絹豆腐メンタルも、木綿豆腐くらいには回復しています。
あらためて深呼吸して、しっかり目を開けて、ファイルを開いて、コメントを読む。
そうしたら、ちゃんとコメントの内容が頭に入ってきました。そのほとんどはきわめて的確なご指摘か、「これそのまんまいただいてもいいですか」と思ってしまうような、私の文体に合わせてくれたと思しきご提案だったのでした。
(ちなみにわたしは、本の原稿では、編集者さんのご提案の文案をそのまんまいただくことはあまりありません。「ここにひっかかった」というメッセージだけ受け取って、あとは自分で考えます。でも、本書の編集者さんのご提案は、驚くほどに「これいい! すごい」と思うものが多かったのでした)
もちろん、すぐにはうなずけないコメントもたくさんあります。それは当然のことなので、「どっちの言い分が正しい、どっちの主張が間違ってる」という軸じゃなく、「もっと読み手にとって読みやすい文章はないか? もっと引きこまれる展開にはできないか?」と考えるきっかけにする。
編集者さんがくれた文案をここに書くことはできないけれど、いただいてありがたかったご指摘をいくつか。
あとは主人公仲本さんの人称の問題。まだ悩んでいるところなので、ここに書くかどうか迷ったんですが、「仲本さん」か、「千津さん」か、「千津」か……。読み手と仲本さんの距離、読み手とわたしの距離、それぞれどうあるべきか、が問われます。
悩む~。負荷の高い悩みだけど、苦しくない。いい悩みです。考えます。
(【9】終わり)
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