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私は誰のために生きていたのか?適応障害から抜け出す方法①

初めまして。えりと申します。


まずは簡単に自己紹介をさせてください。
私は現役高校三年生、適応障害の治療中です。



まずこの投稿を見つけてくれた皆様、ありがとうございます。
本題に入る前に、私からひとつ質問をさせてください。

あなたは、今どんな境遇ですか?

今適応障害を患っている人。
適応障害・うつ病かもしれない人。
希死念慮がある人。
息子・娘が適応障害かもしれない、不登校の子供がいる親御さん。

この投稿はそんな方々にのヒントになればいいと思います。



また、心の病とは無縁の人にも、ぜひ読んでいただきたいです。
私も心の病なんて、自分には関係ないと思っていました。






※適応障害とは
私はただの患者であり専門医ではないため、ぜひお医者さんが説明している記事に飛んでみてください。







「私は、完璧であるべきなんだ。」

これが私を苦しめた考えです。


私は一般的な高校に通っていました。
成績は優秀な方で、部活も活発に取り組み、
友人にも恵まれていました。



休み時間は友達と取り留めもない話をして。
女子高校生らしく恋愛をしたこともありました。
毎日を過ごした教室は、私の居場所でした。



高校二年生の冬、本格的に受験ムードが漂ってきました。



私は周りの子たちと同じように、4年制大学へ進学を考えていました。
ただ、私にはとても重いプレッシャーがありました。

私は小学生の頃から、学級委員長をしたり。
中学の時には生徒会長をしたことも。
上述のように、成績も悪くなかったです。


そのような私を見てきた親族からは、明らかに期待をされていました。


「えりちゃんは、良い大学に入れるよ」
「○○大学なら余裕だね」


私にプレッシャーをかけたくてそんなことを言ってくる親族はいませんでした。みんな、本当にそう思っていたのでしょう。


私は、エリートなんだ
私は、良い大学でも余裕だ
私は…


呪いのように、私を蝕んでいきました。



しかし、本当の私は「出来ない子」でした。

勉強は大嫌いで、テスト一週間前から詰め込むタイプ。
人生で一番努力したことは何ですか?と言われても
首をかしげることしかできないような人生でした。

良い子に見えるように、取り繕って生きてきました。




そうは言っても、大学受験は取り繕えません。




取り繕っていた自分から、本当に戦える自分へ。




そのために、無理な追い込みを始めてしまいました。






次回に続きます。
次回は、適応障害を発症してからのお話をしていきたいと思います。
ここまで見てくれてありがとうございます。








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