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伝統文化を学ぶ

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#教育

中国の墨の由来

中国の墨の由来

古代中国で、まだ墨のなかった時代には、文字を書いたり絵を描いたりするのはとても不便でした。周の宣王の時代に邢夷という人がおり、絵を描くことに優れていました。ある日、彼は手が汚れてしまったので、近くの小川まで手を洗いに行きます。その時、傍に何か真っ黒なものが落ちているのを見つけ、拾い上げたところ、ただの松炭だったので捨てました。そして、ふと自分の手を見ると、思わずぷっと吹き出してしまいます。たった今

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【1分で読める故事成語】這う這うの体(ほうほうのてい)で逃げる

【1分で読める故事成語】這う這うの体(ほうほうのてい)で逃げる

秦王朝が滅亡し、楚漢戦争が勃発している頃、韓信は劉邦の命を受けて斉を侵攻し始めました。しかし、劉邦が説客酈食其を派遣して斉との平和交渉を行わせたのを聞き、進軍を止めようとしましたが、蒯通に、「進軍停止命令がまだ降りていなく、斉もきっと無防備でしょうから、この隙に侵攻すべきだ」と説得されました。

そして、斉を平定した韓信は仮の王となりました。劉邦は懐柔のため、韓信を斉王として認め、また、楚に侵攻す

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漢字を理解して天機を知る『説文解字』

漢字を理解して天機を知る『説文解字』

「…倉頡(そうけつ)が文字を作ったとき、天は栗を降らせ、鬼は夜に泣いた…. 」(淮南子)

「倉頡(そうけつ)」とは、4千年前、天上から人間に文字をもたらした人物だと伝えられています。この伝説によれば、倉頡は黄帝の史官で、四つの目をもち、異なる次元が見え、物事が持つより深い意味を読み取ることができたといいます。

 中国、唐の時代、張彦遠は『歴代名画記』の中で、倉頡の伝説について、次のような解釈を

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